2015年5月アーカイブ

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維新の開国後、明治から昭和前期にかけて多くの日本人が海外に飛躍した。その尖兵となったのが、遊女の大部隊である。売買春は人類最古のビジネスとあって、身体のほか何ももたない大勢の女たちや、ほかに適当な資本を持たない人間たちが、海外に飛躍してせっせと売春家業にいそしんだわけだ。彼らの行いは、確かに賤業には違いなかったが、世界史に名乗りをあげたばかりの、いわば若い国家たる日本にとっては、貴重な外貨獲得源でもあったのである。それは、現代の東南アジアの貧しい国々の女たちが、中東の豊かな国で下女仕えをして、せっせとお国に送金している姿と重なるところがある。

内田樹はマルクス主義者とフェミニストが大嫌いだそうである。その理由は、彼らのどちらもが正義の人を自認しているからだという。彼らは、自分こそが正義を体現しており、その立場から世の中の間違ったことがらを糾弾しているというポーズをとる。だから、彼らの口調はいきおい査問調になる。そこのところが鼻持ちならないというのである。

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(御厩川岸から両国橋夕陽見)

御厩川岸は、隅田川の浅草側、現在の厩橋西詰あたりをさした。ここと対岸の本所側を結んで渡し船が通っていた。それを御厩の渡しといった。この絵は、その渡し船を前景にして、中景に両国橋を配し、その先に小さな富士を描いている。題名は、御厩川岸から両国橋の夕陽を見る、と言う意味だが、厳密には御厩の渡しの本所側から見たということだ。

客の男性と七年間の性交渉を持ったクラブのママが、男性の妻から「精神的苦痛を受けた」として訴えられていたが、妻の訴えが退けられる判決が出た(東京地裁)。その理由が面白い。クラブママの行った行為は、いわゆる枕営業で、商売のために売春をしたに過ぎず、結婚生活の平和を乱すものではなかったというのだ。

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1890年代の末に、セザンヌの静物画はその頂点に達した。構図と言い、色彩と言い、セザンヌが追求してきた絵画の理念が、もっとも完成した域に到達したといってよい。

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シャガールは20世紀の画家のなかでも、最も色彩豊かな作家である。彼の絵には、ピカソのような思想性はないが、色彩へのオマージュともいうべき、豊かな色彩感覚にあふれている。

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(江戸日本橋)

日本橋は、江戸の中心として、また諸街道の始まるところとして、特別の重みを持っていたので、様々な絵師によって描かれた。北斎は、これを富士と組み合わせることで、富嶽三十六景のひとつに仕立てたわけだ。だが、ちょっと見ただけでも、これが実景と異なることは、誰もがすぐに気づくだろう。絵は、日本橋の上から江戸城方面を眺める形になっているが、富士はその方向には見えない。したがってこの絵は、北斎の拵えものだとわかる。

先稿「述語論理」の中で、西田幾多郎の思考方法の特徴として「述語論理」というものを挙げた。筆者はこれを、中村雄一郎の議論を参照しながら、述語の共通性にもとづいて二つのものを結びつける論理であるといった。たとえば、次のようなケースがそれにあたる。

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むかし、帝、住吉に行幸したまひけり。
  われ見ても久しくなりぬ住吉のきしの姫松いくよ経ぬらむ
おほん神、げぎやうしたまひて、
  むつましと君はしら浪みづがきの久しき世よりいはひそめてき

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深沢七郎の小説「楢山節考」を、木下恵介が映画化したのは1958年、それから25年後の1983年に今村昌平が再映画化した。木下の映画は非常に芸術性に富んだ優れた作品だったので、今村は当然それを念頭に置きながら、この映画を作ったに違いない。我々今日の観客から見ても、この二つの作品には深い因縁のようなものを認めることができる。

