統制経済化するアベノミクス:労働市場への安倍晋三の介入

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昨日(11月19日)は、所謂アベノミクスが、「アホノミクス」から「ドアホノミクス」に進化したとの、経済学者浜矩子女史の説を紹介したところだが、筆者自身が最近の「アベノミクス」に抱いている印象は、どうも統制経済を狙っているのではないか、というものだ。

統制経済というのは、戦時中の軍事政権が行なったものだ。国民経済の何から何まで軍事政権の統制下に置くというものだ。経済活動は全体主義的軍事政権の意向によって方向づけられ、企業や個人は自由な活動ができない。

戦後の配給制も一種の統制経済に他ならなかったが、それは絶対的な物資不足を前にやむを得ず実施されたものだ。いづれにしても、統制経済のもとでは、国民は活動の自由を奪われる。

そこで、アベノミクスのどこが統制経済に似ているのか。ひとつには、アベノミクスが労働や雇用のあり方に上から枠を嵌め、また賃金の決定にまで口を出そうとしていることが上げられる。安倍晋三総理は昨年異例の措置として賃金の引き上げを経済団体に要請し、一部は実現した経緯があるが、今年も経済を活性化する手法として、賃金を上げるように経済界に求めている。賃金が上がる話だから、労働者にとってはありがたいことかもしれないが、そう単純なことでもない。賃金というものは、労使の交渉によって自ずから定まっていくもので、政府が号令をかけて調節するものでもないし、また(長い目で見れば)調節できる筋合いのものでもない。それを無理に押し通そうとすれば、副作用のほうがひどくなって、ゆくゆくは労働者の不利益となって跳ね返って来るだろう。

日銀をねじ伏せてメチャクチャな金融緩和をさせているのも、一種の統制経済だといえる。政治的な圧力を用いて、円安を人工的に実現させ、それによって大企業の利益があがるように図る。ゆくゆくはその上がりで、富国強兵を進めていこうというのが、アバノミクスの本音だろう。

経済を統制したいと考えるのは、安倍晋三総理の全体主義的発想の一環だろうと筆者などは考えている。






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