2014年12月アーカイブ

伊勢物語絵巻四十段(さかしらする親)

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むかし、わかきをとこ、異しうはあらぬ女を思ひけり。さかしらする親ありて、思ひもぞつくとて、この女をほかへおひやらむとす。さこそいへ、いまだおひやらず。人の子なれば、まだこゝろいきおひなかりければ、とゞむるいきおひなし。女も卑しければ、すまふ力なし。さるあひだに、おもひはいやまさりにまさる。俄に親、この女をおひうつ。をとこ、血の涙をながせども、とゞむるよしなし。率て出でゝ去ぬ。をとこ、泣く泣くよめる。
  出でゝ去なば誰か別れの難からむありしにまさる今日はかなしも
とよみて絶えいりにけり。親あはてにけり。猶思ひてこそいひしか、いとかくしもあらじと思ふに、真実に絶えいりにければ、まどひて願たてけり。今日の入相ばかりに絶えいりて、又の日の戌の時ばかりになむ、からうじていき出でたりける。昔の若人は、さるすける物思ひをなむしける。今の翁、まさにしなむや

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アンリ=ジョルジュ・クルーゾ(Henri-Georges Clouzot)の映画「恐怖の報酬(Le Salaire de la peur)」は、フランス映画としては型破りなところがある。フランス映画と言えば、どんなジャンルの映画でも、男女の愛を描くことが定番なのに、この映画はかならずしも男女の愛にこだわっていない。主人公とその恋人のやりとりがちょっとは出てくるが、それは愛のやりとりとしては余りにもそっけない。この映画が徹底的にこだわっているのは、男女の関係ではなく男同士の関係なのである。

中国のGメール遮断を米政府が批判

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グーグルが無償で提供しているメールソフト・Gメールが中国国内で遮断されている事態について米政府が批判、「インターネット上を含め、表現の自由を損なう中国における試みを引き続き懸念している」との声明を出したそうだ。だが、批判の理由が変っている。検閲のような行為が市場にどう受け止められるか、中国政府はよく考えるべきだというのだ。恰もこの問題が、市場の問題であるかのような言い方だ。

餓鬼草紙3(京都国立博物館本)

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(施餓鬼に忍び寄る食水餓鬼)

京都国立博物館が収蔵する「餓鬼草紙」は、詞書と絵の組み合わせ七段からなる絵巻物である。各段とも、餓鬼の苦しみとその救済をテーマにした物語形式をとっている。

赤い屋根:シャガールの恋人たち

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シャガールは1948年にフランスに戻った。娘イダにつよく促された結果だったようだ。フランスにはヴァージニアも同行したが、ふたりは結局結婚することなく終わった。最初はパリ郊外に居を構えたが、すぐに南仏に移動して、死ぬまでそこを活動の拠点にした。

伊勢物語絵巻卅九段(ともし消ち)

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むかし、西院の帝と申すみかどおはしましけり。その帝のみこたかい子と申すいまそかりけり。そのみこうせ給ひて、おほむ葬の夜、その宮の隣りなりけるをとこ、御葬見むとて、女車にあひ乗りて出でたりけり。いと久しう率て出でたてまつらず。うち泣きてやみぬべかりかるあひだに、天の下の色好み、源の至といふ人、これも物見るに、この車を女車と見て、寄り来てとかくなまめくあひだに、かの至、ほたるをとりて、女の車に入れたりけるを、車なりける人、この蛍のともす火にや見ゆらむ、ともし消ちなむずるとて、乗れるをとこのよめる。
  出でゝいなば限りなるべみともし消ち年へぬるかと泣く声を聞け
かのいたる、かへし、
  いとあはれ泣くぞ聞こゆるともし消ち消ゆるものとも我は知らずな
天の下の色好みの歌にては、なほぞありける。至は、順が祖父なり。みこの本意なし。

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ジャン=ピエール・メルヴィル(Jean-Pierre Melville)の映画「恐るべき子供たち(Les Enfants Terribles)」は、ジャン・コクトー(Jean Cocteau)が1929年に発表した同名の小説を映画化したものである。コクトーは、この人気小説を映画化したいというオファーをずっと拒否してきたのだが、それは、姉弟の近親相姦というテーマからして、並の映画監督にやらせたのでは、ただのポルノ映画になってしまうことを恐れて、拒否したのだと言われる。ところが、ジャン=ピエール・メルヴィルが1947年に作った「海の沈黙」を見て、この男なら安心して任せられると思い、映画化に踏み切ったのだと言う。