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NGC2841は、大熊座にある渦巻き銀河である。ハッブル宇宙望遠鏡の観察により、地球から4600万光年離れていることがあきらかにされた。直径が15万光年以上あり、我々の天の川銀河よりもかなり大きい。

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遠江山中とは、文字通り遠州の山の中という意味であろう。その山の中で、木挽き職人たちが材木を切り、そのおが屑を焼いて上ったらしい煙がたなびく彼方に、富士がのんびりとした姿を見せる。なかなかの勇壮さを感じさせる絵である。

たとえ誤読なりとも、これだけの量の、しかも大した内容を持たない本を読み抜くには、相当な忍耐がいることだろう、と筆者などは思ってしまう。「誤読日記」と題した斎藤美奈子女史の書評集が取り上げているのは、こう言っては何だが、紙屑に近いようなろくでもない本ばかりだと言ってよい(なかにはいくつかまともなものもあるが)。こういう本は、古本屋でキロいくらで売っているような代物で、筆者などには、金を払うのは無論、目を通すのも御免だ。それを女史は、ひととおり目を通したばかりか、書評までしている。見上げた態度と言わねばなるまい。

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「玉ねぎのある静物(Nature morte aux oignons)」と呼ばれるこの絵は、前掲の絵「ペパーミントの瓶(Nature morte à la bouteille de peppermint)」と構図が似ている。背景が広いこと、モチーフが左に偏っていることなのだ。背景が広いことでは、この絵の方がはるかに広いと言ってもよい。というのも、前掲の絵では、背景の壁の一部が窓のようになっていて、その分、だだっ広い感じを相殺していたのが、この絵では、窓も何もない壁が、寒色の色合いのまま、だだっ広く広がっている印象を与えるからである。

憲法学者の長谷部恭男と政治学者の杉田敦が、朝日紙上の対談の中で、安倍政権の語法について手厳しく批判している。安倍政権のおかしな語法については筆者も関心があり、先日もこのブログで、安倍政権が続けば、そのうち「平和」という漢字が「戦争」を意味するようになるだろうと書いた。対談のお二人も同じ意見で、安倍政権の語法によれば「戦争は平和である」(長谷部)ということになると言い、そういうのを「新語法(ニュースピーク)」だと指摘している(杉田)。

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むかし、陸奥の国にて男女すみけり。男、みやこへいなむ、といふ。この女いとかなしうて、馬のはなむけをだにせむとて、おきのゐて都島といふ所にて、酒飲ませてよめる。
  おきのゐて身を焼くよりも悲しきはみやこしまべの別れなりけり

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幕末の激動期には、社会の混乱を象徴するような様々な事件が起こった。一揆や打ちこわしの外、「おかげ参り」とか「ええじゃないか」といった民衆運動などがその代表的なものである。とりわけ「ええじゃないか」は、この時代に特有な現象であって、急激に燃え広がったと思うや、わずかな期間で鎮静化した。討幕運動のさなかに起きた事件と言うので、薩摩を中心とした討幕派の陰謀だとする説もある。

安倍晋三総理大臣が国会論戦の中で、ポツダム宣言についての質問に対して、「まだその部分をつまびらかに読んでいないので、直ちに論評することは差し控えたい」と答えたそうだ。これは、総理がポツダム宣言を読んでいないというふうに受け取られた。たとえ一度だけでも読んでいれば、そこに何が書かれてあるかは、頭に入っているはずだ。そんなにむつかしい事が書いてあるわけではない。だから、聞かれて答えられないわけはない、というわけであろう。

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(相州梅澤左)

相州梅澤は、東海道の宿場町で大磯と小田原の間にあった。名にあるとおり、梅が名物だった。しかしこの絵の中には梅は描かれていない。描かれているのは鶴だ。富士をバックにして、地上には5羽の鶴が身を休め、2羽の鶴が飛んでいる。このように、鶴と富士とを組み合わせた図柄は、正月の縁起物として重宝されたので、北斎もこの絵を、正月用のお年玉として描いたのかもしれない。

