クレーの天使

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パウル・クレー(Paul Klee 1879-1940)は1921年に「新しい天使」と題した一枚の絵を描いた。紙に描いた線描画に簡単な水彩を施した絵だ。この絵をヴァルター・ベンヤミンが購入し、終生それを離さずに大事にしていたことはよく知られている。ベンヤミンは、この絵の中の天使を「歴史の天使」と自分なりに名づけ、そこに哲学的な思いを込めたのであったが、ナチスからの逃避行の最中にいよいよ死を覚悟したベンヤミンは、これをイスラエルにいる友人ショーレムに届けてもらうよう、知人に託したのであった。それゆえその絵は、いまでもイスラエルにある。

クレー自身がこの絵を、どのような意図で描いたのか、詳しいことはわかっていない。しかし、クレーは、1939年すなわち死の前年にも、天使の絵を多数描いた。それらはほとんどが、単純な線からなる線描画で、色は施してはいない。

これらの天使たちが、なにを訴えているのか、それもよくはわからない。クレーは晩年ナチスによって迫害され、生まれ故郷のスイスに亡命した。ナチスはクレーの絵を「退廃芸術」と決め付け、ドイツ国内で展示されていた彼の絵をことごとく没収したのだった。

そんな境遇の中で、病気がちのクレーが、死を予感しながら描いたのが、これら一連の天使の絵だったわけである。これらの天使たちには、それぞれ題名がつけられているので、或る程度のことは推測できるが、それらを描いた詳しい意図まではわからない。

天使というものは、人間と神との中間の生き物であり、神の意を人間に伝える一方、人間の罪を神に報告するものとも解釈された。それゆえ、天使が人間にとって持つ意味は、複雑なのである。クレーはそんな天使の複雑な性格を、一枚一枚の天使の絵の中に、さまざまな視点から盛り込んだのではないか。したがってこれらの絵は、天真爛漫さよりも、諧謔を感じさせるようだ。

ここでは、そんなクレーの晩年の天使の絵を中心にしながら、天子とかかわりのありそうな絵もとりあげて、クレーの天使観みたいなものを読み解いていきたいと思う。(なお、それぞれの天使の絵をもとに、日本の詩人谷川俊太郎が詩を書いて、「クレーの天使」という題名の一冊の本にまとめている)


最初に紹介するこの絵には、「天使というよりむしろ鳥(mehr Vogel als Engel)」という題辞がつけられている。天使の巨大な耳が翼のようにも見えることから、このようにいったのであろう。

天使は前脚を踏ん張って、翼の重みに耐えているかのようである。両目を閉じ加減にしているのは、おすまししているつもりなのか、あるいは目の前にある光景を見たくないからなのか。

しかし、ちょっと待てよ。題名に惑わされて、変なことを連想してしまったが、天使には本来翼がつきものなのだし、空を飛ぶという点では、鳥と異ならない。だから、いまさら、この天使が鳥に似ていることに驚く必要はなかったのだ。








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