韓国とは「価値観を共有しない」

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昨日(4月7日)公表された「2015年版外交青書」は、尖閣や竹島をめぐる領土問題で中韓の反発を招いているが、それに劣らず重要な問題を含んだものだった。過去の外交青書は、韓国を「価値観を共有する国」と表現していたのだが、今回はその表現を削除している。これは、今後の日韓関係及び国際社会における日本の地位を考えるうえで、非常に重要な変更というべきである。

「共有する価値観」とは、過去の外交青書には、「自由、民主主義、基本的人権などの価値」と記されていた。それを共有しなくなったというのは、韓国か日本のどちらかが、これらの価値観を抱かなくなったという意味に取れる。恐らく日本政府は、韓国の方がこれらの価値観を放棄したと言いたいのだろうが、世界中がそのように受け取ってくれるとは限らない。むしろ、日本のほうがこれらの価値観を軽視するようになったと受け取られる恐れがある。こういう微妙な問題は、言いだした方にやましいところがあるというのが、大方の常識になっているからだ。また、安倍政権のナショナリスティックな姿勢が、そうした見方を強めている側面もある。

日本と韓国とは、アメリカや台湾と並んで、「自由、民主主義、基本的人権などの価値」を共有することで、世界に向けてそれなりの存在感を主張できたという経緯がある。これらの国々に小異があるのは致し方がないまでも、大同というべき「価値観の共有」を通じて、東アジアの安定に寄与するというのが、これまでの日本政府の建前だった。それを、日本の方から韓国を名指しし、韓国とはもはや「価値観を共有しない」と宣言したわけだ。

これは、日本にとって利口なやり方とは言えないだろう。むしろ、自分から日韓関係を毀損したがっていると宣伝しているようなものだ。これでは、日本はますます国際社会で孤立し、アジアの不安定要因としての役割を果たしていると批判されても致し方がない。







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