平等院鳳凰堂:平安時代後期の寺院建築1

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(平等院鳳凰堂)

宇治の平等院が立っている地には、もともと藤原道長の別荘があり、宇治殿と呼ばれて遊興の場として使用されていた。それが、道長の子頼道の時に、平等院と名づけられ、本堂が供養された(永承七<1052>年)。この本堂は、法成寺同様に大日如来を本尊としていた。しかして、その翌年の天喜元年(1053)に、阿弥陀如来を安置する阿弥陀堂が作られた。それが今日、鳳凰堂と呼ばれるものである。

平等院の伽藍配置は法成寺とほぼ同じである。池を掘り、それに面して本殿などの主要な建物を配する。その配置のさまは、寝殿造りの貴族の邸宅を思わせる。おそらく寝殿造りが基本となって、寺院がその様式を取り入れたのだと思われる。このような寺院建築の様式は、浄土様式と呼ばれる。

鳳凰堂の建物は中堂と両翼部からなる。中堂は積基壇の上に立ち、入母屋造りの屋根の下に裳階をつけた構造である。本体部分は三手先斗栱を持ち、裳階の部分は平三斗を持つ。

左右の翼部は、高覧をめぐらす楼づくりになっており、先端に出組斗栱を持つ楼閣を乗せている。楼閣は方丈造りの屋根を持ち、その下に切妻の屋根を配している。

以上のような眺めは、浄土曼荼羅に見える極楽浄土の宝楼閣を模したものだとされている。藤原時代の貴族たちにとって、阿弥陀堂そのものが疑似的な極楽浄土とされていたのである。

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