朝日の保守派コラム:佐伯啓思氏の「異論のススメ」

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朝日が「保守派の論客」のためにコラムを用意した。とりあえずその第一稿が4月3日の朝刊に載ったので、興味深く読んだ。そのコラムは保守思想家を標榜する佐伯啓思氏の「異論のススメ」というもので、デビュー作として「本当に『戦後70年』なのか」と題する小論を起稿している。

氏は、「のっけから奇妙なことを書くが、今年は、本当に『戦後70年』なのだろうか」という疑問から、この小論を始める。この疑問は、朝日を始めとしたメディアや大方の日本人が普通に抱いている認識に異議を唱えるものだ。その異議自体は、奇妙で何でもない。人間、色々な見方が成り立ちうるものだし、さまざまな異論がぶつかり合うことで、「われわれの考え方はきたえられるであろう」ことは、氏の言うとおりだ。

で、この言葉で氏が言いたいことは何か。それを筆者なりに分析してみた。

われわれ普通の日本人は、1945年8月15日を以て戦後の始まりだと考えている。だが、それは違うと氏は言う。氏によれば、ほんとうの戦後は、日本が独立を回復した1952年4月28日から始まる。だから本当は、今年で戦後63年というべきなのだ。では、1945年から52年までの間はどういうべきなのかが問題となるが、氏は、その期間を、アメリカの支配期間とみなすべきだという。つまり、この期間は戦争とその帰結としての敗戦処理の期間なのであって、戦後ではない。「つまり、45年の8月15日とは、敗北を認めた、いわ『敗戦の日』であり、52年の4月28日が正式な『終戦の日』ということになる」と言うのである。

なぜ、普通の日本人の共通の想念に逆らってこんなことを言うのか。氏は、その意図を隠そうとはしない。

アメリカによる占領期間には、日本は主権を持っていなかった。ということは、その間になされたことは、日本の主体的な意思に基づいた決定とはいえない。ところで、この期間になされたことで最も大きなことは憲法の制定である。現行の憲法が主権をはく奪された状態で制定されたということは、「押しつけ」云々の前に、憲法の実質的な正統性にかかわる。こう、氏は言うのである。

この議論には、二つのことがらが含まれている、と筆者は受け止めた。ひとつは、日本国憲法の正統性に異議を唱え、その改正に弾みをつけたいという低意が潜んでいるということ、もうひとつは、日本の敗戦という事実を軽視ないしは無視して、現在の日本と敗戦以前の日本との間に連続性を回復させたいとする意思である。

日本国憲法が、被占領期間に制定されたこと、それがアメリカの意思によって日本の支配者に押し付けられたこと、などは、氏に指摘されるまでもなく、多くの日本人が理解していることだ。筆者などは、この憲法を、勝利国による敗戦国の武装解除の仕上げだったと考えている。それでも、この憲法が、大多数の日本人によって受け入れられ、今まで機能してきたのは、日本国民が、そこに盛られている理念に共鳴したからであり、今も共鳴する者が多いからだろう。つまり、日本国民の大多数は、自由や民主主義のない自主憲法(旧憲法を含む)よりは、自由や民主主義が盛られている押し付け憲法の方がましだと判断したのだと考えられる。

ところが、氏はそうは思わないらしい。正統性を持たない憲法は、やはりおかしい、そう思っているようである。そう思うのは氏の自由だし、また、自主憲法を持つことによって、日本人が体制に正統性を感じることができるようにすべきだという氏の主張にも、無理な点はない。問題は、氏がどのような憲法を望んでいるかということだ。

行間から忖度する限りでは、どうも氏は、日本の敗戦の意義をなるべく過小評価したいと思っているようだ。今の憲法は、敗戦処理の結果として作られたのだから、これを作り直すことによって、敗戦をめぐる不愉快な記憶を抹消したい、そんな想念が伝わって来る。

もし、氏がそのように考えているとしたら、それは、(日本国憲法を廃棄することで)今の日本の体制を破壊し、別の理念にもとづく体制に作り直したいということになるのか。しかし、そういう主張を、普通の日本語では、保守思想とは言わない。どう考えても、革新思想としか言いようがない。だが、その革新の実体が、敗戦以前の日本の姿に遡るということなら、それは、エセの革新であって、その実、復古反動と言わねばなるまい。

朝日は、どういうつもりで、こうした反動思想の持ち主を、コラムの執筆者に起用したのか。右翼勢力のバッシングにおののいて、節度を見失ってしまったのか。






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