2014年7月アーカイブ

浄瑠璃寺:平安時代後期の寺院建築

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(浄瑠璃寺本堂)

浄瑠璃寺は、平安時代に多く作られた九体阿弥陀堂のうち、現存する唯一のものである。九体阿弥陀と言うのは、西方浄土の九つの相を示すとされ(九品仏)、それを収めた阿弥陀堂を九体阿弥陀堂と呼んだ。藤原道長が造営した法成寺無量寿院はその典型とされた。

アーレントの世界疎外論

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「世界疎外」の概念は、アーレントの近代社会批判のキーワードだが、彼女はそれを、マルクスを意識しながら展開した。しかし、同じく「疎外」という言葉を使っていても、そのニュアンスはだいぶ違う。マルクスの場合には、人間が自分のあるべき姿(類的本質)から逸脱している事態をさして「自己疎外」と言っているのに対して、アーレントは、人間が自分の居場所であるところの「世界」から追放されている事態を「世界疎外」と言っている。そしてこの「世界疎外」という事態は、近代に特有の事態だとして、次のように言う。

鬼婆:新藤兼人の世界

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新藤兼人は、或るインタビューの中で、自分なりに最高傑作と思うのは「鬼婆」だといっている(「新藤兼人 私の十本」)。この作品は、ホラー映画だという評判もあるが、新藤自身はそうは思っていなかっただろう。彼はホラー映画を作ることなどに意義を感じていなかったからだ。彼が映画作りでこだわり続けたのは、世の中の理不尽さに対する怒りと、人間の根源的な欲望であるセックスだ。この映画には、見ようによっては、このふたつの要素が実に密接に絡み合って出ている。そういう意味で、新藤はこの映画を、自分のこだわりを最も忠実に表現した作品だと感じて、これを自分にとって最高の出来栄えだと認めたのではないか。どうもそんなふうに思える。

渡辺靖著「アメリカン・デモクラシーの逆説」を読んで、ゲーテッド・コミュニティや監獄ビジネスの実態に関心を引きつけられたが、それと並んでもう一つ、アメリカの農業の実態にも強い関心を抱かされた。ゲーテッド・コミュニティや監獄ビジネスは、日本では起きる可能性が感じられず、したがって他人ごととして聞き流せるが、農業のあり方については、日本もアメリカの二の舞を踏むことになりかねない。つまり、問題としては非常に深刻なわけだ。

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(平等院鳳凰堂)

宇治の平等院が立っている地には、もともと藤原道長の別荘があり、宇治殿と呼ばれて遊興の場として使用されていた。それが、道長の子頼道の時に、平等院と名づけられ、本堂が供養された(永承七<1052>年)。この本堂は、法成寺同様に大日如来を本尊としていた。しかして、その翌年の天喜元年(1053)に、阿弥陀如来を安置する阿弥陀堂が作られた。それが今日、鳳凰堂と呼ばれるものである。

アメリカの監獄ビジネス

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渡辺靖著「アメリカン・デモクラシーの逆説」(岩波新書)は、オバマ時代(つまり現代)のアメリカ社会の諸相について、ルポルタージュ風に紹介したものだ。著者は自分の仕事を「フィールド・ワーク」といっているが、この本は、「カタリーナ台風」に見舞われたニュー・オーリンズの街のフィールド・ワークを始め、アメリカ社会が直面している様々な問題について、机上で考えるのではなく、あくまでも現場の動きに即して考えていこうとする態度に貫かれている。

少女坐像:モディリアーニの肖像画

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「少女坐像」と呼ばれるこの絵も、近所に住む平凡な少女を描いたのであろう。寒色で彩られた単純な背景のなかに、例のモディリアーニ風の様式に身構えた少女の上半身が描かれているが、顔は極度に平板化され、真黒く塗られたセーターもボリューム感を感じさせない。こういう絵は、えてして通俗的で浅墓な印象を与えがちなのだが、この絵に限ってはそんなことはない。フォルムの単純さに反比例するように、精神的なものが付加されているように感じられるからだ。

