それから:漱石を読む

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半世紀ぶりに漱石の「それから」を読んだ。半世紀前の筆者はまだ高校生だったわけだが、その高校生が「それから」を読んだ印象というのは、一途な恋愛を描いた単純な恋愛小説といったものだった。この小説の中で漱石が描いている恋愛感情を単純だと感じたのは、筆者が若すぎて、恋愛の何たるかについて、まだ十分な理解をもっていなかったからだろう。老年になって改めてこの小説を読んでみると、たしかに恋愛小説には違いないが、単純な恋愛を描いたものといえるほどに、単純なものではないということがわかった。

周知のようにこの小説は、ある種の不倫関係を描いたものである。一人の男が友人の細君に横恋慕し、挙句の果てにその女を横取りしようとする。これは、漱石がこの小説を書いた時代にあっては、公序良俗を破壊する反社会的行為とみなされていたから、当然のことながら、自分の家族を含めた社会というものから、猛烈なリアクションが来る。主人公の男とその思い人は、そのリアクションに敢然と立ち向かい、命を犠牲にしてでも自分たちの一途な思いを貫こうとする。こんなわけだから、これは大恋愛小説といってもよいような結構を備えているわけだが、その割には、恋愛一般が漂わせている、あの甘美な雰囲気が伝わってこない。伝わってくるのは、なにやらわけのわからぬ人間の情念だけだ、といった感もする。

筆者がわけがわからぬと感じた理由は、主人公代助の行動の不可解さにある。代助は友人平岡の妻美千代に対する恋愛感情が高まるのを感じ、それをどう扱ってよいか苦しむというのが、この小説の発端で、その苦しみをもたらす葛藤を、美千代を自分のものにすることで解消しようとする。彼が美千代を愛し始めたのは、昨日や今日のことではなく、代助がまだ学生の頃から彼女を愛しており、美千代のほうもまた、代助の自分に対する愛情を受け止めていたということになっている。それがどういうわけか、代助と美千代のいる空間に加わってきた平岡が、美千代を妻にしたいといったとき、代助は平岡の感情を尊重して、自分の美千代への感情を抑圧して、美千代を平岡に譲った。しかも、自分で平岡のために媒酌の労までとってやったのだ。

そんな経緯があったにもかかわらず、代助が再び美千代への思いを深めるのは、美千代が幸福でないと感じたからだということになっている。その挙句、美千代を幸福にできるのは自分だけだと考えるようになる。考えるだけならまだしも、自分の思いを美千代に打ち明けて、美千代も自分を愛していることを確かめた上で、美千代を自分の妻にすべく、平岡や自分の家族との戦いに入っていく。戦いというのは大げさな言い方ではない。当時の日本では、代助のしていることは姦通の片割れなのであり(姦通というのはもっぱら女の行為について言われた)、したがって社会の制裁を覚悟すべきものであった。その制裁に対して戦う覚悟ができていなければ、亭主持ちの女を自分のものにすることはできなかったのである。

姦通というのは世界中どこでもある話で、文学の分野でも姦通を題材にした小説はいくらでもある。フローベールの「ボヴァリー夫人」やロレンスの「チャタレイ夫人の恋人」などはその代表的なものだ。だが、この二つをはじめ、ヨーロッパの大方の小説にあっては、姦通というものは主として女の視点から書かれるのがふつうだ。姦通という概念が主に女を対象にしたものであることから、これはある意味自然なここともいえる。ところが漱石の場合には、その姦通を男の視点から描いている。そこがちょっと変わったところだ。

漱石がこの小説で描きたかったのは、男女の恋愛だったのだろうと思う。日本では、男女の恋愛をテーマにした文芸というものはなかなか根付かなかった。徳川時代に、近松が多くの心中物を描いたが、それはたしかに男女の恋愛を描いたものではあったけれど、主題は男女同士の愛というより、その愛を貫くために社会と戦わなければならなかったその理不尽さだったように思う。恋愛が恋愛として正面からまじめに取り上げられることはなかったのだ。西鶴の如きは、男女の性的関係は恋愛なしでも成り立ちうるものだというシニシズムに立っているくらいだ。