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キューピッドの石膏像(l'Amour en plâtre)のある静物画を、セザンヌは何点か描いているが、これはそのうち最も有名になったもの。有名になったわけは、この絵の構図が極めてユニークなことにある。

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「班女」は世阿弥にとって会心の作だったらしく、「恋慕のもっぱらなり」(五音曲条々)といって自賛している。だが、そう自賛する割には、この曲は所謂世阿弥らしい能のあり方とは大分違っている。前後二段からなっているとはいえ、複式夢幻能の形はとらず、むしろ現在能であるし、物語性が希薄で、大部分が舞からなっている。というより舞尽くしの能といってもよい。そんなところからこの能は、世阿弥の比較的初期の、複式夢幻能を確立する以前の、過渡的な作品と思えるところがある。

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(甲州三島越)

甲州三島越とは、甲州から籠坂峠を越えて駿河の御殿場を経由し、伊豆の三島に至る街道筋を言う。地名ではなく、街道の旅路を指して言ったわけである。この絵は、籠坂峠を描いたものと言われる。

西田幾多郎の思想は、純粋経験から出発して、その問題意識を深める方向で、自覚を経て場所へと変転していった。場所とは、すべての経験がそこにおいて成立する舞台のようなものであり、またあらゆる実在の基盤となるものであった。それは究極的な一般者というふうに言われることもあるが、一般者とは西田に於いては、自己を限定して個物を生じるものであり、したがって個物からなるこの世界の究極根拠となるものでもあった。その場所あるいは一般者を西田は無と言い、場所の中でももっとも高次の次元の場所を絶対無と言った。

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むかし、仁和のみかど、芹河に行幸したまひける時、今はさること、似げなく思ひけれど、もとつきにけることなれば、大鷹の鷹飼にてさぶらはせたまひける。すり狩衣のたもとに書きつけける。
  翁さび人なとがめそかりごろも今日ばかりとぞ鶴も鳴くなる
おほやけの御けしきあしかりけり。おのがよはひを思ひけれど、若からぬ人は聞きおひけりとや。

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今村昌平の1979年の作品「復讐するは我にあり」は、佐木隆三の同名の小説を映画化したものだ。原作は、昭和38年から39年にかけて起きた連続殺人事件に取材したもので、ちょっとしたベストセラーになった。映画は、原作の内容をほぼ忠実に再現しているという。興行的にはかなり成功したようだが、いまひとつわからないところの多い作品だ。

ケリー米国務長官が中国と韓国を訪れ、それぞれ安全保障問題について意見を交わした。ケリー長官は、中国に対しては、南シナ海における領土拡張的な動きをけん制する発言をしたが、中国側は、(主権の行使という)当然のことをしているのであって、他人のアメリカからとやかく言われる筋合いはないと反発した。

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(東都浅草本願寺)

浅草の東本願寺の巨大な屋根を前景として富士を遠景に描き、その両者が相似形をなしていることで、画面に微妙な安定感をもたらしている。そして、右手に材木を組んだ巨大な構築物を、その構築物と本願寺の屋根の間に空中を飛びまわる凧を配することで、画面全体を更に一層引き締める。この絵には、北斎の構図への拘りが強く見て取れる。

佐藤優といえば、鈴木宗男バッシングの巻き添えを食って豚箱に放り込まれた男だが、出所後もそのことについては愚痴をこぼさず、旺盛な文筆活動を展開している。その姿を筆者などはなかなか見上げた態度だと、遠くから感心していた次第である。佐藤の持ち味は、国際情勢についての鋭い分析にあると言えるが、それは彼のお家芸であるロシアやイスラエルの情勢のみならず、広い範囲に及んでいる。「新・戦争論」と題した、池上彰との対談集は、そんな彼の現下の国際情勢についての、鋭い指摘に満ちている。読んで損をしない本だ。