餓鬼草紙2(東京国立博物館本2)

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(食水餓鬼)

食水(じきすい)餓鬼は、生前酒を水でうすめて売った者や、酒に虫を混ぜて無知な人を騙した者の報いだとされる。餓鬼は水を求めて飲もうとするが、どうしても飲めずに、永遠の渇きに苛まれ続けるという。

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シャガールのアメリカ滞在は約7年間にわたったが、その中で傑作を上げるとすれば、この「パラソルを持った牝牛」だろう。アメリカ滞在前期のシャガールの絵には、暗い色彩の絵が多いのであるが、これは暖色を主体として、燃えるような色遣いだ。

彼岸過迄:漱石を読む

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新聞連載小説「彼岸過迄」を開始するにあたって漱石は、諸言というか前置きというか、読者への言訳のような文章を載せている。「門」連載終了後に大病をわずらい、しばらく仕事を中断したが、ようやく再開できる段取りとなった、ついては、久しぶりのことでもあり、なるべく面白いものを書かなければならないと思っている、というような趣旨のものだ。そんな思い入れがあるためだろうか、この小説は漱石の後期の作品群の中では、ちょっとした毛色の違いを感じさせる。「猫」以来の例の諧謔趣味が復活して、遊びの精神とも言うべきものが再び表面化しているのだ。これを「それから」や「門」と「行人」以降の作品群との間に挟んで比較してみれば、作風の相違は一目瞭然である。

廣松渉のメルロ=ポンティ論

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廣松渉は、「メルロ=ポンティと間主体性の哲学」と題した論文の中で、自分の立場と比較しながら、メルロ=ポンティの哲学の特徴と限界について論じている。そのメルロ=ポンティの哲学の特徴を廣松は「身体に定位せる間主体性の哲学」と簡潔に表現しているが、けだし言い得て妙な表現といえよう。

伊勢物語絵巻卅一段(御達の局)

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むかし、宮の内にて、ある御達の局の前を渡りけるに、何のあたにか思ひけむ、よしや草葉よ、ならむさが見むといふ。をとこ
  罪もなき人をうけへば忘れ草おのが上にぞ生ふといふなる
といふを、ねたむ女もありけり。

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ジャック・ベッケル(Jacques Becker)の映画「モンパルナスの灯(Les Amants de Montparnasse)」は、不運な天才画家といわれるアメデオ・モディリアーニの半生を描いた伝記映画である。この映画が公開されたのは、モディリアーニの死後38年経った1958年のことだが、生前モディリアーニと親しく交際していた作家のイリア・エレンブルグは、これを見て低俗だと非難した。エレンブルグが何故こんなことを言ったのか、筆者にはいまひとつわからなかったが、今回この映画を始めて見て、エレンブルグの怒ったわけが分かったような気がした。この映画は伝記映画と謳っておきながら、伝記的な事実をかなり捻じ曲げている。その上、モディリアーニの人間像を矮小化しているようにも見える。これではエレンブルグが怒るのも無理はない。なにしろエレンブルグは生けるモディリアーニを愛した多くの人々の一人だったわけだから。

餓鬼草紙1(東京国立博物館本1)

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(食小児餓鬼)

後白河法皇ゆかりの餓鬼草紙で今日に伝わるものとしては、東京と京都の両国立博物館収蔵のもの二種類がある。そのうち、東京のものは、詞書を欠いた十枚の絵をつなぎ合わせた絵巻になっている。絵はいづれも、「正法念処経・餓鬼品」に説くところを描いたものと思われる。

中国が北極海進出を狙う背景

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中国が北極海への進出に意欲的だという話を最近よく聞く。北極海には膨大な石油・ガス資源が埋蔵されているとか、北極海航路を通じてより短距離でヨーロッパとつながるとか、色々な理由が上げられている。しかし、中国は北極海に面しているわけでもないし、他国に先駆けて北極海の権益を主張できる立場にもない。それなのになぜ、北極海への進出意欲を隠そうとしないのか。

彼女をめぐって:シャガールの恋人たち

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急逝したベラに捧げた二枚の絵のうちのもう一枚が、この「彼女を巡って」と題する絵である。これはもとの絵「アルルカン」の左半分をもとにしたものだが、片割れの「華燭」に比べると、色遣いがいっそう陰鬱になっている。暗色のブルーが基調となっており、全体がメランコリックな雰囲気に包まれている。

伊勢物語絵巻廿九段(花の賀)

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むかし、春宮の女御の御方の花の賀に、召しあづけられたりけるに、 
  花にあかぬ嘆きはいつもせしかども今日のこよひに似る時はなし