裸の島:新藤兼人の世界

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映画「裸の島」は、新藤兼人の名を世界的に有名にした。数々の国際映画祭で受賞し、60カ国以上で上映されたという。それは、この映画がわかりやすく、人情にすとんと響くところがあったということなのだろう。なにしろ、せりふが一切ないのだ。かといって、サイレント映画ではない。学校の生徒たちの騒ぎ声だとか、踊りの歌声だとか、母親のむせび泣く声だとかは聞こえてくる。しかし、言葉によるメッセージはない。それでも、画像からは雄弁なメッセージが伝わってくる。もっともそれは、知的なメッセージではなく、感性的なメッセージなのだが。逆に言えば、それでこそ、この映画は、国籍の相違を超えて、世界中の人々にストレートに訴えかけたのかもしれない。

ヴァルター・ベンヤミンの「暴力批判論」は、法と権力についてのきわめてアクチュアルな議論である。この議論がアクチュアルにならざるを得なかったのは、執筆当時の社会情勢が働いているためである。ベンヤミンがこれを書いた1921年という年は、ドイツ革命の曲がり角に当たる年であり、革命的ゼネストをめぐって様々な議論がなされていた。ベンヤミンは、法と権力の本質を暴力と定めたうえで、(革命的ゼネストというかたちの)プロレタリアートによる暴力の行使はどのようにして正当化されるか、という点について議論を深めていくのである。

無抵抗な人々を、有無を言わさず大量に殺すことを「ホロコースト」というとすれば、いまイスラエルがガザの市民相手に行っていることが、まさにそれだ。ユダヤ人はかつて、ナチスによって、有無を言わさず大量に殺されたわけだが、それと同じようなことを今、イスラエルのユダヤ人がガザの市民を相手に行っている。これを、ホロコーストといわずして、何といったらよいのか。

平安時代後期の浄土美術

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四百年近い平安時代のうち、十世紀後半から十二世紀末までの二百数十年を平安時代後期とするのが美術史上の通説である。この時代はさらに、前半の摂関時代(藤原時代)と十一世紀末からの約百年間にわたる院政時代に再区分されることもある。また、この時代全体をさして、王朝時代と呼ぶこともある。

訪陶公舊宅:白楽天を読む

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白楽天が左遷された地九江は、陶淵明の故地として知られるところである。日ごろから陶淵明に心酔していた白楽天は、陶淵明縁の場所を訪ね、その遺風を慕う詩を詠んだ。すなわち、「陶公の舊宅を訪ふ」と題する五言古詩とその序文である。

村上春樹「女のいない男たち」を読む

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村上春樹には、本人もいっているように、長編小説と短篇小説とを交互に書く習性がある。彼が短編小説を書くことには、物を書くうえでの、生理的バイオリズムを整えるという効用があるようだが、それと並んで、次に続く長編小説のためのウォーミング・アップのような役割も果たしてきたようだ。といっても、短篇小説での実験が、そのまま長編小説の中に反映されるということではないらしい。そういう側面も、ないわけでないらしいが、どちらかというと、あらたな文使いの実験的な試みという側面が強いようだ。

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「美しい薬屋の娘」と呼ばれるこの絵は、前作の「農家の少年」とは対照的に、暖色を主体としている。モディリアーニはどちらかといえば、寒色よりは暖色を好んだのであり、暖色主体の絵が圧倒的に多い。だがこの絵の面白いところは、絵の具の塗り方が控えめで、色彩がややぼやけて見えることだ。意識的にそうしたのだろう。

青蓮院不動明王図(青不動)

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(青蓮院不動明王図、絹の掛軸、203.3×148.8cm)

密教絵画では、曼荼羅図と並んで不動明王図が多く描かれた。不動明王は観音菩薩と並んで密教における最も重要な崇拝対象であるが、観音像が奈良時代以前から作られていたのに対し、平安時代になってあらわれたものである。彫刻の形のものと図に描かれたものとがある。図に描かれた場合には、炎を背景にして、剣と羂索を両手にそれぞれ持ち、憤怒の相を見せ、両側に矜羯羅、制吒迦の両童子を控えさせているというのが典型的なものだが、単身であったり、両童子を片側にまとめて描いていたりと、様々なバリエーションがある。