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2012年米大統領選をオバマと戦ったミット・ロムニーが、元世界ヘビー級チャンピオンのエヴァンダー・ホリフィールドとボクシングの試合をしたそうだ。といっても、公式のタイトルマッチではなく、ノンタイトルのチャリティマッチだということだ。

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1894年には、セザンヌは何点かの静物画で実験的な試みをしているが、中でも「ペパーミントの瓶(Nature morte à la bouteille de peppermint)」と題したこの絵は、最も強い実験性を感じさせる。

エジプトの裁判所が、モルシ元エジプト大統領に死刑判決を下した。罪状は、反ムバラクデモの最中に自身が脱獄したほか、ムスリム同胞団の活動家ら約2万人の脱獄に関与したというもの。先日は、大統領時代に反モルシデモを弾圧した罪状により禁固20年の判決を受けたばかりだ。訴追案件はこれ以外にもあり、今後順次裁判が行なわれる予定。そのたびに、死刑判決が重なると思われる。

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むかし、あてなるをとこありけり。そのをとこのもとなりける人を、内記にありける藤原の敏行といふ人よばひけり。されど若ければ、文もをさをさしからず、ことばもいひ知らず、いはむや歌はよまざりければ、かのあるじなる人、案をかきて、かかせてやりけり。めでまどひにけり。さてをとこのよめる。
  つれづれのながめにまさる涙河袖のみひぢてあふよしもなし
返し、例のをとこ、女にかはりて、
  あさみこそ袖はひづらめ涙河身さへながると聞かば頼まむ
といへりければ、をとこいといたうめでて、今まで巻きて、文箱に入れてありとなむいふなる。をとこ、文おこせたり。得てのちのことなりけり。雨のふりぬべきになむ見わづらひはべる。身さいはひあらば、この雨はふらじ、といへりければ、例のをとこ、女にかはりてよみてやらす。
  かずかずに思ひ思はず問ひがたみ身をしる雨は降りぞまされる
とよみてやれりければ、蓑も傘も取りあへで、しとどに濡れて惑ひ来にけり。

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今村昌平の映画「にっぽん昆虫記」は、戦中から戦後にかけての厳しい時代を、たくましく生き抜いた一人の女を描いたものである。この時代の、貧しい家に育ち、自分の身体の外には何も持つものがない女の多くが売春に身をうずめたのと同じように、この映画の主人公の女も売春稼業に身を沈めながら、それでもたくましく生きた。そんな女の生きざまを、今村は冷徹きわまる視点から描いたわけだ。

大手メディアはほとんどスルーしていたが、5月13日から3日間、横浜で開催された武器見本市が一部で厚い視線を浴びた。この見本市は、正式には海洋システム・テクノロジー大会(Maritime Systems and Technologies (MAST) conference )と言って、イギリスの防衛産業大手企業が主催し、日本の防衛省と経産省が後援した。

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(相州七里ヶ浜)

天保二年刊柳亭種彦「正本製」十二編下巻の巻末広告に、「或は七里ヶ浜にて見るかたち、又は佃島より眺むる景など」とあるとおり、七里ヶ浜と佃島の絵は、ベロ藍で描かれた10枚の作品に含まれる。この画面では、他の染料も含まれているが、これは増し摺りの際に施されたのだろう。版画は、増し摺りのたびに、色の組み合わせを変化させることが多い。

イスラエルが中東で圧倒的な存在を誇っている背景にアメリカの影があることは周知のことだ。仮にアメリカがイスラエルの保護者として振る舞って来なかったら、イスラエルは今日まで存続していたかわからない。それが、周辺諸国との軍事的・政治的緊張を潜りぬけ、未だに非対称的な優位を保っていられるのは、アメリカのおかげだ。しかしそれにしてもアメリカは、なぜかくもイスラエルの保護者としての役割を果たして来たのか。言い換えれば、アメリカはなぜイスラエルを偏愛するのか。その理由の一端を、この本は明らかにしてくれる。