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クリスチャン・ジャック(Christian Jaque)の映画「花咲ける騎士道(Fanfan la Tulipe)」は、フランス民謡「ファンファン・チューリップ」を映画化したものである。民謡の方は、多くのフランス民謡と同じく童謡としての趣をもっており、したがってファンタスティックな雰囲気があるのだが、映画でもそのファンタスティックなところが最大限に発揮されている。とにかく見て楽しい映画だ。

東京駅が、今年開業100周年を迎えたことを記念して、記念Suica を発売すると発表したところ、これが大人気となった。発売当日(12月20日)の朝7時頃には、9000人の人々が行列を作り、東京駅を取り囲んだ。これに驚いた東京駅長は、発売開始時間を前倒しにして対応しようとしたが、あまりの混雑のために駅としての機能が阻害されると判断して、ついに販売を中止する騒ぎになったそうだ。

地獄草紙3(奈良国立博物館本2)

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(鶏地獄)

画面一面に巨大な鶏が描かれている。しかし、よく見ると、暗闇の中を多くの人々が逃げ惑っているのが見える。これは、生前に動物をいじめたものが、その報いとして、動物に迫害されるところなのだ。仏教には、動物愛護の精神があって、動物を虐待した者は、その報いを受けるという教えがある。

華燭:シャガールの恋人たち

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1944年の夏の終わり、シャガール夫妻がアディロンダック山中の別荘で静養している間に、最愛の妻ベラが感染症で急逝した。パリが解放されたという情報に接し、二人でフランスに戻ることを夢見ていた矢先のことだった。ベラの死はシャガールを打ちのめした。ベラがいない毎日は、シャガールには耐えられなかったのだ。絵を描く気にもなれず、9か月にもわたり創作は中断された。

漱石と禅:「門」を読む

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小説「門」の後半は、宗助の参禅を中心に展開する。漱石自身参禅の経験があるので、この場面は自身の経験をもとに書いたのだと考えられる。漱石は、明治二十七年(二十七歳)の暮から正月にかけての十日ほどの間、鎌倉円覚寺の帰源院に滞在して参禅しているが、その動機は神経衰弱を鎮めたいということのようであった。参禅がどのような効果につながったのか、筆者にはよくわからないが、あるいはこの時の体験を書きたくて、漱石は「門」を書いたのかもしれない。そうだとすれば漱石は、この参禅によって直接的な効果を得ることはできなかったようだ。というのも、宗助の参禅も、彼に大した効果は及ぼさなかったように書かれているからである。

廣松渉の表情論

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廣松渉の表情論は、哲学的な議論としてはかなりユニークである。表情という言葉で、人はふつう顔を思い浮かべるであろう。顔があるのは、人間や、せいぜいが動物などの生き物だから、表情が認められるのはそうした生き物に限られる、と思いがちだが、廣松の場合には、生き物に留まらず、森羅万象あらゆるものに表情があるという。あるいは表情性があるのだという。

ルーブルの下落が止まらない

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先稿「ルーブル危機とロシア経済」において、最近のルーブルの下落について言及したが、下落はその後も一向に止まらないばかりか、むしろ拍車がかかったように、ついにドルあたり79ルーブル近くまで下落した。年初の相場32ルーブルに対して、実に半値以下に下落したということだ。

安倍政権は見かけほど磐石か

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昨夜、三粋人たちの経世問答を傍で聞いていて、ふと思うところがあった。それは、安倍政権はみかけほど磐石なのか、という疑念であった。たしかに安倍政権は、公明党と併せた連立与党として衆院の三分の二を獲得し、絶対的に優位な状況を引き続き維持することになった。この状況が今後四年間続く可能性があることを思えば、安倍政権はかなり磐石な政治基盤を獲得したと言えなくもない。しかし、自民党単独では改選前の議席を下回ったわけだし、沖縄では4議席のすべてを反安倍政権の候補者が制した。これは、磐石のなかにも綻びがみえる、ということではないのか。

伊勢物語絵巻廿五段(秋の野)

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むかし、をとこありけり。あはじともいはざりける女の、さすがなりけるがもとにいひやりける。
  秋の野に笹わけし朝の袖よりも逢はでぬる夜ぞひぢまさりける
色好みなる女、返し、
  見るめなきわが身をうらとしらねばやかれなで海人の足たゆくゝる