公的領域と私的領域をめぐるアーレントの議論は、人間の活動力をめぐる議論と同じく、ギリシャのポリスをモデルにした議論である。ギリシャにおいては、公的領域はポリスの領域として、私的領域は家族の領域として捉えられ、両者は截然と区別されていた。その上で、公的領域たるポリスの領域、それは政治の領域と言い換えてもよいが、それが優位を占め、私的領域たる家族の領域は、価値の劣るものとして認識された。

どぶ:新藤兼人の世界

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新藤兼人の映画「どぶ」は、イタリアの巨匠フェデリコ・フェリーニの傑作「道」とよく比較される。どちらも知恵おくれの女性の半生を描いている。彼女たちは天使のように心が清らかで、人を疑うことを知らない。そこを男たちに付け入られて食い物にされたあげく、むなしく死んでいく。しかし彼女たちが死ぬと、男たちは彼女たちを失ったことの意味を知って烈しく後悔し、自責の念に打たれて輾転反側する、という筋がよく似ているし、しかも、奇しくも同じ1954年に公開された。

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(教王護国寺僧形八幡三神像のうち男神、木造、像高109cm)

密教はいわゆる神仏習合を進め、その過程で、日本古来の神を仏の化身と考える本地垂迹説のようなものが生まれてきた。それに伴い、仏像の中に、日本古来の神に僧形をさせたもの(神仏習合像とでもいうべきもの)があらわれるようになった。教王護国寺に伝わる僧形八幡三神像は、その最も古いもので、かつ神仏習合像の代表的な作品でもある。

農家の少年:モディリアーニの肖像画

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南仏でのモディリアーニは、近所のごく普通の人たちをモデルにして肖像画を描き続けた。それには友人・知人たちに対するような遠慮がなかったので、モディリアーニは自分の画想を純粋に絵の中に定着することができた。実際、南仏時代に描いた肖像画からは、のびのびとした雰囲気が伝わってくる。

縮図:新藤兼人の世界

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新藤兼人の映画「縮図」は徳田秋声の同名の小説を映画化したものである。日本の自然主義文学の最高傑作との評価が高いこの小説を、筆者はまだ読んだことはないが、読んでいなくとも、映画の鑑賞の上ではあまり問題はないようだ。というのも、新藤はこの小説をそのまま映画化したわけではなく、そのサブプロットのひとつを生かしたにすぎず、しかも、かなり自在に自分の思いを盛り込んでいるようだからだ。

運命と性格:ベンヤミンの初期思想

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ベンヤミンの初期のエッセイ「運命と性格」は、いろいろな点でその後に展開されるベンヤミンらしさを先取りしている。まず、非常に読みづらいという特徴が、早くもあらわれている。日本語訳で岩波文庫版12ページに過ぎないにもかかわらず、これを読み切るにはかなりの忍耐が必要だ。その難解さは、比喩的な表現を多用していること、その裏返しとして、厳密な用語の定義を踏まえずに、いきなり聞きなれぬ言葉が概念をまとった状態で縺れ合うといった観を呈していることによる。

貞観彫刻13:教王護国寺の五大明王像

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(教王護国寺講堂不動明王像、木造彩色、像高173cm)

明王信仰は密教の登場に伴って生まれたもので、したがって明王像も平安時代以降に現れる。教王護国寺講堂に伝えられている五代明王像は、明王像の中でも最も古いものである。不動明王を中心にして、降三世、軍荼利、大威徳、金剛夜叉の諸明王が阿取り囲むようにして立っている。いずれも、真言呪文の力を象徴する憤怒相である。

初貶官過望秦嶺:白居易の七言絶句

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元和十年(815、45歳)、白居易は江州司馬に左遷された。理由は、越権行為であった。宰相の武元衡が不審な殺され方をしたのに対して、当時太子左賛善大夫という官職にあった白居易は、真相究明を求める上疏をしたのであったが、諌官でもないのにそういう行為に及んだのは越権行為だとして罪に問われたのであった。(もっとも表向きの罪状は別件であったらしい)