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セザンヌは1890年代に入ると、静物画のモチーフの一つとして、模様入りのテーブルクロスを入れるようになる。それ以前には、白いナプキンが用いられていたわけだが、白いナプキンが、果物の効果を盛り上げるための脇役として用いられていたとすれば、模様入りのテーブルクロスは、それ自体に絵画的な効果を盛り込んだものだ。

能「清経」

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清経は、世阿弥の修羅能の傑作であるが、世阿弥の他の作品と比較して特異な構成で成り立っている。世阿弥と言えば複式夢幻能と言われるくらいなのだが、この能は複式能ではなく現在能である。現在能なのだが、現実の中で物語が進行するわけではなく、物語の本体は、清経の妻の夢の中で展開する。その夢の中で清経は、自分の経験した戦いの恐ろしさを語り、自分が自殺したのは致し方のないことだったのだと言い訳をするのだが、その言い訳がまた連綿として、しかも女々しく、尽きるところを知らないと言った風情で、要するに饒舌と言ってもいいほどなのだ。能では、シテはあまり饒舌にならないのが普通なので、これもまたかなりユニークなことと言わねばならない。そんなわけでこの能は、世阿弥の作品の中では特別の位置づけを与えられるべきものだといえよう。

北朝鮮の国防長官職である人民武力相で金正恩の側近としても知られた玄永哲が、国家反逆罪で処刑されてそうだ。国家反逆罪と言うといかにもものものしく聞こえるが、韓国の国家情報院筋によると、金正恩の演説中に威眠りしたことが犯罪構成要件だという。同情報筋によると、被告は某所で高射報を撃ち込まれて公開処刑されたともいう。

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「甲州石班沢」と題するこの絵は、ベロ藍だけを用いて印刷された。ベロ藍とは、プルシャンブルーという染料のことで、天保の初年に輸入され、瞬く間に普及した。ベロ藍のベロとは、プロシャの首都ベルリンのことである。

西田幾多郎の「叡知的世界」は、カントの「叡智界(ヌーメノン)」を想起させるが、両者は似て非なるものである。では、どこが似ていて、どこが違うのか、ここではそれを見ておきたいと思う。まず、叡智的世界について西田自身が語っている部分を、論文「叡智的世界」から引用しよう。

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むかし、をとこ、親王たちの逍遥したまふ所にまうでて、龍田河のほとりにて、
  ちはやぶる神代も聞かず龍田河からくれなゐに水くくるとは

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今村昌平の持ち味を重喜劇と評したのは佐藤忠男だが、なかなか言い得て妙である。喜劇と言えば、笑うべき事態を軽く笑い飛ばすというのが本分だと誰もが思うだろうから、重喜劇と言われると、形容矛盾のようにも聞こえる。笑えない現実を、無理に笑いとばそうとする気負いのようなものを感じさせるからだ。だが、今村昌平の作品にみなぎっているのは、こうした気負いのようなものなのかもしれない。

習近平の中国が東アフリカのジブチに軍事拠点をおく計画を進めているようだ。ジブチと言えば、紅海の入り口にあって、ヨーロッパとインド洋を結ぶ海路の要衝ともいえるところだ。中国は、ヨーロッパとの間を結ぶ海のシルクロード構想を打ち上げていることから、ジブチの軍事拠点は、このシルクロード防衛の拠点として考えているのだろう。

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尾州不二見原は、いまの名古屋市中区富士見町あたりのことをさすらしい。現在は名古屋市の中心部近くで、辺りは建物が林立し、富士は見えないと思うが、徳川時代にはこのように、遠くに見えたのだろう。もっとも現在の地図で見ると、富士見町と富士山との間には、小さな掘割があることになっていて、この絵の内容とは多少様子が違うようだ。

