北斎

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かつてニューズウィークとかライフといったアメリカの雑誌が、人類史上もっとも偉大な人物100人を選ぶ特集をしたことがあったが、その折に日本人としてただ一人選ばれたのが、版画絵師葛飾北斎だった。こういった特集における視点は、欧米人の価値観に貫かれているので、偉人の基準が欧米の文化へ与えた影響ということになるのはある意味避けられないことだ。そういう意味において、北斎ほど欧米文化に影響を与えた日本人はいない、と彼らが評価したということだろう。

北斎は版画絵師であるから、無論彼の絵画芸術が評価の要点となる。北斎を含めた日本の版画及び絵画の類が19世紀後半のヨーロッパに大量に出回り、それがヨーロッパの絵画に深刻な反響を惹き起こして、ジャポニズムという一種の芸術運動を引き起こしたことはよく知られている。ジャポニズムが評価した芸術家の中で北斎はひときわ高い地位を勝ち取った。それが北斎をして、人類史上もっとも偉大な人物たちの仲間入りをさせた動因になったわけである。

北斎の代表作といえば「富岳三十六景」である。これは46枚からなる版画のシリーズだが、北斎がこれらを制作したのは天保年間初期、つまり70歳を過ぎてからのことである。富岳三十六景とならんで彼の代表作とされる風景版画シリーズ(千絵の海、諸国滝巡り、諸国名橋奇覧)や花鳥画のシリーズも天保年間の初期に描かれ、また、長い間のシリーズとして人気を博していた北斎漫画のなかで、たんなる手本ではなく、北斎の芸術的な動機を込めたものとして第十二編を制作したのも同じ頃のことだった。つまり北斎は70歳を過ぎて、彼の芸術的な本領を存分に発揮したと言えるわけである。

無論北斎は、若い頃から版画絵師として人気を誇っていた。北斎漫画を10巻以上発行し続けたのも、彼の絵師としての高い名声に支えられてこそのことだった。しかし、もしも北斎が、当時の普通の日本人と同じように、古希を迎える前に死んでいたなら、世界の偉人の仲間入りをするほど、高く評価されることはなかっただろう。

このサイトでは、そんな北斎の晩年の代表的な版画シリーズを取り上げて、鑑賞していきたいと思う。取り上げるのは以下のシリーズである。

・富岳三十六景:天保二年頃から四年ごろにかけて刊行
・千絵の海:天保四年頃
・諸国滝巡り:天保四年頃
・諸国名橋奇覧:天保四年頃から五年頃まで
・北斎漫画十二編:天保五年頃
・花鳥画:天保初年頃
・百物語:天保初年頃





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