むかし、縣へゆく人に馬のはなむけせむとて、よびて、うとき人にしあらざりければ、家刀自さかづきさゝせて、女の装束かづけむとす。あるじのをとこ、歌よみて裳の腰にゆひつけさす。
出でゝゆく君がためにと脱ぎつれは我さへもなくなりぬべきかな
この歌はあるが中におもしろければ、心とゞめてよます、腹にあぢはひて
(文の現代語訳)
昔、地方官として地方へ行く人に馬のはなむけ(送別の宴)をしようといって、(その男をある男が)家に招いたが、遠慮のいる人ではなかったので、主婦が出てきて盃を進めさせ、また(餞別として)女物の装束を贈ろうとした。主人は、歌を読んで、それを裳の腰の所に結いつけさせていうには、
出立するあなたのために(裳)を脱いだので、(裳と一緒に)自分自身もなくなってしまいそうですよ
この歌は、沢山ある歌の中でもとくに面白いので、心して読ませるべきである、腹で味わいながら
(文の解説)、
●縣:地方、田舎、●馬のはなむけ:旅立つ人を送る時、馬の鼻づらを旅の方角へ向けて無事を贈ったことから、送別の宴をいうようになった、●家刀自:一家の主婦、●かづけむとす:「かづく」は贈り物にする衣装を相手の肩にかぶせてやること、転じて贈り物をするの意、●心とゞめてよます:心をこめて読ませる
(絵の解説)
一家の主人と主婦が一緒になって客人をもてなしているところを描いている。
(付記)
この「縣へ行く人」は、古来紀有常と考えられてきた。業平は有常の娘とのあいだで長男を設けているから有常とは遠慮のない間柄であったわけである。また、この宴席で、主婦が客人をもてなしているのも、娘が父親をもてなしていると考えればごく自然のことにうけとれる。
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