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EGS-zs8-1は、うしかい座にある銀河で、観測史上地球から最遠の距離にある。この銀河は米イェール大学の観測チームによって発見されたが、チームの測定によれば、その距離は地球から131億光年離れている。宇宙の最古の時期に形成された銀河の一つで、生誕の時期はビッグバンから6億7千万年後のことと推測される。

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1894年に完成したこの静物画は、日本では「生姜壺と砂糖入れと林檎のある静物」の名で通っているようだが、原語では単に「静物(Nature morte)」という。さまざまなものが雑多に並べられており、テーマを絞るのがむつかしいからだろう。

沖縄の辺野古問題を巡って、安倍政権と沖縄との対立が深まっている。このままでは、穏便な解決を望むことはできないだろう。もしかしたら血が流れるかもしれない。そうなったらこの問題は、アウトオブコントロールの状態に陥り、ひいては沖縄と本土との亀裂の深刻化はもとより、日米安保の行く末にも重大な影響を及ぼすだろう。

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むかし、ことなることなくて、尼になれる人ありけり。かたちをやつしたれど、物やゆかしかりけむ、賀茂の祭見にいでたりけるを、をとこ、歌よみてやる。
  世をうみのあまとし人を見るからにめくはせよとも頼まるるかな
これは、斎宮のもの見たまひける車に、かくきえたりければ、見さしてかへりたまひにけりとなむ。

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シェイクスピア役者として出発したローレンス・オリヴィエにとって、「ハムレット」は、最も力を込めた映画作品だったようだ。オリヴィエは、シェイクスピアの映画化にあたって、なるべく原作の雰囲気を生かそうとした。「ヘンリー五世」などは、シェイクスピア時代のグローブ座での公演を再現したうえで、セリフ回しも原作をなるべくそのまま踏襲した。シェイクスピア時代の英語が、現代のイギリス人にも十分通じるから、そういうことができるのだろう。日本語の場合にはそうはいかない。近松や西鶴のセリフ回しをそのまま使ったら、いまの日本人には、理解できない部分が多くて、興ざめになるだろう。

イギリスの総選挙は、大方の事前予想に反してキャメロンの保守党が過半数を制する勝利に終わった。事前予想では、保守党と労働党はほぼ互角、どちらも過半数は獲得できず、一方自由民主党は後退、そのかわりにスコットランドの地域政党スコットランド民族党が躍進するだろうとされていた。自民党の没落とスコットランド民族党の躍進は予想通りだったが、保守党がここまで勢いを盛り返すとは、誰も予想しなかったことだ。この結果、キャメロンは保守党単独の政権を作ることができるようになった。

この題名は聊かトリッキーに映る。というのも「保守」と「リベラル」は、普通は対立する概念であって、融合するものではないとされているからだ。特にこの一対の概念が政治的な対立軸として流通しているアメリカでは、「保守」は共和党、リベラルは民主党が体現しているということになっている。アメリカのこの二大政党は、アメリカ建国の理念を共有するという点で、共通の地盤に立っているともいえるのだが、政治的には互いに対立しあい、排斥しあうものとして受け取られているし、政党自らもそのように自己認識している。

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(武州玉川)

多摩川は大きな川だから、下流では対岸が霞んで見えただろう。だからこの絵は、川幅からして中流域を描いたのだとわかる。どのあたりかははっきりしない。川の中ほどには、客と荷を積んだ渡し船が浮かび、手前の河原では、荷を積んだ馬を引っ張る男が渡し船の様子を眺めている。

大分県高崎山で生まれたばかりの雌猿に「シャーロット」という名をつけたところ、失礼だと言って(日本人からの)抗議が集中した。というのも、この名は先日生まれたばかりのイギリスの王女と同じ名前であり、それをこともあろうに猿につけるとは、イギリス王室に対して失礼だと感じた人が多かったということらしい。ところが、当のイギリス王室では、ほとんど問題視していない。どうぞご自由に、というような態度だ。そこで、一旦は世間の風を考慮して、名前の変更を考えた地元では、このまま行ってよいのではないかと考え始めたということだ。