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クロード・オータン=ララ(Claude Autant-Lara)の映画「肉体の悪魔(Le Diable au corps)」の原作は、天才作家として夭折したレモン・ラディゲの処女作である。彼はこの小説を弱冠17歳の時に書いた。これがアルチュル・ランボー以来の天才少年の出現だというので、大いにもてはやされた。日本でも堀口大学の翻訳を通じて熱狂的に迎えられ、堀辰夫や三島由紀夫などに大きな影響を及ぼしたと言われる。それをオータン=ララが大戦後(1947年)に映画化したわけだが、この映画を通じて、戦後フランス映画界の星と言われたジェラール・フィリップ(Gérard Philipe)が俳優としての名声を確立した。

三粋人経世問答:2014年総選挙を語る

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無覚先生:安倍首相による一人芝居ともいえる抜き打ち解散・総選挙が行われ、自民・公明の連立与党が再び衆議院の三分の二を占めるという圧倒的な勝利に終わりました。投票直前までは、自民党単独でも三分の二に行くのではないかとの説がメディアに流れていたわけで、それと比べれば聊か拍子抜けの所はあるが、与党圧勝というのはやはり重い結果だと言える。それに、解散した当時は、自民党は議席を減らすだろうという憶測も流れ、安倍さん自身もそれを意識してか、勝利の基準を議席の過半数に設定するなど、控えめなところもあった。そんなこんなを忖度しても、今回の結果は、安倍政権にとっては大出来だったと言えましょう。そこで、安倍さんが衆議院の任期をまだ半分も残し、また鋭い対立案件が存在しない状態で解散・総選挙に打って出たこと、そしてその結果このような大きな勝利を勝ち取ったこと、まずはそこらへんから話題にするとしましょう。

地獄草紙2(奈良国立博物館本)

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(糞屎泥)

奈良国立博物館に収蔵されている「地獄草紙」は、詞書と絵を組み合わせた六つの段と、絵のみが残る一段の計七段からなる絵巻である。隋の闍那崛多が漢訳した「起世経」に説かれる十六小地獄を表わしたものである。「起世経」によれば、地獄には八大地獄があり、その周辺には十六小地獄がある。すなわち、(1)黒雲沙(こくうんしゃ)、(2)糞屎泥(ふんしでい)、(3)五叉(ごしゃ)、(4)飢餓(きが)、(5)燋渇(しょうかつ)、(6)膿血(のうけつ)、(7)一銅釜(いちどうふ)、(8)多銅釜(たどうふ)、(9)鉄磑(てつがい)、(10)凾量(かんりょう)、(11)鶏(とり)、(12)灰河(かいが)、(13)斫截(しゃくせつ)、(14)剣葉(けんよう)、(15)狐狼(ころう)、 (16)寒氷(かんぴょう)の小地獄である。奈良国立博物館本の描写する地獄は、(2)(10)(9)(11)(1)(6)(15)の順となっており、順序が入れ替わっている(以上、奈良国立博物館の説明による)

男性用ピルはセックス革命をもたらすか

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これまで経口避妊薬(ピル)といえば女性の飲むものに限られていたが、男性用経口避妊薬の開発も現実化してきたという。これは、ニューギニア島に自生するガンダルサという草の成分を利用したもので、これまでの実験によれば、避妊成功率は99パーセントに上るという。しかも、女性用のピルと違ってほとんど副作用がない。これをセックスの一時間前に飲めば、安心してセックスが楽しめる。人類は始めて安全で確実な経口避妊薬を手に入れることになるわけで、これによってセックス革命といった事態が生まれるかもしれない。

結婚:シャガールの恋人たち

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「結婚」と題する1944年のこの絵は、ベラの兄弟アーロンの結婚を描いたものだという。ベラは自分の回想録の中で、この結婚式の様子を陽気なタッチで描いているが、シャガールのこの絵からは、むしろ陰鬱な雰囲気が伝わってくる。新郎新婦は顔を見つめ合ってはいるが、あまり幸福そうには見えないし、周囲の人々の表情にも、溢れるような喜びが感じられない。

限りなく暗黒に近い黒:ベンタブラック

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色が黒く見えるのは光を悉く吸収するからだが、100パーセント光を吸収するような物質はこれまでになかった。どんな黒でも幾分かは光を反射する。だから黒いドレスを着ていても、自ずから明暗が生まれ、それが立体感をもたらすことにもなる。もしも100パーセント光を吸収するような黒いドレスを着たら、まるで立体感というものが生ぜずに、それを見た人は平面的な紙細工のように見えてしまうだろう。

伊勢物語絵巻廿四段(梓弓)