ウクライナでのマレーシア機撃墜の謎

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親ロシア派が支配するウクライナ東部で、オランダを出発してマレーシアに向かっていた航空機が撃墜され、300人近い乗客乗員が犠牲になるという事件が起きた。ことがことだけに、世界中が大騒ぎになっている。処理を間違えると、とんでもないことになりかねない。

父子関係の取り消しを求めて争われていた三つのケースについて、最高裁の判決が出た。三つのうち二つのケースは、母親と子どもの側から提訴されたもので、いづれも、現在は子どもの血縁上の父親と母子が一緒に生活をしている事態を踏まえ、法律上の父親との間の父子関係の解消を求めたものだ。他の一つは、法律上の父親から出されたもので、自分と血の繋がっていない子どもとの間の父子関係の解消を求めたものだ。このいづれのケースについても、最高裁は父子関係の取り消しを認めなかった。その主な理由は、子の身分の保障という。

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1918年の春、モディリアーニはジャンヌと共に南仏に向かった。ひとつには戦争が激化し、パリにいることが危険になってきたので、疎開するという意味があった。もうひとつには悪化する一方の健康という問題もあった。結核に苦しんでいたモディリアーニにとって、南仏での生活は転地療養の意味もあった。そうすすめるゾボロフスキー夫妻ともども、モディリアーニは南仏への移動を決意したのだろう。1919年の初夏まで、モディリアーニはおもにニースで暮らすのである。

川内原発は世界一安全か

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鹿児島県にある九州電力川内原発1、2号機について、原子力規制委員会が新たな規制基準に適合すると判断した。安倍政権は、「規制委が基準に適合すると認めた原発は再稼働を進める」という方針を出しているので、今後、地元の理解が得られれば、再稼働すると思われる。いまのところ、鹿児島県や薩摩川内市は再稼働に前向きな姿勢を示している。

貞観彫刻12:教王護国寺四天王像

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(教王護国寺四天王像のうち持国天像、木造、183cm)

教王護国寺の四天王像も、奈良時代以前の四天王像と比較して、インド的と思われる荒々しさに満ちている。本来普通の表情をしているはずの広目天、多聞天も荒々しい表情をかもし、憤怒相の持国天、増長天に至っては、その荒々しさが並み外れている。

アーレントとマルクスの労働観

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アーレントの政治思想の基礎付けともいうべき「人間の条件」についての考察を、彼女はマルクスとの鋭い対立を意識しながら展開している。マルクスの人間観の基礎には、労働を人間の本質とみなす考え方があったわけだが、彼女はその考え方を正面から否定して、労働は人間の本質どころか、人間の諸活動のうちもっとも程度の低い活動なのであり、したがって自由な人間ではなく、奴隷が従事するのに相応しいと断言したのである。

原爆の子:新藤兼人の映画の世界

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新藤兼人の映画「原爆の子」は、原爆災害を正面から取り上げた世界で始めての映画である。この映画は日本公開の翌年(1953年)にカンヌ映画祭に出品されたが、アメリカの対日感情の悪化を恐れた日本の外務省が、何かと妨害工作をしたというのが語り草になっている。その後、英国アカデミー賞を始め数々の賞を取り、原爆をテーマにした映画の古典として、いまでも上映されている。

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(教王護国寺梵天像、木芯乾漆造、像高100cm)

教王護国寺(東寺)は、京都における真言密教の大本山であり、密教美術の宝庫といえるほど、多くの貴重な美術品が残されている。この寺の圧巻はなんといっても両界曼荼羅図であるが、彫刻も天部や明王の像に見るべきものが多い。なかでも梵天・帝釈天像は、その原形的なイメージをもっとも忠実に表現したものとして貴重である。

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ブレーズ・サンドラールはスイス生まれの詩人で、美術にも深い理解があった。モディリアーニとは1917年に知り合い、夫妻で交際するようになった。後に、モディリアーニを含めたベル・エポックの作家たちとの交流を、回顧録の形で出版している。

