京都古寺巡り(その五)比叡山延暦寺

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(比叡山延暦寺根本中堂)

六月三日(火)晴、暑気やややはらぐ。ホテルの食堂にて朝餉をすませ、駅構内の売店にて新聞を買ひ求む。駅に接続するホテルはなにかと便利なり。しかして九時二十五分京都駅発のJRバスに乗り、比叡山に直行す。比叡山は電車の乗継不便なれど、日に一便しかなきこのバスを利用すれば、一時間余にて至ることを得るなり。

バスは途中夢見が丘なる峠に停車し、乗客をして琵琶湖を俯瞰せしむ。高温のためか多少靄がかりてをれど、なかなかの眺めなり。

延暦寺バスターミナルにて下車すれば、すなはちそこが比叡山東塔なり。拝観受付を通れば、すぐ左手に国宝館あり。比叡山は信長によって徹底的に焼かれたれば、創建時以来の宝物をほとんど焼失し、寺の格の割には国宝の類は少なし。この日も、館内重文指定は見かけたれど正真正銘の国宝を見る事なし。重文の中で最も名高きものは、五大明王像にて、これらはみな鎌倉時代の作なる由。

ついで根本中堂を拝観す。丁度坊主が講釈せんとするところなりしかば、床に腰を下して話を聞く。坊主曰く、比叡山延暦寺はいふまでもなく伝教大師の創建せるところにて、大師自ら作れる薬師如来像を本尊となす。これは信長の焼撃を逃れたるものにして、一説によれば秀吉の配慮なりし由。いまは秘仏扱ひにて、自分らも見たことなし、そのかはりに身代りの薬師如来をこしらへて、それを顕仏とするなりといふ。

この寺にはいまひとつ、創建時より絶ゆることなく続きをる伝統あり。不滅の法灯なり。これは中堂内に法の火を絶やさず灯し続けたることをいふなり。この火を絶やさざるために、すべての坊主が気を用ひ、常に菜種油を射し足すといふ。万が一にもこれを絶やすを油断といふ。よって油断大敵こそ延暦寺の合言葉とはなりたれ、と坊主いふ。あたかも落語家の話を聞くが如し。

坊主またいふ、正面の本尊を見たまへ、衆生の目線と同じ高さにみゆるべし。これは人間みな平等といふ伝教大師の信念にもとづき、あへて仏を衆生と同じ高さに据ゑたるなり。そのため、礼拝用の床の先を三メートルばかり掘り下げ、その先に仏壇を設けてそこに仏を安置する工夫をとれるなりと。なるほど、よく見れば、礼拝用の床の先は深く掘られ、その先に仏壇が据ゑられをることがわかるなり。

中堂の前の石段を上れば文殊楼なるものあり。文殊菩薩を安置すといふ。そこの寺守に坂本行きのケーブルカー乗場はいづこやと聞く。境内いづこにもその所在を記す看板あらざればなり。果たして乗場は、中堂より一キロばかり離れたるところにあり。

ケーブルカーの乗務員の説明に、このケーブルカーは日本一の長さを誇る由。全長二千二百メートル余、所要時間十一分といふ。余には、最近乗りし箱根のケーブルカーが余ほど長く思はれたり。

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坂本日吉神社大鳥居)

ケーブルカーの終点駅より鉄道の坂本駅に至る道筋には、比叡山の塔厨甍を並べてあり。また日吉大社あり。その鳥居のそばなる蕎麦屋に立ち入り昼餉をなす。古代そばといふものを注文したるところ、そばのうえにゆばと卸し生姜が載りをるなり。汁は関西風なれば、余の如き関東者には物足りなく感ず。

蕎麦屋の壁に山王祭のポスター掛けられてあり。東京の山王祭の本家祭りなるべし。東京の山王祭は六月にとりおこなはるるが、こちらは四月の半ば頃といふ。山車をひきまはすものの如し。





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