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むかし、をとこ、片田舎にすみけり。をとこ、宮づかへしにとて、別れ惜しみて行にけるまゝに三年こざりければ、待ちわびたりけるに、いとねむごろにいひける人に、今宵あはむとちぎりたりけるを、このをとこきたりけり。このとあけたまへとたゝきけれど、あけで、歌をなむよみ出だしたりける。
  あらたまのとしの三年を待ちわびてたゞ今宵こそにひまくらすれ
といひい出だしたりければ、
  梓弓ま弓槻弓年をへてわがせしがごとうるはしみせよ
といひて、去なむとしければ、女、
  梓弓引けど引かねど昔より心は君によりにしものを
といひけれど、おとこかへりにけり。女、いとかなしくて、しりにたちて追いひゆけど、え追ひつかで、清水のある所に伏しにけり。そこなりける岩に、およびの血してかきつけゝる。
  あひ思はで離れぬる人をとゞめかねわが身はいまぞ消えはてぬめる
と書きて、そこにいたづらになりにけり。

オルフェ(Orphée):ジャン・コクトー

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ジャン・コクトー(Jean Cocteau)の映画「オルフェ(Orphée)」は、ギリシャ神話の中の「オルフェウス」神話を下敷きにしている。妻エウリュディケーを失ったオルフェウスが、冥界まで妻に会いに行く。冥界の王ハーデースとその妻ペルセポネーは、オルフェウスの弾く竪琴に感動し、オルフェウスの願いどおり、エウリュディケーを地上に連れ戻すことを許す。ただしひとつ条件を付けた。地上に着くまでは決して妻のほうに振り返ってはならぬと。喜んだオルフェウスはエウリュディケーを背後に従えて地上へと向かったが、あと少しで地上というところで誘惑に負けてしまい、後を振り返った。するとディオニュソスの巫女たちがやってきて、エウリュディケーを冥界に連れ戻してしまった、というのが神話の粗筋である。

今年83歳になったゴルバチョフだが、その政治的な言動はなお活発だ。最近はロシアを新たな冷戦に向かって挑発しているのはアメリカの方だと、ウクライナ危機を背景にしたTIMEとのインタビューで警告した。20世紀の米ソ冷戦を終わらせた一方の当事者の言い分だけに、この警告は世界中の関心を集めた。

地獄草紙1(東京国立博物館本)

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(髪火流)

平安時代末期に作られた地獄草紙には、東京国立博物館本と奈良国立博物館本とがある。東京のほうは、六道の諸相を説く仏典「正法念処経」に基づき、奈良のほうは、宇宙の成り立ちを説く仏典「起世経」に基づいて、それぞれ地獄の諸相が描かれている。

ルーブル危機とロシア経済

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最近、ルーブル危機という言葉が聞かれるようになった。ルーブルの下落に歯止めがかからず、今後も一本調子で下げて行くのではないか、という予想がその背景にある。何しろ年初はドルあたり33ルーブルだったものが、一年足らずの間に56ルーブルまで一気に下落した。このまま下落が続けば、ロシア経済は深刻な事態に陥ることが予想される。

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アメリカに亡命したシャガールは、ニューヨークを主な活動拠点にした。そこには、ヨーロッパからの亡命芸術家を迎える団体「自由の女神」があって、なにかとシャガールを支えてくれたからだ。シャガールは、幸運なことに、それまでに描いた絵や描きかけの作品をほとんどすべてアメリカに持ってくることに成功していた。それで、アメリカ滞在時期の活動は、未完成の絵に手を入れることから始まった。

門:漱石を読む

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夏目漱石は「それから」で、友人の妻を奪う話を書いた。「門」は、友人から妻を奪った男が、世間を憚りながら、妻と一緒にひっそりとした愛を育てる話である。「それから」の代助は、もととも愛していた女を一旦友人にゆずりながら、後でそのことを悔いて、女を奪い返す。女のほうも代助に奪われることを望む。「門」の宗助は、友人の恋人らしい女を奪ったように書かれているが、どのようにして奪ったのか、詳しいことは触れられていない。ただ、女を奪われた友人との間に深刻な事態を生じ、それがもとで宗助はその友人の影におびえながら暮らさなければならない羽目に陥った。しかしそのことが、宗助と妻の、二人の結びつきを一層深める。そんな具合に書かれている。

