三島由紀夫の憂国:西部邁、佐高信「難局の思想」から

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三島由紀夫は、人によって好き嫌いがはっきりと別れる作家だと思うのだが、佐高も西部も苦手だといっている。嫌いではないのだが好きでもない、苦手だというのだ。苦手とはどういうことかいまいち判然しないが、要するにかかわりになりたくないということだろう。三島を材料にして何かいうと、変な方向から余計なリアクションが返ってくる。それをまともに相手にしていると非常に疲れる。だから触らぬ神に祟りなし、という態度をとりたくなるらしい。

この二人の対談はどちらかというと、自分たちの好き嫌いの感情をものごとの判断の基準にして喋り捲っているところがあるので、このように苦手な人間を相手にものをいうというのは、なかなかやりにくかっただろう。実際、三島を語るときの彼らの語り口には、何を言いたいのか判然しないところがある。

そんな中で、三島の鬱屈した行動を説明する一つの手がかりとして、三島が戦争に行かなかったという事実を、佐高が持ち出しているところが気になった。佐高はこのことを、城山三郎の発言から引っ張り出してきているのだが。たしかに三島は大正14年の早生まれで、普通なら戦争に行っていなければならなかった立場にあった。それを逃れたのは、高級官僚だった父親の差し金らしいが、三島はこのことを、自分の生涯の汚点として、気に病んでいたのではないか。彼の行動の異常なところは、この兵役逃れのコンプレックスから説明できるのではないか、といいたげなのである。

また、三島は国家を云々するのが非常に好きな男だったが、普通の右翼とは違って、愛国という言葉を使うのを嫌った。三島はその代わりに憂国という言葉を使った。憂国とは国を憂えるということである。

このことの背景にも、三島の兵役逃れへの自責が絡んでいるのではないか。二人はそのことをあからさまに語ってはいないが、行間からはそれが伝わってくる。三島は普通の若者のように国を愛することができなかった。本当に国を愛していたら、たとえ父親の差し金があったとしても、自分の意思で兵隊になっていただろう。国を愛すること切であった城山三郎少年の如きは、自分から志願して少年兵になったわけだから。

そこで、愛国という代わりに憂国ということになった。愛国とは人ないしその他の対象を心霊こめて愛することだ。愛する者と愛される者とは一体の関係にある。愛する者のためには自分の命を捧げてもよい。愛こそが自分の存在根拠なのだ。

ところが国を憂えるということには、そのような一体感は必要ない。外的な視点からでも、いくらでも憂えることはできるのだ。

しかし、三島は最後には、国のためといって自分で自分の命を奪った。やはり外的な視点から国を憂えていることに泰然自若としていられなくなって、国と一体化したいと希うようになったからではないか。それもやはり、兵役逃れのコンプレックスが働いた結果だといえなくもない。








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