谷津バラ園:水彩で描く日本の風景

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千葉県の習志野市にある谷津バラ園は、かつては谷津遊園といった広大な遊園地の一角にあった。その遊園地は、海水浴場を売り物にして、それに付随して子どもの遊戯施設などがあった。バラ園もそんな付随施設の一つだったわけだ。その後、谷津遊園の本体と言える部分は無くなってしまったが、バラ園だけは残されて、いまでも花好きの人々を引きつけている。

永遠回帰:ニーチェの思想

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「永遠回帰」は、ニーチェの思想の中で最もわかりにくいものだというふうに、少なくともニーチェと同じヨーロッパ人によって受け取られてきたし、現在のヨーロッパ人の多数にとっても事情は変わらないだろうと思う。時間が永遠に回帰するなどという言い分は、時間には始まりがあり、したがって終りもあると考えるキリスト教文化圏の人々にとって理解しがたい考えに違いない。

貞観彫刻10:法性寺千手観音像

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(法性寺千手観音像、木造、像高110cm)

法性寺千手観音像は、法華寺十一面観音像と同じく、壇像様式の仏像である。これは、サクラ材を用いている。しかも、合掌手や宝鉢手も同じ材を用いて継ぎ足してある。腕は実際に千本あるわけではないが、一本一本が丁寧に彫られてある。

不致仕:白楽天 秦中吟十首から

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秦中吟十首は、新楽府五十首とともに白楽天の風諭詩を代表するものである。同じく風諭詩でも、新楽府のほうが音楽の伴奏にあわせて歌うべきとされているのに対して、秦中吟はすべて五言古詩である。そのため、新楽府に比較していささか堅苦しさを感じさせる。作られたのは、新楽府より後、元和五(810)年ころとされている。この年の五月に白楽天は、京兆府戸曹参軍となっているから、そこへ赴任する以前に書かれた可能性が高い。ここでは、その第五首「不致仕」を紹介したい。

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レオポルド・ズボロフスキーは、1914年に文学を学ぶためにパリにやってきたが、生活費を稼ぐために本や版画の販売を手掛けていた。その彼がモディリアーニと知り合ったのは1916年のことである。どういうわけか、ズボロフスキーはモディリアーニがすっかり気に入って、以後妻のアンナともどもモディリアーニの生活の援助をするとともに、モディリアーニがジャンヌと暮らすようになると、二人の面倒を一緒に見てくれた。

安倍政権でやりたい放題の官僚たち

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安倍政権が国権的色彩の強い政策を次々と打ち出しているのをよいことに、国家権力の担い手たる官僚たちの攻勢が目立ってきている。秘密保護法の作成過程では、国家秘密と称して、情報を事実上官僚の手に独占することに成功したし、集団的自衛権の解釈見直しの過程を通じては、官僚が外交上の切り札を手にすることに成功した。そして今回は、警察や検察の捜査についての議論を巡って、司法取引や通信傍受の分野で、官僚の権力を更に強化するような動きが露骨に見られる。

貞観彫刻9:法華寺十一面観音像

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(法華寺十一面観音像、木造、像高100cm)

奈良の法華寺は、総国分尼寺として奈良時代に作られたものだが、本尊の十一面観音像は平安時代になってから作られた。貞観彫刻を代表するもののひとつである。檀像様式の傑作だが、材料にはカヤ材を用いている。檀像様式とは、本来は白檀を用いるが、日本には産しないので、かわりにカヤやサクラなどが用いられた。材質の堅さが特徴である。

人間の条件:アーレントの政治思想

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「人間の条件」という日本語は、人間が人間であるために必要な前提条件といった意味合いに聞こえるが、アーレントはこの言葉を、かならずしもそういう意味合いで使っているのではないようだ。この言葉の英語の原文は Human Condition であり、文字通り訳せば「人間的な条件」ということになる。人間には生き物として動物と共通の側面もあるが、人間特有の生き方というものもある。そうした人間の生き方を人間らしくさせているもの、それをアーレントは「Human Condition(人間の条件)」といっているようである。

