京都古寺巡り(その七)広隆寺・嵐山

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(広隆寺山門)

六月四日(水)ホテル内にて朝餉をすませしのち、駅の売店に新聞を買ひにいくこと昨日の如し。九時過ホテルを辞し、駅前より苔寺ゆきのバスに乗る。この日は苔寺と広隆寺を訪ふつもりなり。

バスに揺らるること三十分ほどして太秦広隆寺に下車。仁王門をくぐるに、まず講堂あり。立札の説明書きに、永万元年(1165)に再建せられしものにて、京洛最古の伽藍なる由記されたり。この寺の歴史は更に遡り、そもそも聖徳太子自ら建立せられし寺なりといふ。されば日本最古の寺のひとつといひつべし。

講堂はいまは用ひられてをらざるやうにて、金網もて封鎖せられてあり。されどどういふわけか、正面の扉やや開けられ、その隙間から本尊の姿おぼろげに垣間見えたり。これ国宝の阿弥陀如来なる由。

この寺は古き由緒の故に、国宝級の仏像を多く所有す。それらはみな、霊宝殿なる施設に一括して保存せられてあり。拝観料七百円を支払ひて内部に入るに、四面の壁に諸々の仏像並び立ちてあり。まず入りてすぐ左手の壁には、中心に薬師三尊像(ただし薬師如来像は秘宝扱ひなり)、その両側に四天王像、十二神将像並び、正面の壁には例の半跏思惟像を中心にして、聖徳太子十六歳像、大日如来など並びたり。その反対側の壁には、千住観音座像を挟んで、十一面千住観音像、不空羂索観音像並び立ちたり。千住観音座像にはもと二十四本の腕ありしが、その多くは欠損し、現存するほとんどの腕も先端部が欠落してあり。

十一面千手観音像と不空羂索観音像はほぼ完全に保存せられてあり。いづれも三メートル近き巨像にて、顔の表情やら体つきに独特の優しさを漂はせてあり。眺むる者の心をして穏やかならしむ。

右手の壁には、吉祥天女像数体の他、諸天の像と聖徳太子二歳の像など展示せられてあり。

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(嵐山渡月橋)

広隆寺を辞してのち、再びバスに乗りしが、苔寺の拝観時間には余裕あるによって、途中嵐山に下車す。時に風颯々と吹き出で、帽子をとばさるるほどなり。
渡月橋を渡り歩くに、橋下の中州今日は僅かに出現してあり。先日は影も形もあらざれば、昨秋の大水に流されたるべしと思ひしところなれど、かく再び姿かたちを人前に現したるは、何の因縁ぞ。

しばし風に吹かれしのち、中島のバス停よりバスに乗り、十二時頃終点の苔寺に到着す。バスより下りるに、バス停前の茶店の媼、揉み手招き手しつつ盛んに客をひく。その言ひ分が面白し。この店といまひとつの店暖簾を接し、いづれも苔寺ゆかりのとろろそばを名物にしをるなれど、媼は我がとろろそばを贔屓してかくいふなり。うちのとろろそばは御味がちがひます、ぜひうちのをご賞味あれと。その態度愉快におぼえたれば、祝儀がはりに店に入り、苔の月なるそばを注文す。飯の上に卸しとろろをぶっかけ、それに卵の黄身と海苔を添へたるなり。食してみるになかなかの味なり。昨日の古代そばよりは数段上等とすべし。





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