モンスター力士逸の城の登場

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大相撲の九月場所は、久しぶりにテレビに釘付けになった。モンスターと呼ばれる新入幕の力士が、三役や横綱を次々とやぶり、あわや100年ぶりの新入幕力士の優勝かと騒がれる事態にまで発展したからだ。話題の主人公はモンゴル出身の逸の城。初土俵からまだ五場所目と言うのにこの快進撃だ。まさにモンスターというに相応しい。

とにかく強いの一言に尽きる。大関の稀勢の里を難なく破ったかと思えば、横綱の鶴龍まで簡単に倒した。どちらが横綱かわからないほど見事な勝ちっぷりだった。その強さを見せつけられた筆者は、大鵬が新入幕したときのことを思い出した。大鵬も新人離れした見事な勝ちっぷりで、相撲ファンの域を超えて日本中を興奮させたものだ。今場所の逸の城を見る限りでは、大鵬以上の逸材になるだろうという予感を抱く。

その逸の城を横綱の白鳳が破った。白鳳は逸の城の挑戦を退けて、千代の富士に並ぶ31回目の優勝を決めた。その試合はまさに、白鳳の横綱相撲と言ってよかった。こういう相撲を取るために横綱というものはあるのだ、ただ単に番付の最上位と言うことではない、自分の名声を裏切らない相撲をとること、それが王者の宿命なのだ、ということを白鳳は我々相撲好きの日本人に思い出させてくれた。

白鳳にしろ逸の城にしろモンゴル出身の力士だ。また三人いる横綱のうち残りの二人もモンゴル人だ。これをどう見るかはなかなか難しいことだ。なかには外国人による相撲界の席巻を嘆かわしいことだと思う日本人もいるようだが、筆者はそうは思わない。相撲が一面で儀式的側面をもっていることは筆者も認めるが、そしてその限りでは日本人中心であるべきだとは思うが、相撲は同時にスポーツとしての側面も持っている。というより、現代日本において相撲が国民の支持を集め、国民的行事として発展していくためには、スポーツとしてやっていくより以外にはありえないだろう。そうだとすれば、力士の国籍にこだわるのは、偏狭な態度と言わねばなるまい。

それを踏まえた上で、やはり、日本人に頑張ってもらい、是非横綱になってもらい、外国人力士と対等に勝負してもらいたい、というのが筆者の望みだ。

ところで、逸の城が新入幕優勝をすれば実に百年ぶりの快挙だというので、歴史を調べて見たら、百年前の1914年(大正三年)に、両国梶之助という力士が新入幕優勝を果していた、ということがわかった。両国と言う四股名は相撲界の名跡の一つだそうで、平成に入ってからもこれを名乗った力士がいた。






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