廣松渉の弁証法

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廣松渉は弁証法について、それを論ずるに留まらず、実際に実践してみせた。わかりやすい例が、彼の主著「存在と意味」である。この浩瀚な書物は、文字通り存在と意味について壮大な論理展開をしているのであるが、目次を一瞥しただけで、これがヘーゲルの「大論理学」とマルクスの「資本論」を踏まえた体裁になっていることが読み取れる。「大論理学」も「資本論」も、弁証法的な論理展開を繰り広げていることで知られるが、廣松もそれらにならうことによって、自らの壮大な理論体系を弁証法的に展開してみせたわけである。

伊勢物語絵巻廿三段(筒井筒)

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むかし、田舎わたらひしける人の子ども、井のもとにいでゝあそびけるを、大人になりにければ、をとこも女も恥ぢかはしてありけれど、をとこはこの女をこそ得めと思ふ。女はこのをとこをと思ひつゝ、親のあはすれども、聞かでなむありける。さて、この隣りのをとこのもとよりかくなむ。
  筒井つの井筒にかけしまろがたけ過ぎにけらしも妹見ざるまに
女、返し
  くらべこし振分髪も肩すぎぬ君ならずして誰かあぐべき
などいひいひて、つひに本意のごとくあひにけり。

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恐るべき親たち(Les parents terribles)は、ジャン・コクトー(Jean Cocteau)が1938年に書いた同名の戯曲を1948年に自分の手で映画化したものだ。原作となった舞台は完全な室内劇で、アパートの一室という狭い空間の中で少数(5人)の登場人物が愛憎の感情がこもったやりとりをする。中心となるテーマは母子関係だ。母子相姦を思わせるような濃密な母子関係を中心にして、それに夫の浮気や、息子の恋愛が絡んで人間関係がもつれにもつれて行く、その挙句に、母親が自殺する、その原因は若い女に息子を盗られてしまったことへの拒絶感だった、というものだ。

六道絵:地獄草紙、餓鬼草紙、病草紙

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平安時代の末から鎌倉時代にかけて、地獄への関心が大いに高まり、地獄絵をはじめとした六道絵と言われるものが大いに普及した。六道というのは、六道輪廻といわれるように、極楽に対する穢土を意味し、人間は極楽往生できないかぎり、六道を輪廻するというふうに観念されていた。輪廻の思想は、仏教にもともとあったものだが、それが強まるのは浄土教の普及に伴ってのことで、その背景には末法思想の普及も作用していた。

膨らむアベバブル

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アベノミクスの浮かれ騒ぎに呼応するかのように、東京の株価も1万8千円の大台に乗った。その背景には、120円を突破した円安の動きがあることはいうまでもない。ともあれ安倍政権とその仲間たちは、この事態を以て、あたかも日本経済全体が好くなっているかのように言いふらしているが、果してそうか。筆者には、ただのバブルとしか見えない。

三本の蝋燭:シャガールの恋人たち

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1940年の春、シャガール一家は南仏プロヴァンスのゴルドに引っ越した。パリよりも安全だと思われたからだ。ここでシャガールは「三本の蝋燭」と題した絵を完成するが、これには2年を要した。

安倍晋三総理のインタビュー

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安倍晋三総理大臣が、英誌 Economist とのインタビューに応じて、自身の政治的信念や現下の課題についての認識を、率直に語った。その率直さが非常に印象的だったので、ここにその一部を紹介したい(Shinzo Abe talks to The Economist)。

伊勢物語絵巻廿一段(忘れ草)

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むかし、をとこ女、いとかしこく思ひかはして、異心なかりけり。さるをいかなる事かありけむ、いさゝかなることにつけて、世の中をうしと思ひて、いでゝいなむと思ひて、かゝる哥をなむよみて、物に書きつけゝる。
  いでゝいなば心軽しといひやせむ世のありさまを人は知らねば
とよみをきて、出でゝ去にけり。この女かく書きおきたるを、異しう心おくべきこともおばえぬを、何によりてかかゝらむと、いといたう泣きて、いづ方に求め行かむと門に出でゝ、と見かう見みけれど、いづこをはかりとも覚えざりければ、かへり入りて、
  思ふかひなき世なりけり年月をあだにちぎりて我や住まひし
といひてながめをり。
  人はいさ思ひやすらむ玉かづら面影にのみいとゞ見えつゝ
この女いと久しくありて、念じわびてにやありけむ、いひをこせたる。
  今はとて忘るゝ草のたねをだに人の心にまかせずもがな
返し
  忘れ草植うとだに聞く物ならば思ひけりとは知りもしなまし
又々ありしより異にいひかはして、をとこ
  わするらむと思ふ心のうたがひにありしよりけにものぞかなしき
返し、
  中空に立ちゐる雲のあともなく身のはかなくもなりにけるかな
とはいひけれど、おのが世ゝになりにければ、うとくなりにけり。

