クルーグマンとアベノミクス

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ポール・クルーグマンがアベノミクスを高く評価していることはよく知られている。アベノミクスとは周知のように、長州人安倍晋三の面目躍如たる三本の矢からなっている。大胆な金融緩和、積極的な財政出動そして成長戦略だ。このうちクルーグマンが評価するのは最初の二本の柱だ。それに対して三本目の柱は、クルーグマンではなく、クルーグマンの敵対者たるサプライサイド・エコノミストたちによって評価されている。ある種のねじれ現象を引き起こしているわけだ。

このうち、今の所もっとも効果を発揮していると思われるのは財政出動による景気刺激効果だ。財政出動はその分だけ有効需要を増やすから、景気を刺激する効果をもつことは以前からよく知られていたことだ。それがアベノミクスでも実証されたということだ。しかし、その効果が十分なものなのか、また今後も持続することが期待できるのか、については議論のあるところだ。

一方、金融緩和については、アベノミクスは二重の期待を込めていた。ひとつは、異次元緩和と言われるような大規模な流動性の提供を通じて投資を刺激しようというもの。もう一つは、インフレ期待を高めることでデフレからの脱却を図ることだ。こちらのほうは、どうも期待どおりには進んでいないといえる。

一番理想的なシミュレーションは、財政出動によって景気が上向き、そこに金融緩和が重なって投資を活発化させ、それによって経済全体が活性化して、物価も賃金も上昇傾向に転じるということだったと思うのだが、現実はこのシミュレーション通りには進んでいないということだろう。つまり、財政出動によって新たな雇用は生まれたが、それは産業分野の面でも規模の面でも限定的なものにとどまっている。したがって、金融緩和によって流動性を増大させても、それが投資の全面的な増大につながらない。日銀が市場に垂れ流した流動性は、有効に使われることなく、金庫の中で眠ったままというわけだ。

こんなわけだから、アベノミクスが最も期待していたインフレ期待とそれによるデフレからの脱却も見通しがつかない。インフレというものは、前稿でも指摘したように、経済の過熱の結果起こるもので、流動性の増加があったから起こると言ったものではない。

そこで、気になるのは、規模が制限されているとはいえ、景気の動向が今後も今の勢いで持続できるかということだ。財政出動をいまの規模かそれ以上の規模で続ければ、それに見合った景気刺激効果は持続するだろう。しかしそれまでの話だ。何かの事情で財政出動をやめれば、その途端に景気は減速すると思われる。クルーグマンの主張の要点は、財政出動によって景気が上向けば、それによって将来へ向かって景気に加速がつき、不況は自然と終わるはずだというものだ。しかしどうもそうはならないのではないか、というのが本当のところではないか。経済が成熟して飽和状態になった段階では、余程のことがないかぎり景気が拡大するということは期待できない。その余程のことというのは、イノベーションなどによって人々の欲望を刺激するような新しい商品が生まれ、それへの需要が高まって経済を活性化させるというような事態だ。

ここで三本目の矢である成長戦略が問題になるわけだ。成長戦略とは、文字通り経済を成長させるための戦略だが、その基本は、上述したようにイノベーションによる新しい商品の開発である。新しい商品が生まれて人々の欲望を刺激する。それが経済を活性化させる。実際過去の景気上昇トレンドを見ても、その影には技術革新の進展と言った事態があった。高度成長期には家電や自動車が人々の欲望を刺激し、20世紀末にはIT産業が人々の欲望を刺激した。それに匹敵するようなイノベーションが無い限り、経済の拡大と言うこともありえないというべきだろう。

ところがアベノミクスのやっていることは、規制緩和だとか労働力の流動化だとか、要するに企業の生産能力を高めようとするような、いわゆるサプライサイド・エコノミーとよばれるような政策だ。だがこうした政策はイノベーションにはつながらない。せいぜい供給能力を増やすだけだ。だがいくら供給能力を増やしても、それを買ってくれる者がいなくては、何の意味もない。その無意味なことばかりをアベノミクスは追及している。どうも、そんなふうに見える。

こんなわけで、アベノミクスの目下の状況を簡単に言えば、自転車操業ということになる。景気を維持するためには絶えず財政出動をしなければならない。だが日本の政府には長期的に財政出動を続けて行けるだけの体力があるわけではない。そこで、借金をしたりインフレ誘導アナウンスをしたりして、なんとかごまかしながら走り続けようとしている。それはまさに自転車操業のイメージに近い。

ともあれ、いまの世界経済でクルーグマンの理論を掛け値なしに実践している国は日本の外にはないといってよい。だから、その結果がどうなるかは、クルーグマンの面子にかかわることだといってもよい。







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