聖母戴冠:エル・グレコの幻想

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エル・グレコは1603年に、イリェリカスにあるカリダード施療院と、祭壇画の制作請負契約を結んだ。イリェリカスは、マドリードとトレドのほぼ中間にある都市で、カリダード施療院は伝説的な雰囲気に包まれたところだった。というのも、ここには、聖ルカが自ら彫刻し、聖ペテロがスペインに運んで来たという聖マリア像を本尊としていたからだ。

この施療院が、王立の聖堂を付設することを王室から許可されて1600年にそれが完成した。施療院側では完成したこの聖堂の祭壇を飾るものとして、当時名声が高まりつつあったエル・グレコにその制作をゆだねたということのようだ。

この祭壇の壁や天井を飾るものとして、エル・グレコは四面の絵を描いた。慈悲の聖母、聖母の戴冠、受胎告知、イエス誕生である。いずれも聖母マリアの事績をテーマとしている。

ところが、これらの絵の評価を巡って、エル・グレコと施療院側の間で争いが起こった。エル・グレコが4448ドゥカートを要求したのに対して、施療院側はそれを2436ドゥカートに値切った。そこで両者の間で訴訟となったが、その結果は1666ドゥカートということで決着した。

これがエル・グレコにとって良い結果だったかどうかについては、微妙な問題を含むと思うが、エル・グレコにはこうした金銭上のトラブルが絶えなかったようである。

なお、これと全く同じ図柄で、二回り小さい絵が、アテネのオナシス(かのケネディ未亡人を嫁にしたオナシス)財団によって保有されている。こちらは、特別のリクエストに基づき、後に制作されたものと推測されている。

(1603年、キャンバスに油彩、163×220cm、カリダード施療院)







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