外国特派員の目から見た日本の報道の自由

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昨日の当ブログで、日本における報道の自由が、「国境なき記者団」によって低く評価されていることに言及した。普通の日本人は、日本を開かれた民主主義国家と思っているだろうから、この評価は意外に聞こえるだろう。何故外国のジャーナリストたちは、そのような目で日本を見るのか。この疑問の一端に答えるような意見を、一人の外国人特派員が述べている。

このジャーナリストは、ドイツの新聞「フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥンク」の東京特派員カルステン・ゲルミス氏だ。氏は2010年に東京に赴任して以来日本を取材し続け、このたびドイツに戻るにあたって、日本における報道の自由についての小文を、「外国特派員協会」の機関誌に発表した(Confessions of a foreign correspondent after a half-decade of reporting from Tokyo to his German readers by Carsten Germis)。それを読むと、外国人記者が、日本における報道の自由の現状を何故低く評価するようになったか、その事情の一端が伝わって来る。

氏は、赴任した5年前に比べて、日本で取材している外国人記者にとって、取材への制約が格段に強くなったという。まず、自民党の政治家たちに、外国人記者と意見交換しようとする姿勢が一切見られなくなったという。民主党政権はともかく、それ以前の自民党政権でも、そんなことはなかった。また、日本について少しでも批判的なことを書くと、外務省の役人たちが、影に日に妨害するようになった。ひどいケースでは、歴史認識問題で日本に批判的な記事を書いたところが、中国のスパイ扱いされた。自分は中国などには、いったこともないのに、というわけである。

自分はなにも極端なことを書いたわけではない、と氏は言う。自分が所属するフランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥンクという新聞は、どちらかというと保守系で、経済政策の上では市場重視のスタンスをとっており、自分もまたそのスタンスを共有している。しかし、ドイツでは保守主義者といえども、過去の歴史については、悪いことは悪いと認める姿勢をとっている。ところが、日本では、従軍慰安婦の問題を始めとして、過去の歴史をごまかそうとする動きがある。自分がそれを率直に批判するのは、日本のためを考えてのことだ。ところが日本の政府はそれを、日本という国を貶めることだと受け取って、影に日に妨害しようとする、というのである。

もっとも、こうした姿勢は、今のところ統治エリートの間に限られ、一般の日本人はずっとオープンだ。だから自分は、日本という国に対して、まだフレンドリーな気持でいられる。願わくば、そのような一般民衆の姿勢が今後とも変わらずに続いてもらうことだ、というような言葉で、氏はこの記事を締めくくっている。





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