京都古寺巡り(その六)三井寺、石山寺

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(三井寺金堂)

食後京阪電鉄の列車に乗り三井寺駅に至る。三井寺はそこより歩みて十分ばかりのところにあり。この寺なぜ三井寺と呼ばるるに至りしか、それいはれあり。天智、天武、持統三代の天皇の産湯に用ひられし霊泉この寺の敷地内より湧出すといふ、それによりて御井の寺すなわち三井寺とは呼ばるるやうになりたると縁起にいへり。

仁王門をくぐれば金堂の威容そばだちてあり。金堂には弥勒菩薩を祀る由なれど秘仏として公開せられず。金堂の傍らには三井寺の名の由来となりし井戸を収むる室あり。閼伽井屋といふなり。いまなほ水をたたへてあり。

金堂の左手前には三井の晩鐘あり。歴史上知らざる者のあらざるほど名高き鐘なり。この鐘の傍らに二人の男女あり。一人はカメラと集音マイクを抱へ、一人はカメラに向かひて何やら口上を述ぶ。どうやらこの鐘の由来について、言及しをるやうなり。おそらくは、依頼を受けて鐘の縁起を特集するテレビ番組かなんどを作りをるものの如し。

この寺にはいまひとつ名高き鐘あり。弁慶の引き摺り鐘なり。俵の藤太が百足退治の礼に竜宮から土産に持ち帰りし鐘にて、山寺両門の争ひの折には、弁慶が比叡山まで引き摺りあげしといふ愉快な伝説のある鐘なり。

このあと、一切経蔵、三重塔、微妙寺、観音堂などをへめぐる、すこぶる広大な寺域なり。

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(石山寺本堂)

再び京阪電鉄に乗り、終点の石山寺にて下車す。石山寺はこれより歩みて十分ほどの所にあり。小高き丘の上に伽藍を構へ、はるか琵琶湖を見下ろす形勝の地なり。山門をくぐればやがて左手に石段あり、それを上り詰めれば左手に本堂あり。この本堂は崖におひかぶさるやうにして立てり。所謂懸崖作りの建物なり。とはいひても、他に平地なしといふにはあらず。平地はいかほどにてもあり。それをわざわざ懸崖作りにせるは、密教寺院特有の思想に基づくなるべし。

この寺の多宝塔は密教寺院のものとしては最も姿美しきものなり。平地のうへにのびのびと立ちたり。多宝塔の先には芭蕉庵なるものあり。かの芭蕉ゆかりのものなるべけれど、其の詳細を知らず。

芭蕉案の先をしばらく行くに光堂なるものあり。その付近には紫式部の像あり。この寺はかの紫式部ゆかりの寺にて、光堂とは光源氏を偲ぶ名なり。

この寺は別名を花の寺といふ由にて、境内季節に応じてさまざまな花咲き乱るといふ。いまの季節はつつじの花咲き残りてありき。

石山寺を出てのち、みたび京阪電車に乗り、石山駅にてJR線に乗り換へ京都に戻る。石山から京都までは四駅数分の距離なり。かたや滋賀県、かたや京都府と、府県をまたぐなれど、いかほどの距離感をも感じさせず。山科駅と京都駅の間には、狭隘なる盆地にマッチ箱のごとき小家寸分もなく壁を接してあり。そのさまあたかも長屋を見るが如し。東京辺にてはなかなか見られぬ光景なり。

四時半頃ホテルに戻り、しばし休養をとり、六時ころ部屋を辞して、駅ビル内の京百菜なる食堂にて夕餉をなす。鱧三昧なるものを注文するに、鱧の落とし、鱧とじゅん菜の酢の物、鱧のすき鍋、鱧のてんぷら、鱧のかば焼きのほか、おばんざい数品を給仕せらる。





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