日本における報道の自由は韓国よりましか

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昨日の当ブログで、日本政府が韓国を名指しして「価値観を共有しない」と表現したことに触れたが、自民党のある幹部の言うところによると、その理由は、産経新聞の支局長の言動に対する韓国側の対応にあるということらしい。この幹部によれば、韓国政府がこの程度のこと(朴大統領に対する名誉棄損ということになっている)で、記者を訴追するのは、報道の自由と言う理念を大きく逸脱するものであり、日本政府としては、そのような国を、日本と価値観を共有する国とは言いたくないということのようだ。

たしかに、この問題に対する韓国側の態度は大人気ないと言える。当該記事がいかに事実を捻じ曲げたもので、その誹謗中傷の程度が便所の落書きのような卑劣なものであるにしても、訴追するというのは行き過ぎではないか。これでは、今の韓国は、徳川時代の日本と大差ないことになる。徳川時代の日本なら、言論を通じて幕府を批判した者は、手鎖の刑に処せられたものだが、今は21世紀の世の中だ。その世の中で、権力者を侮辱したという理由で訴追するのは、いかにも大人気ない。

しかし、大人気ない点では、安倍政権の日本政府も五十歩百歩ではないか。韓国が徳川時代の日本同様、言論を弾圧しているのは間違いないとして、それを理由に韓国が言論の自由に鈍感であり、したがって、日本とは価値観を共有しない野蛮な国だと、世界中に向って公式に主張するのはどういうものか。

産経は、安倍政権にとっては、いわば身内のようなものだから、そこの記者が韓国にいじめられているのを見逃せない。そんなふうに安倍政権は考えているのではないか、そう受け止められても致し方のないようなところが、今回の日本政府の反応ぶりには垣間見える。

日本政府が、韓国を批判する理由として、報道の自由を持ち出したいと考えているのなら、それも、なにか滑稽さを感じさせる。国境なき記者団が発表した2015年の「世界報道自由度ランキング」では、日本は61位となり、韓国よりも評価が低い。そんな国がこともあろうに、隣国の報道の自由のなさをあげつらう。これはどう見てもブラックジョークとしか映らないのではないか。

安倍政権には、韓国を批判する前に、他にやることがあるのではないか。







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