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「双頭の鷲(L'aigle à deux têtes)」は、ジャン・コクトー(Jean Cocteau)がジャン・マレー(Jean Marais)の求めに応じて特別に書き下した戯曲を映画化したものである。第二次大戦後になってコクトーが映画作りに熱心になった背景に、ジャン・マレーの存在があったことはよく指摘されることである。マレーはコクトーの若き愛人であった。その愛人を主演俳優にした映画をコクトーは作る気になった、というわけである。その第一作は「美女と野獣」であった。この映画の中でコクトーは、マレーに醜い野獣の役を演じさせたのだったが、今度はマレーの美しさが生かされるような作品を作りたいと思うに至った。そんな背景があって、この映画はジャン・マレーという俳優の類まれな美しさを表現することに、コクトーの努力が傾注されていると言ってよい。作品そのものとしては、あまり面白いとはいえない。

円高と輸出の相関

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上の表は、最近の円安と日本の輸出との相関関係をあらわしたものである(ソースは英誌 Economist)。2011年の末から今日まで、円安傾向はほぼ一貫して続いているのに対して、日本の輸出の伸びはかならずしもそれに比例して伸びていないことがわかる。名目の輸出額は伸びているが、実質輸出量は伸びておらず、2011年末を100とした実質輸出量は全く変わっていない。一方その間における円の相場は80円から110円へと、実に三割以上も下落している。

丹波篠山・嵐山:若狭・三丹の旅その五

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竹田城跡に続いて丹波篠山を訪ねた。篠山と書いて「ささやま」と読む。ここは徳川時代には譜代大名が城を構え、周囲の外様大名に対して睨みを利かしていたところだという。石垣や堀が残っているほか、明治維新の際に破壊された城が近年復元された。この城の周りに広がった街並は城下町特有のおっとりした雰囲気に包まれていた。

鳥獣戯画6(蛙の御本尊)

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これ以降、左端までは、猿の僧正が蛙の御本尊にお経をあげるシーンが展開する。最初に出てくるのは二匹の猿。一人は千両箱を担ぎ、もう一人は銭を入れた袋を抱いている。この二人の行動は、その後のシーンとは必ずしも関連しているとは言えないので、もしかしたら、関係がない断片を、隣り合わせにつなぎ合わせただけなのかもしれない。彼らの向う側に描かれている草花の描写がリアルだ。

日本における歴史のごまかし:NYT社説

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ニューヨークタイムズが「日本における歴史のごまかし」と題した社説を12月4日付の紙面に掲載した。日本の右翼勢力が、安倍政権に鼓舞される形で、いわゆる「従軍慰安婦」は存在しなかったとするキャンペーンを張り、その一部は脅迫的なものになっている、と批判したものだ。

竹田城跡:若狭・三丹の旅その四

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三日目の朝食は昨夜と同じ部屋で各自に膳が用意されていた。このほうがバイキングよりもずっとよい。飯を食いながらみな天気の心配をする。昨夜来の雨がまだ残っていて、天気予報でも午前いっぱいは残るだろうという。今日は午前中にこの旅行最大の目玉である天空の城竹田城を訪ねる予定なので、晴天は期待しないまでも、せめて雨にやんでほしい。皆が口々にそういうと、しずちゃんあひるがなだめるように、心配しないでもいいのよ、と言った。わたしは晴れ女だから、きっと雨をやませてみせる、と言うのだ。

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「エッフェル塔の新郎新婦」と題したこの絵は、一見すると幸福そうなイメージが溢れているように見える。しかし、この絵を描いた時のシャガールの気分は、幸福とは程遠いものだった。たしかに、第二次パリ時代の前半10年間は幸福を絵に描いたような時代だったが、それが過ぎると次第に幸福の色はあせ、シャガールの周辺には悲惨な影がさすようになってきたのである。

出石・城崎温泉:若狭・三丹の旅その三

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昼食後、バスは一時間ほど走って出石に着いた。ここにも、先年あひるの仲間で山陰旅行をした際に立ち寄ったことがある。その折には、街中で出石名物の皿そばを食った後に、沢庵和尚で知られる宗鏡寺を訪れたものだが、静ちゃんあひる始め、その時のことを詳しく記憶している者が一羽もいない。おおさんあひるなどは、トイレ休憩に立ち寄っただけで、散策をしなかったから、印象が記憶として残っていないのだろうなどという。