奇妙な理屈:経団連が軽減税率に反対

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消費税を10パーセントに上げるタイミングで、自民党と公明党からなる連立政権は、食品など一定の分野に軽減税率を導入することを方針として掲げている。そこで、その方針を具体化するために、経団連を始め、50ほどの業界代表から意見を聞く機会を設けたところ、経団連は軽減税率自体に反対する意向を示したそうだ。このこと自体は、別に不思議でも何でもないが、不思議に思われたのは、彼らがその根拠として示した理屈だ。軽減税率を導入すると、金持もその恩恵にあずかることになる。だから、そんな金持ち優遇の措置は、やめるべきだ、というのである。

地獄門:衣笠貞之助の映画

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衣笠貞之助の映画「地獄門」は、黒澤明の「羅生門」、溝口健二の「雨月物語」とともに、国際映画祭でグランプリを受賞した最初の日本映画のひとつとして、映画史上重要な意義をもっているが、その割には、作品の価値が高いとは、どうも思えない。日本の時代劇映画としては、とりわけ個性的というわけでもなく、また趣味がいいわけでもない。というより、悪趣味に堕した映画だとさえいえる。それがなぜ、国際的な評価を得たのか。

貞観彫刻8:観心寺如意輪観音像

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(観心寺如意輪観音像、木芯乾漆造、像高108.8cm)

大阪観心寺の如意輪観音はながらく秘仏とされてきたおかげで、極めて保存状態が良い。損傷はほとんど見られず、彩色も鮮やかなままである。貞観彫刻の全盛期承和年間(834-847)の傑作のひとつであるが、同時代の神護寺五大虚空蔵菩薩像と比較すると、技巧的な装飾性はあまり感じさせず、全体に大らかな印象を与える。しかし、ボリューム感のある体躯や、緊張感を漂わせた面相などに、貞観彫刻の特徴を強く感じさせる。

横たわる裸婦:モディリアーニの裸体画

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1917年の12月に、モディリアーニは最初でかつ最後となる個展を開くことになった。会場はオペラ座近くにあるベルト・ヴェーユの画廊だった。ヴェーユは当時有名な画商であったが、そこに目をつけたズボロフスキーが、ヴェーユの力を借りてモディリアーニの売り込みを図ったのだと言われる。この個展には、その年を通じてモディリアーニが描いてきた多くの裸婦像が展示された。

ピクニック:行田公園2

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船橋の行田公園で見かけた子どもたちのピクニックの様子、その第二段。広大な芝生の広場にはところどころ大きな木が立っていて、暑い日には、涼しげな日陰を差し伸べてくれる。

ニーチェの超人

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既存のあらゆる価値の転倒の先にニーチェが持ち出した新たな価値あるものとは、「超人」の理念と「永遠回帰」の思想であった。どちらも既存のヨーロッパ思想の対極にあるものだ。「超人」とは、キリスト教道徳が教える望ましい人間像とは正反対に位置する「悪人」の典型ともいうべきものであり、「永遠回帰」のほうは、キリスト教的世界観が依拠する直線的でかつ進歩的な時間概念に真っ向から対立するものであった。つまり、既存のあらゆる価値を否定したニーチェにとっては、それらの既成の価値において究極の「反価値」とされたものを、新たな価値として持ち出さざるをえなかったということだろう。

貞観彫刻7:神護寺五大虚空蔵菩薩像

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(神護寺五大虚空蔵菩薩像、木芯乾漆造、像高はそれぞれ94-98cm)

神護寺の五大虚空蔵菩薩像は、承和年間(834-47)の末頃に、仁明天皇の発願により、空海の弟子真済が作ったとされる。虚空蔵菩薩は、胎蔵界曼荼羅の虚空蔵院の主尊であり、密教では重視される菩薩である。それが五大虚空蔵菩薩となるのは、虚空蔵菩薩の五つの知恵をそれぞれあらわしたものとされる。(上の写真左から、金剛、業用、法界、蓮華、宝光の各虚空蔵菩薩)

