ウンベルト・D(Umberto D):ヴィットリオ・デ・シーカ

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「ウンベルト・D(Umberto D)」も、ヴィットリア・デ・シーカ(Vittorio De Sica)が戦後イタリアの深刻な社会事情に取材したネオ・レアリズモの傑作である。この映画でデ・シーカが取り上げたのは、戦後の凄まじいインフレによって生活基盤を破壊された年金生活者たちの暮しである。年金生活者といえば、普通はうらやましがられる身分だが、戦争などの異常事態で激しいインフレが巻き起こるようになると、真っ先に生活の危機に直面する。そんな戦後イタリア社会の、弱者の受難について、この映画は描いている。

映画の題名にもなった主人公のウンベルト・D・フェラーリは、公益事業省を定年退職して年金暮らしをしている。ところがその年金がインフレによって目減りし、暮しが厳しくなるばかりか、住んでいるアパートさえ追い出されそうになる。そこで、怒りに駆られたウンベルトは、仲間の年金生活者たちと一緒に、年金額アップを求めるデモに参加したりするのだが、官憲によって蹴散らされてしまう。映画は、その官憲に蹴散らされる老人たちを映すことから始まるのだ。

ウンベルトは、今までに滞納した家賃を返済しなければアパートの部屋を明け渡してもらうと女家主から宣告される。ウンベルトはこのアパートに30年以上も住んでいて、この女家主が子供の頃には、何かと面倒をみてやったものだ。その女が今は居丈高になって、このか弱い自分を路頭に追い出そうとしている。そう思いながら、ウンベルトはどうやって一日を生き伸びたらよいか、途方にくれてしまうのだ。

ウンベルトにとって、気の許せる相手は犬のフライクとアパートのメイドだけだ。このメイドは二人の軍人と仲良くなり、どちらの子か判然しない子を身ごもっている。戦後イタリアには、同じ敗戦国でも日本と違って、まだ軍隊が生き残っていて、若者たちの貴重な就職先となっていたわけだ。

ウンベルトは何とか家賃を工面しようとして、持っているものを悉く売り払うが、滞納した金額に達しない。せめてその一部を支払うことで追い立てを免れようとするが、女家主は満額でなければ受け取らないと強硬だ。

金策に疲れ果てたウンベルトは、軽い風邪にかかる。そこで自分で救急車を呼んで病院に運んでもらう。入院するにも身だしなみが大事だと、ウンベルトはわざわざ背広を着てネクタイまで締め、救急隊員を出迎える律義さだ。病院には犬を連れて行けないので、メイドに入院期間中預かってもらうことにした。

入院した病院の病室の光景が出て来るが、これがなかなか興味深い。フロアは全面打ち抜きで、壁際に沿って夥しい数のベッドが並んでいる。まるで野戦病院を見ているようだ。プライバシーなどは全く配慮の外である。それでも飢えた人間にとっては天国のようで、なるべく長く居座ろうとする患者もある。ウンベルトも看護婦におべっかを使って、出来るだけ長く居させてもらった。

アパートに帰って見るとフライクの姿が見えない。街中に飛び出て姿が見えなくなったという。驚いたウンベルトは動物管理センターに駆け付ける。そこには毎日大勢の犬が収容され、古い順に殺処分されている。処分には毒ガスを用いる。数匹ごとに柵付の台車に乗せられて小さな部屋に入れられる。そこで犬たちにガスが浴びせられて殺されるというわけである。

フライクは危機一髪のところでウンベルトに助けられる。フライクを連れたウンベルトは、街中を放浪するうちに昔の役所仲間とあったりする。そこで、思い切って借金を申し込んだりもするが、誰もウンベルトに金を貸してくれるものはない。思い余ったウンベルトは、たまたま隣合わせた乞食の真似をしようとするが、プライドがそれを許さない。

そのうち、女家主が実力行使に出るようになる。ウンベルトの住んでいる部屋の工事を始めたのだ。工事はかなり大袈裟なもので、壁まで破壊される。メイドが言うには、隣の部屋と一体化させて、大きな広間にするつもりらしい。

進退極まったウンベルトは、自殺を決意してアパートを出る。フライクを巻きぞいにするわけにはいかないので、犬を預かる業者を訪ねる。持ち金すべてを出して犬を預かってもらうように話をしたが、この業者は料金の補充が絶えた後は犬の面倒を見続けるつもりのないことが透けて見えてくる。結局ウンベルトは、犬を預けることをやめる。

こうして、二人は公園にやってくる。公園には小さな子どもたちが遊んでいて、フライクを見ると近寄ってくる。ウンベルトは子どもの一人に犬を上げると言うが、親が出てきていらないと突き返されてしまう。結局ウンベルトは、犬と一緒に死ぬほかはないと思い詰めるようになる。

どうやって死ぬか。公園の脇にたまたま線路があって、そこを電車が往復しているのが見える。ウンベルトは、その電車の走っているところに、犬を抱いたまま飛び込もうとする。電車が轟音を響かせてやってくる。そこをウンベルトが線路に向かって飛び出そうとする。異変に気付いた犬は、烈しく抵抗した挙句、ウンベルトの手から逃げだす。犬に逃げられたウンベルトは、自分も電車に身を投げることに失敗する。

生き延びたウンベルトは、もう一度犬を抱きかかえようとするが、怯えきった犬はウンベルトに近寄ろうとはしない。ウンベルトの目に不穏な輝きを見ているからだろう。だが、そのうち犬は気を許したと見えて、ウンベルトに近寄ってくる。おそらく主人に死ぬ意思がないことを、犬なりに読み取ったのであろう。

こうして映画は、ウンベルトの明日への展望がまったく開けないままに、静かに幕を下ろす。人生には、納得できる区切りなどないのだ、というかのように。

この映画が公開されたのは1952年のことだ。この年あたりまでは、日本でも戦争の打撃から回復せずに、社会は混乱の状態を呈していた。庶民の生活も苦しいままだった。だが、日本では退職した官吏が生活苦にさいなまれるというようなことは、ほとんどなかったのではないか。年金生活者の難儀をテーマにした映画も、戦後日本では作られていない。










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