人道は死語になった?

| コメント(0)
人道は死語になった、こういって嘆いているのは鋭い時評で定評のある作家高村薫さんだ。高村さんは、最近世界で立て続けに起きている紛争を前にして、人道に反した行為がなぜこうもまかり通っているのか、読書誌「図書」への投稿の中で、疑問を投げかけているのだ(「この夏に死んだ言葉」図書2014年10月号)。

中東のガザ地区では、イスラエルとハマスの戦闘開始からわずか一か月足らずで1800人以上の人が犠牲になり、イラクでは国家が分裂状態になり、ウクライナでは親ロシア派との間の戦闘が続き、シリアでは一万人以上の反体制派が拷問死した。こういう状況を見るにつけ高村さんは、世界は一体どうなってしまったのかと、疑問を投げずにはいられないのだという。

「第二次世界大戦後の世界各国は唯一、『人道』を共通の旗印にして、かろうじて結束してきた」のではなかったのかと高村さんはいう。そして、「旧セルビアのミロシェビッチ元大統領やカンボジアのポルポト派が、国際戦犯法廷や特別法廷で『人道に対する罪』に問われたのは、単に欧米各国による恣意的なポーズだったのだろうか」とも高村さんは指摘して、改めて「人道は死語になったのだと思う」と嘆息しているわけなのである。

たしかに今の世界は、つい最近まで熱心に語られていた「人道」とか「民主主義」とかいった理念が色あせてきていると思えないでもない。こうした理念は人類共通の普遍的な理念とされ、世界が一致してまとまっていくうえでの指導理念とされてきた。国連が国際的な連帯の機関として成り立つのも、こうした理念の支えがあるからこそだろう。

その理念が色あせて、むき出しの権力闘争がまかり通るようになれば、世界は一昔前の弱肉強食の原野と化していくだろうと思える。でも、それでいいのか、というのが高村さんの問題提起なのだろう。

「人道は死語になった」というのは聊かショッキングな物言いではあるが、そこに込められた高村さんの危機意識を読み取れば、聞き過ごすべき言葉ではないと思う。





コメントする

アーカイブ