「こころ」と「それから」:漱石を読む

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漱石の二つの小説「こころ」と「それから」は、色々な面で深くつながったところがある。まずテーマが似ている。両者とも男女の三角関係のもつれを扱っている。二人の男が一人の女を巡って不幸な関係に陥るというものだ。ただ多少の違いはある。「それから」では、主人公の代助が友人の平岡に対していったん女を譲った後で、その女を奪い返すという風になっているのに対して、「こころ」では、女への愛を告白した友人を出し抜く形で女を自分の物にした男が、そのことで良心の呵責を感じ続けるということになっている。つまりベクトルが違う方向を向いているといえるわけだが、男女の三角関係という構図は共通しているわけだ。

廣松渉の物象化論

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廣松渉のマルクス受容は、物象化論を中心に行われた。廣松以前におけるマルクスの哲学的解釈は「疎外論」を中心にしたものが多かったわけだが、廣松はそれを「物象化論」を中心にしたものに転換させたのである。

人工知能を供えたロボットの開発が急速度で進んでいる。いまはまだ原始的な段階を出ていないが、自分自身の判断で行動するような比較的高度な知能を供えたロボットが登場するのはそう遠いことではないと予想される。そうなれば、介護のような分野から災害対策、果ては戦争行為まで幅広い分野で人間の労力を省くようになると思われる。

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バイキングの朝食を終えた後、バスで丹後半島を北上し、経が岬というところで下りた。ここは丹後半島の最北端で、眺めのよいことで知られているそうだ。ホテルとは目と鼻の先である天の橋立を迂回してここまでやって来たのは、その眺めの良い景色を見るためということらしい。

伊勢物語絵巻二十段(かへでのもみじ)

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むかし、をとこ、大和にある女を見て、よばひてあひにけり。さて、ほどへて、宮づかへする人なりければ、帰りくる道に、三月ばかりに、かへでのもみぢのいとおもしろきをゝりて、女のもとに道よりいひやる。
  君がためた折れる枝は春ながらかくこそ秋のもみぢしにけれ
とてやりたりければ、返事は京に来着きてなむ持てきたりける。
  いつの間にうつろふ色のつきぬらむ君が里には春なかるらし

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ジャン・コクトー(Jean Cocteau)は詩人として出発したが、その他さまざまな芸術分野でも非凡な才能を発揮した。映画作りもその一つである。彼が始めて作った映画は、1932年の作品「詩人の血」だったが、これは、絵に描いた人間の口が本物の口のようにしゃべりだしたり、それを手のひらで拭い取ったら、手のひらでしゃべりだしたりとか、いかにもコクトーらしさが溢れたファンタジックな映画だった。

舞鶴・宮津:若狭・三丹の旅その一

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例のあひるの仲間とは、昨年の秋に木曽路を旅したところだが、今年の秋は若狭・三丹地方の紅葉を見る旅をしようということになった。三丹というのは、京都の後背地である丹波、丹後、但馬三国の総称である。若狭から丹後に入って宮津に一泊し、二日目は経が岬・天の橋立・出石の城下町を見物して城崎温泉に一泊し、三日目は天空の城として名高い竹田城に登ったあと、丹波篠山、京都嵐山の紅葉を見物して回るというツアー旅行に便乗した次第だ。今回は、ミーさんあひるが数年ぶりに参加したほか、おおさんあひる、しずちゃんあひる、あんちゃんあひる、よこちゃんあひる、いまちゃんあひる、それとえかきあひること小生の、合せて七羽が参加した。

鳥獣戯画5(蛙と兎の相撲)

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二匹の蛙が、縄や扇を使って蛙踊りを踊っている。フランスでは、動物の踊りと言えばカモシカ踊りが有名で、かのヴェルレーヌもその様子を歌に歌っているが、日本では鳥羽僧正の時代より、蛙踊りということになっているようだ。二匹の愉快な踊りを見ようとして、大勢の動物たちが集まってきた。

復権を狙うサルコジ

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フランスのサルコジ元大統領といえばもはや過去の人かと思っていたら、どうやらそうではなかったようだ。このたび最大野党・民主運動聯合の党首に返り咲き、次期大統領選を伺う勢いだという。

アクロバット:シャガールの恋人たち

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シャガールは1926年に始めてアクロバットを題材にした絵を描いて以来、しばしばこのテーマを描いた。ペテルブルグでシャガールの師匠だったレオン・バクストがバレーやサーカスに首を突っ込んでいたので、あるいはその影響かもしれない。1930年の作品「アクロバット」は、そうした一連の作品の中で最も有名なものだ。

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