曽野綾子のコラムが投げた波紋

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作家の曽野綾子が産経新聞のコラムで主張した人種差別的な意見が大きな波紋を投げかけている。といっても、日本国内でというより、海外での話だ。日本のメディアは例によって反応が鈍く、海外での騒ぎが大きくなってから始めて取り上げたという次第だし、その取り上げ方も及び腰と言ってよいものだった。

主張の内容を要約すれば、日本がこれから直面する労働力不足を補うために海外から労働者を受け入れることはやむをえないが、その場合、彼ら外国人は、日本人社会とは別に居住すべきだというものである。これが、欧米を中心とする国際社会には、アパルトヘイト推進論として映ったわけだ。この主張に対して早速、アパルトヘイトの歴史を乗り越えてきた南アフリカの政府が(駐日大使を通じて)厳しく批判し、それを受けるような形で、英米系のメディアを中心に批判の大合唱が起こった。

南アフリカ大使館から、書面で抗議を受けた曽野綾子は、自分は何も間違ったことを主張していないと開き直り、コラムを提供している産経新聞も、様々な意見があるのは問題ないとして、全く取り合う様子を見せなかった。こうした対応が、海外メディアを更に刺激し、論調も次第に厳しさを増していったのだが、曽野綾子本人や産経新聞はもとより、日本のメディア全体が鈍感なままなので、それが、日本という国は一体どういう国なのかというような、日本に対する不信感を煽り立てているような形になっている。

ニューヨークタイムズなどは、こうした極端なナショナリズムの風潮は、安倍政権の登場によって一気に高まったとして、安倍政権がこういう主張を煽り立てているのではないかと、暗に指摘している。

それにしても、曽野綾子の主張はどう読んでもレーシズムと言うほかないし、それを擁護する産経もジャーナリズムとしての最低の礼節を欠いていると言わざるを得ない。

曽野綾子は、一部の中学生に配布された教科書の中で、誠実で尊敬すべき女性として紹介されているそうだ。その尊敬すべき女性が、世界中に向かって人種差別を主張するようでは、それらの中学生は、何を以て誠実と考えるべきなのか、わからなくなろうというものだ。

なお産経の当該コラムには曽野綾子の写真が載っているが、これはどう見ても最近撮ったものではない。半世紀近くも前に取ったのではないかとさえ思われる。こんな大昔の写真を掲げるとはどういう料簡なのか、筆者などはあいた口がふさがらなかった次第だ。





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