京都古寺巡り(その八)西芳寺(苔寺)

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(西芳寺の苔)

余が苔寺を訪ひしは高校生時代の修学旅行の折にて、その折には、同級の生徒らと隊列を組んで苔むしたる道を歩みたるものなり。当時の苔寺は、拝観に制限を設けず、誰にても遠慮なく立ち入ることをえしが、その後数に制限を設け、しかも事前予約を要することとなす。余も一ヶ月以上前にはがきにて申し込み手続きをなしおきたるなり。

手続きをすませて本堂に上がる。同行の者七八十名はあり。みな写経のための用具一式を載せた台を前にして座りをるは、まず写経をして、心の準備をしてのち寺域を散策すべしとの意趣なり。写経に先立ちて、般若心経の読経あり。一同声を合せて三度読誦す。読誦の後、台の上に広げ置かれたる紙の、般若心経の経文の文字に重ぬるやうにして、墨もて字を写しとるなり。写し終れば、末尾に信念の言葉と氏名住所の記載をなし、それを本尊の前に奉納す。寺にては、この写経の成果を一々永久保存して、旦那の幸運を祈るといふわけなり。

この席には外国人の姿も多く見かけたれど、彼らには読経も写経もむつかしかりしならむ。

写経の済みたる者から順次、庭に降りて散策することを許さるるなり。ここの苔は種類百種以上にのぼるといふ。よくよく観察するに、群生して厚く盛り上がりたるものあり、地面に薄く広く展開するものあり、複雑な形を呈するものあり。また湿気を帯びたるものあり、乾燥を好むものあり。されど、浅学の余には整然と分類することを得ず。ただ、思ひ描きをりしよりは、淡然とせる風情に感ず。

庭は斜面に沿って展開し、頗る変化に富めり。斜面の上部には、枯山水を配す。かくの如く、庭を斜面に沿って展開し、上部を枯山水、下部を心字池を中心に池泉回遊式の庭園となすは、夢想国師の発案になるものなり。

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(地蔵院の竹林)

ついで付近の地蔵院なる寺をとふ。竹寺として名高きところなり。拝観料六百円を支払ひて中に入れば、たしかにすさまじき規模の竹むらなり。寺女に聞けば、この竹はみな孟宗竹にて、大部分は数年を経しものといふ。孟宗の竹藪は新しき竹が生えること少なしといふなり。余年少の頃に、竹藪に囲まれし家に住みゐたれど、その折には毎年のやうに筍を掘って食ひしものなり。

奥に書院あり。そこに上がりて内庭を見る。ここにも地面一面に苔が生え、また松んも枝には初々しき若芽がのび、また侘助椿の巨樹影を延ばしてあり。巨樹といひても、数本の幹が群立ちしたるものにて、高さは五メートルほどなり。

書院の襖には、細川護熙元総理大臣直筆といふ水墨画描かれてあり。題材は瀟湘八景なり。即ち中国湖南省洞庭湖付近の名勝を描きたるなり。細川氏は中国贔屓のやうなり。もっとも水墨画の仕上がり具合は、御世辞にも傑作とはいへざるものの如し。

先ほどの停留所より京都駅行きのバスに乗りて、四時頃ホテルに戻る。足腰に疲労を感ず。暫時休養をとり、六時頃隣接する新都ホテルに赴き、中華料理店にて四川料理を食ふ。ここの紹興酒は最低にても十五年物の古酒にて、その価料理よりもかへって貴し。

夕刻より雨降り出だし、夜半には大雨となりぬ。






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