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これは、絵は自然の再構成だというセザンヌの主張が典型的に投影された作品といえる。目の前の物を見えるとおりに描いたら、決してこんな絵にはならない。真ん中に立っている瓶は不自然に傾いているし、皿の上のビスケットは今にも崩れそうだし、第一テーブルの形がゆがんでいる。向う側の縁のラインが右と左で一致していないし、手前の方も一致していないばかりか、側面部分もごちゃごちゃとして、まとまった形になっていない。

漱石の最後の小説「明暗」は、病み上がりの津田が伊豆の温泉に湯治名目で出かけて行って、そこでかつての恋人清子と再会する場面で終っている。この小説は、先稿でも言及したように、主人公の二人の女性との関係を軸に展開していくもので、清子はその二人の女性の一人として、重要な位置づけのキャラクターだ。その重要な人物との関係がどのように展開していくか、読者としては大いに関心をそそられるところだが、その関心が盛り上がったところで、小説はいきなり中断してしまうのだ。いうまでもなく、執筆者の漱石自身が、大病に襲われて死んでしまったからだ。

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(青山円座松)

青山円座松とは、青山の龍岩寺(現在の渋谷区神宮前)にあった笠松のことをさすらしい。ここの笠松は江戸名所図会にも描かれているが、そちらの方は、灌木が横に広がったように描かれている。それに比べると北斎の描いたこの松は、随分と規模が大きい。それには多少の訳がありそうだ。

西田幾多郎は、同時代の直感主義的流れの中でも、ベルグソンに最も親近感を抱いたようである。もっとも「善の研究」を書いたときには、まだベルグソンに親しんでいたわけではなかった。「善の研究」における純粋経験の立場は、ウィリアム・ジェームズに刺激されるところが大きかったのである。ところが、ジェームズの場合、純粋経験の概念は、もっぱら心理的現象を説明するためのものであって、それ以外の分野においては、別の原理を採用していた。純粋経験をもとにすべてを説明し尽くしたいと考えた西田にとって、ジェームズのそのような立場は中途半端に映った。ベルグソンの直感主義は、そうした中途半端さを感じさせない。それは、人間の意識現象は無論、世界のすべてを根拠付ける原理というふうに、西田には受け取れた。こんなことから、ベルグソンへの西田の親近感は、並々ならぬものへと深まっていったようなのである。

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写真(ロイター/ AFP)は南シナ海の南沙諸島にあるファイアリー・クロス礁の埋立状況を示すもの。左が昨年8月、右が最近の状況である。埋立が完成すると、南沙諸島最大の面積を持つ島となり、そこに長さ三キロの滑走路の建設が予定されているという。

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むかし、左兵衛の督なりける在原の行平といふありけり。その人の家によき酒ありと聞きて、うへにありける左中弁藤原の良近といふをなむ、まらうどざねにて、その日はあるじまうけしたりける。なさけある人にて、瓶に花をさせり。その花のなかに、あやしき藤の花ありけり。花のしなひ、三尺六寸ばかりなむありける。それを題にてよむ。よみはてがたに、あるじのはらからなる、あるじしたまふと聞きて来たりければ、とらへてよませける。もとより歌のことはしらざりければ、すまひけれど、しひてよませければかくなむ、
  咲く花の下にかくるる人を多みありしにまさる藤のかげかも
などかくしもよむ、といひければ、おほきおとどの栄花のさかりにみまそがりて、藤氏のことに栄ゆるを思ひてよめる、となむいひける。みな人、そしらずなりにけり。

