京都古寺巡り(その九)醍醐寺、宇治上神社

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(醍醐寺金堂)

六月五日(木)陰。ホテル内の食堂にて朝餉をなし、駅内の売店にて新聞を買ひ求むること毎日の如し。九時過ぎにチェックアウトを済ませ、荷物をホテル内のロッカーに預けてのち、京都駅よりJR線に乗り、山科にて地下鉄に乗り換へ、醍醐駅に至る。そこより醍醐寺までは歩みて十分ほどの道のりなり。

醍醐寺は京洛最大の規模を誇る大寺なる由。それもそのはず、平地に広大な境内地を有するほか背後の山全体が寺域なり。平安時代の初期、弘法大師の孫弟子理源大師が醍醐山の頂上に薬師堂ほかの伽藍を造営したるがそもそもの始まりにて、その後山下にも伽藍配置なされ、両者併せて壮大な規模を誇るに至りしなり。

西大門をくぐりしばらく行くに左手に金堂あり。国宝なり。堂内には薬師如来像とそれを囲んで四天王像配置せられてあり。金堂に隣接して不動堂あり。ここには不動明王像を中心に五大明王像配置せられてあり。ここの明王像は東寺のものに比して、ややおだやかなりと感じたり。不動堂の先には真如三昧耶堂なるものありて、釈迦涅槃像収められてあり。

醍醐寺の五重塔は高さこそ東寺のものより劣れるも、その姿の優美さにおいては比類するものなしといはるるとおり、なかなかに形の美しさを感ぜしむ。その所以は比例の絶妙さにあり。全体の高さ三十八メートル、そのうち相輪の長さ十三メートルあり。これがある種の黄金比率を感ぜしむるに加へて、五層の屋根がゆるやかな勾配を描いて重なるところが絶妙の配分を感ぜしむるなり。

山下の諸伽藍を拝観したるのち、無量寿苑なる庭園を散策す。池を掘りて橋を渡し、その先に弁天堂を配したり。周囲には散策路を設け、徘徊を楽しむことを得せしむ。しばし浮世のことを忘るることを得たり。

いったん結界の外に出で、山上伽藍を目指さんとして、その登り口に至るに、山上までは片道一時間ほどと掲示せられてあるをみて断念す。山上には懸崖伽藍として名高き薬師堂などあり。この寺は、山上も山下も薬師如来を本尊として、大日如来を安置せざるは興味深きことなり。

昨夜の雨に濡れたる山道を歩みて西大門に戻り、醍醐駅へと引き返す。その後地下鉄と京阪線を(六地蔵駅にて)乗り継ぎ宇治駅に至る。駅舎は宇治川のほとりにあり、そこより川を見下ろすに、流れの速さを感ぜしむ。いつもかくのごとく早き流れなりや。

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(宇治上神社)

まづ宇治上神社に参拝す。下鴨、上鴨両社と並んで、神社として世界遺産に登録されをるなり。規模は小さいながら、拝殿本殿の建物は神社形式として我が国最古を誇れる由なり。本殿はいま修理の最中にて、養生せられてあり。

宇治神社(宇治上にあらず)の前の朱塗りの橋を渡って対岸に渡り、川べりの茶店に入りて昼餉をなす。時に風颯々と吹きわたり、茶店の軒にかかりをりし提灯大いに揺る。風に吹かれながら飲む酒はまた一段と興趣あり。

鍋焼きうどんとうなぎいいむしのセットを注文す。鍋焼きうどんは関東とはいささか異なりて、餅が入れるなり。また、うなぎいいむしといふは、蒸したる飯の上にうなぎの蒲焼を載せたるものなり。いいむしとは、むしたるいひ(飯)、の意にて、虫の類にはあらず。

臨席に若い女の二人連れあり。その交わす会話を何気なく聞きをるに、それぞれ生きることの厳しさを慨嘆しをるなり。いはく、わたしは会社では半端者扱いで余り期待されていないの、将来に希望を持つことが難しく、なにかと悲観することがあるの、結婚したいと思っても、相応しい相手を見つけることができずに、とうとう三十歳をすぎてしまった、この先どうなるのかと思うと、気が滅入るわ、といった類の話なり。その彼女ら、いいむしを注文したるのみにて他には何も食はず。ただ話すことに夢中になりをるなり。





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