宝暦二年(826、55歳)の秋、白居易は病を理由にして蘇州刺史の地位を辞し、洛陽の自宅に戻った、その翌年(太和元年)、秘書監を授けられたが、これは閑職といってよかった。その後、刑部侍郎の職を経て、太和二年には太子賓客として再び洛陽に隠棲。以後名目上の職につくことはあっても、実質的には隠居状態が続く。このように、白居易は五十台半ばにして、官僚としてのコースから外れてしまったのである。それも自らの意思で。
太和五年(831)正月、白居易は六十歳になった。それを記念して白居易は「耳順吟」を作った。いうまでもなく、論語の一説から題をとったのである。
三十四十五欲牽 三十四十は五欲に牽かれ
七十八十百病纏 七十八十は百病に纏はる
五十六十卻不惡 五十六十は卻て惡しからず
恬淡清淨心安然 恬淡 清淨 心安然たり
已過愛貪聲利後 已に愛貪聲利を過ぐるの後
猶在病羸昏耄前 猶ほ病羸昏耄の前に在り
未無筋力尋山水 未だ筋力の山水を尋ぬる無きにあらず
尚有心情聽管弦 尚ほ心情の管弦を聽く有り
閑開新酒嘗數醆 閑かに新酒を開いて數醆を嘗め
醉憶舊詩吟一篇 醉うて舊詩を憶ひ一篇を吟ず
敦詩夢得且相勧 敦詩 夢得 且つは相ひ勧めよ
不用嫌他耳順年 用ひず 他の耳順の年を嫌ふを
三十四十は五欲に心をひかれ、七十八十は百病に苦しむ、五十六十がちょうどよい、恬淡として清淨心を保ち、安らかな気持ちでいられる(恬淡:無欲で淡白なこと)
すでに名利の念も無くなり、かといって老耄するには到っていない、山水を訪ねるだけの筋力も残っているし、管弦を聴く心のゆとりもある(愛貪聲利:名利をむさぼり求めること、病羸昏耄:病みつかれ耄碌すること)
静かに新酒を開いて数杯飲み、酔えば昔の詩を思い出して吟詠する、敦詩よ夢得よ、一緒に飲もうではないか、なにも六十になったからといって悲観するには及ばない(敦詩:友人崔群の字、夢得:劉兎錫の字)
詩中敦詩と夢得に呼びかけているように、これは二人の友人崔群と劉兎錫に贈った詩。二人とも白居易と同年齢であった。
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