しかし何故漱石は、男女の恋愛を描くのに姦通という形を以てしたのか。これは漱石文学を読み解く上での大きな問いになるかもしれない。

代助という人物の造形も変わっている。漱石の小説に登場する人物の多くが、何も仕事をせずにぶらぶら暮らしているところから、高等遊民だなどという言葉がかぶされたことがあるが、代助はその名に相応しく何もしないで日々ぶらぶらしながら暮らしている。それが可能なのは、彼の実家が金持ちで、父親が息子の遊んで暮らすことを許しているからだ。代助の生活は父親の金で成り立っている。だから何らかの事情で父親の金がもらえなくなると、自分の生活に脅威を覚えなくてはならなくなる。そこのところが、ロシア文学に登場する遊民たちとは違うところだ。ロシア文学に登場する遊民たちは、地主や貴族の端くれで、自分自身生活の基盤を持っている。だから遊んでいられるわけだ。しかし代助には、そんな基盤はない。父親や兄の情けにすがって生きているだけだ。だから、代助が姦通の片割れを働き、社会の指弾を浴びるようなことになれば、親兄弟はあっさりと義絶することを選ぶだろう。実際代助が、社会のリアクションの中でもっとも困難なものと認識したのが、親兄弟からの義絶であったわけだ。この時代の社会の制裁は、最も身近な肉親を通してせまってきたというわけであろう。

代助は、毎日仕事もせずにぶらぶら暮らしていることについて、自分なりの理屈を持っている。ひとつは、食うために働くのは卑しいことだとする身勝手な理屈である。働かなくても食える人間は何も働かなくてもよい。仕事に費やす無駄なエネルギーを、もっと別の有意義なことに費やすほうが、よほど高等な人間である。自分は、幸いに働かなくても食っていけるのだから、無理して働かなくてもよいのだ、という理屈だ。しかしこの理屈では、理屈としてどこか薄弱なところがある。そこで、もう一つ別の理屈を設ける。それは、社会の堕落だ。いまの日本の社会は軽佻浮薄以外のものではない。欧化主義に毒されて日本古来の美徳を忘れ、人々は一様に拝金主義のような考えに毒されている。そんな社会と妥協するのは人間としての堕落だ、というような理屈である。

その堕落に陥っている人間の代表格が自分の父親だ、と代助は思う。この父親は、幕末から維新にかけて青少年時代を送った人物で、旧時代の古い道徳観念が染み付いているにもかかわらず、いまの世の中にうまく適応して、ひとかどの財産も形成した。そんな父親が、息子の自分に対して結婚を強要する。その結婚は父親一流の打算に裏打ちされてのものだ。相手の娘は自分の恩人の子孫で、この娘を嫁にすることはその恩人の恩に報いることなのだと古風な理屈を並べながら、実はその娘の財産にも強い関心を持っている。その娘の家は地方の大地主で、大地主と婚姻関係になればなにかと都合がよい、そんな思惑も持っているのだが、そうした打算的なところが代助には気に入らない。だがいまの世の中は、こうした打算でもしなければうまく渡っていけないのもまた事実だ。代助には、そんなところも世の中と妥協できない一つの理由になっている。

実家の人間たちの中で代助が一番気を許しているのは嫂だ。決して教養が高いわけでもなさそうだが、世の中を覚めた眼で見ることができ、なにかと代助の話し相手にもなる。嫂の存在は最後の小説「明暗」でも大きくとり扱われるようになるが、漱石は義理の弟と嫂という、ある種特別な関係に強い関心をもっていたのだろう。

代助は結局、嫂も含めた家族全員の期待に逆らって美千代と結ばれようと決心する。それは社会全体を敵にして戦うことを意味する。代助もそのことはよく理解している。だから彼の決意は悲壮な趣を呈する。漱石もそんな代助の悲壮な決意を、それこそ鬼気迫ったトーンで描いていく。

男女が結ばれることに、こんな悲壮感が伴うとは、他の国の文学では、ほとんどありえないことではないか。男女のこんな悲壮な間柄は、むしろ徳川時代の心中物と共通するところが大きい。







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