鹽商婦:白居易を読む

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白楽天の「新楽府」から「其三十八 鹽商婦」壺齋散人注

  鹽商婦 多金帛   鹽商の婦 金帛多し
  不事田農與蠶績  田農と蠶績とを事とせず
  南北東西不失家  南北東西 家を失はず
  風水爲鄉船作宅  風水を鄉と爲し 船を宅と作す
  本是揚州小家女  本は是れ揚州小家の女
  嫁得西江大商客  嫁し得たり西江の大商客
  綠鬟溜去金釵多  綠鬟溜り去って金釵多く
  皓腕肥來銀釧窄  皓腕肥へ來って銀釧窄(せま)し
  前呼蒼頭後叱婢  前に蒼頭を呼び 後に婢を叱る
  問爾因何得如此  爾に問ふ 何に因て此くの如きを得たる
トニー・ブレア英元首相が、エジプトの大統領になったアル・シーシに対して、経済成長に向けてアドバイスすることを申し出ているというので、ちょっとした騒ぎになっている。彼の出身母体は英労働党だ。労働党はどちらかというと人権に敏感な政党なので、人権蹂躙を批判されているアル・シーシに手を貸すこと、それも経済顧問のような真似をすることは、労働党の関係者としてやめてほしいというのだ。

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1917年の夏頃、モディリアーニはジャンヌ・エビュテルヌに出会った。その頃ジャンヌは美術学校の学生だったのだが、学校のモデルの女性を通じてモディリアーニに紹介されたのだった。その時ジャンヌは19歳、モディリアーニは33歳だった。二人はたちまち恋に陥り、グランド・ショーミエール通りのアパルトマンで一緒に暮らし始めた。

麻生太郎副首相のいじめ談義

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先日、麻生太郎副首相が、いじめについて持論を展開し、「学校で一番いじめられるやつっていうのは、けんかは弱い、勉強もできない。しかも貧しい家の子」といったというので、ちょっとした話題になった。麻生副首相は、こういうことで、日本も外国から喧嘩が弱いと思われたらいじめられるから、喧嘩が強いんだということをわからせなければならない、という意味のことを言いたかったのだろう。

ハンナ・アーレントは、早い時期から日本に紹介され、「全体主義の起源」を始めとした主要著作もほとんど翻訳されてきたが、そのわりには、いまひとつ評価が芳しくなかった。彼女は日本では、保守的な思想家として受け取られ、広範な読者を獲得することがなかったからだろう。ところが、最近になって、日本でも幅広い層に読まれるようになってきた。

解釈改憲を語る:三粋人経世問答

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無覚先生:安倍政権がついに集団的自衛権の行使を容認することについて閣議決定しましたね。色々批判的な意見があったなかで、十分な議論を尽くすことなく、それこそあっという間と言ってよいほどの短期間で、従来の政府がとってきた憲法解釈を、180度転換しました。そのことによって、少なくとも内閣の姿勢としては、いつでも集団的な自衛権の発動が可能になる。これについては、憲法を無視するものだとか、これまでの国是である平和主義を捨てるものだとか、批判的な意見がある一方、日本の安全保障と言う点から、評価する見方もある。さて、皆さんはどのように評価しますか。

煙突の見える場所:五所平之助の映画

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五所平之助は、戦前から大家と呼ばれた作家で、日本の映画監督としては珍しく、青春映画や若い男女の恋愛を描くのが得意だった。川端康成原作の「伊豆の踊子」はその代表作とされる。伊豆の踊子には、小柄な田中絹代がまだあどけなさの残る踊り子役を演じたと言うが、田中絹代はこのほかにも、多くの五所作品に出演している。

貞観彫刻6:宝菩提院菩薩像

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(宝菩提院菩薩像、木造、像高124.5cm)

京都の宝菩提院は東寺の塔頭の一つであったが、一時期荒廃した後、現在では願徳寺と名を変えて再興した。その本尊とされるものが貞観彫刻の傑作といわれる菩薩半跏像である。美術史上では宝菩提院菩薩像として知られる。

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