ガザのホロコースト:イスラエルの「正しくて血なまぐさい」行為

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無抵抗な人々を、有無を言わさず大量に殺すことを「ホロコースト」というとすれば、いまイスラエルがガザの市民相手に行っていることが、まさにそれだ。ユダヤ人はかつて、ナチスによって、有無を言わさず大量に殺されたわけだが、それと同じようなことを今、イスラエルのユダヤ人がガザの市民を相手に行っている。これを、ホロコーストといわずして、何といったらよいのか。

しかし、世の中は色々な理屈が成り立つようで、イスラエルの行為は正義の戦争だが、それにしても少し血なまぐさいかもしれない、という人々がいる。アメリカの大多数の人々だ。彼らは、オバマ大統領を先頭にして、イスラエルの行為は自衛のための戦いであり、なにも好き好んでガザの市民を殺しているわけではないと、イスラエルの人々にかわって弁明している。イスラエルは、アメリカから大目に見てもらえる限りは、パレスチナ人を相手に多少残酷なことをしても大丈夫だろう、と思っているフシがある。

たしかに、今のところは、アメリカの理解さえあれば、パレスチナ人相手に多少残酷なことをしても、すれで済むだろう。なにしろ、イスラエルは、パレスチナとその同情者たちに対して、戦力の面では圧倒的な優位に立っている。通常兵器の面でもそうだし、核兵器の面でも非対称的な優位に立っている。この優位が保障され、しかもそれがアメリカから大目に見てもらえる限り、イスラエルは、パレスチナ人に対して、好き放題なことができる立場にある。

しかし、そんな立場が果して、永久に続くものだろうか。いつか、イスラエルとパレスチナの軍事的なバランスが崩れる日が来ないとも限らないのではないか。それがたとえ、何百年後のことだとしても、来ない確率より来る確率の方が圧倒的に大きい。そうなった時に、イスラエルには、どんな運命が待ち受けているか、小学生の頭でも考えられることだろう。

イスラエルがパレスチナ人相手にホロコーストを積み重ねるたびに、パレスチナ人やその同情者たちの胸には、イスラエルに対する憎しみが蓄積されていく。その憎しみは、イスラエルとパレスチナをとりまく軍事的・政治的条件が劇的に変化した時に、イスラエル人にとって、それこそ破滅的な結果をもたらすに違いない。

何故なら、憎しみが生み出すのは、もうひとつの憎しみにほかならないからだ。






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