京都古寺巡り(その二)三十三間堂、知積院

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(三十三間堂)

三十三間堂に来るは高校生時代の修学旅行以来のことなり。この日も、中学生や高校生らしきものの集団を多くみかけたれど、おそらく修学旅行に来れるなるべし。京都に寺院多しといへども、この寺は特別の人気を誇れるものの如し。

高校生時代の記憶に残りをりしは、矢通しの伝説と千体の夥しき観音菩薩像の姿なれど、この日は中尊と二十八部衆像我が目をひきぬ。二十八部衆は、創建時の姿のままなれば、すべて国宝に指定せらるるなり。中尊は頭の部分のみ創建時代のものなり。残余は火災にて焼失したりといふ。また千体観音像の大部分も消失せしが、何体かは創建時代のもの残りをるといひ、その一部を各地の国立博物館に貸し出しをるといふ。

ここにも、曼荼羅の複製品を販売してあり。値札を見るに、一枚二千円なり。先ほどの東寺のものと比すれば、価差の大なること、人をして抱腹せしむ。

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(知積院庭園)

ついで隣接する知積院に立ち寄る。この寺は、長谷川等伯の襖絵と桃山式庭園を以て名高きところなり。先日の庭巡りの際に、時間の余裕なく訪問することをえざりしかば、このたびは好機と思ひて立ち寄りしなり。等伯の襖絵は特別に拵へたる施設に展示せられてあり。等伯本人によるもの二点、息子の久蔵によるもの一点のほか、弟子たちによるもの数点なり。また庭園も小規模ながら見所多き池泉式庭園なり。座敷から庭を見下ろすに、池の水面に夥しき数の水すまし泳ぎまはりてあり。東京辺にてはなかなか見られぬ眺めなり。

これにて時間も三時を半ば過ぎ、疲労も鬱積したれば、バスに乗りて京都駅に至り、ホテルにチェックインす。しかして、部屋にて二時間ほど休憩したるのち、夕餉をなさんとて六時過ぎにホテルを辞す。インフォメーション嬢を捕まへ、先斗町あたりでどこか適当な店はないかと相談をもちかけしが、要領を得ず。ともかく現地に赴き、店を冷やかして歩かんとす。

なほ、この日は朝より、先日この旅のためにわざわざ買ひ求めたるポシェットを肩にかけて歩く。このポシェット、こしのひろこのデザインになるものにて、女ものなれど、男にとってもまた使ひやすし。荊婦には、それは女物なれば男は使ふべからず、妾がかはって使ふべしなどと冷やかされたれど、余は、老人に男女の別なしと強弁して、与へざりしなり。与へずして正解なりき。このポシェット、男にとっても実に使ひやすし。

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(鴨川べりの納涼床)

地下鉄を乗り継ぎて河原町駅に至り、そこより歩みて先斗町に至り、適当なる食堂を物色し歩く。例の狭き通りを三条橋のたもとまで行きつ戻りつしたる結果、通りのほぼ中程の店に入る。所謂川床にて飲食せしむるところなり。川床とは、加茂川の河原にせり出すように設けられたる席のことをいふなり。又の名を納涼床ともいへり。仲居に案内せられてその席につくに、川風を身に浴びてすこぶる爽快なり。店おまかせの懐石料理を注文して食ふ。

この日、京都の気温実に摂氏三十六度に達すといふ。この炎天の下、よくぞ町中を歩きまはりしものよと我ながら感心す。

なほ、地下鉄のエスカレータの乗り方について、またもや気づけることあり。いづこの駅にても、人々の左側に立つ場面と右側に立つ場面とをこもごも目撃す。余そこに一定の法則性ありやと観察せしが、法則の如きものはあらざるやうなり。たまたま左側に立つ者あれば後に続く者その背後に立ち、たまたま右側に立つ者あれば後に続く者その背後に立つ。要するにその場かぎりの勢いのやうなものに支配されをるやうなり。京都人は法則に縛らるるを潔しとせざるものの如くなり。






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