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1944年のイギリス映画「ヘンリー五世」は、シェイクスピア劇の最も完璧な映画化と言われた。その監督と主演をつとめたのは、20世紀最高のシェイクスピア役者と言われたローレンス・オリヴィエだ。オリヴィエはのちに、役者としては初めてサーの称号を受ける。それにあたっては、長年の役者としての活躍と共に、この映画を作ったことも大いに働いていた。というのもこの映画は、ナチスドイツなど枢軸国と戦っていた当時のイギリス人を奮い立たせるための、国威発揚の映画として作られたからだ。この映画で愛国心を吹き込まれたイギリスの国民は、敢然として戦場に赴いた。その功績がオリヴィエをして、役者でありながらサーの称号を獲得せしめた大きな要因となったわけだ。

昨年(2014)8月にミズーリ州ファーガソンで起きた、白人警察官による黒人殺害がきっかけで大規模な抗議行動が沸き起こったたことは記憶に新しい。この事件では、丸腰の黒人を射殺した白人警察官が罪に問われなかったことで、アメリカの人種差別の根深さを思い知らせたものだったが、不思議なことに、この事件が火を点けたと思うほど、その後白人警察官による黒人の殺害が相次いで起きた。その頻度は、月に二・三回にも及ぶという。先日は、ボルティモアで同じような事件が起こり、大規模な抗議行動が発生、オバマ大統領自ら、事態の異常さを認めねばならぬほどだった。

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駿台とは駿河台の略称。今の御茶ノ水駅付近の、神田川の南側の台地のことを指す。このあたりには幕臣が多く住んでいたことから駿河台と名づけられた。この絵は、その駿河台を、神田川の北側である湯島側から眺めた構図と思われる。画面下の川が神田川、その先に広がっているのが駿台というつもりだろう。

内田樹の「街場のアメリカ論」はさまざまな角度からアメリカを論じたもので、なかなか啓発される。とくに日米関係に関したところは、この正反対といえる両国が、如何に歴史の腐れ縁で深く結ばれているということを、説得的に論じている。ここでは、そんな内田のアメリカ論の視点のうちから二つを取り上げてみたい。ひとつはアメリカ人の原理主義的な姿勢とそれが日本に及ぼした余波、もう一つはアメリカの西漸志向とそれがどのようにして日本を巻き込んだか、ということだ。

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「調理台(La table de cuisine)」と題されたこの絵は、日本では「果物籠のある静物」として知られている。調理台の向かって右端に描かれている果物籠に着目した命名だろう。その果物籠だが、一見してほかのモチーフとの間で緊張感を醸し出しているのがわかる。台を含めた他のモチーフがななめ上からの視線で描かれているのに対して、この籠は真横から見られたように描かれているのだ。そのため、他のモチーフから孤立し、まるで空中に浮かんでいるようにも見える。

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むかし、をとこ、後涼殿のはさまを渡りければ、あるやむごとなき人の御局より、忘れ草を忍ぶ草とやいふ、とて、いださせ給へりければ、たまはりて、
  忘れ草おふる野辺とは見るらめどこはしのぶなりのちも頼まむ

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「アラビアのロレンス」ことトーマス・エドワード・ロレンスは、トルコからのアラビア独立運動にかかわった人物として歴史上名高い。彼の隠された任務は、アラビアをトルコから離反させ、その後の混乱に乗じてアラビアを植民地化しようとするイギリス帝国主義の露払いをつとめることにあったが、任務に従事している間に、彼自身がアラビアに愛着を感じるようになり、それが彼の行動を複雑なものにした。歴史上の人物でありながら、あたかも壮大な叙事詩の英雄としての側面を兼ね備えた稀有な人物なのである。それ故、彼の半生は、様々な人々にとって、つきせぬ霊感の泉ともなってきた。アラビアとは殆ど関係を持たない日本人でさえ、中野好夫のような学者が、彼の半生を取り上げて論じているほどだ。

安倍総理の米議会での演説は、日本の保守系メディアでは大はしゃぎで受け止められているが、欧米のメディアはかなりクールに受け止めている。地元アメリカのメディアでは、折からアメリじゅうを騒がせているボルティモアでの事態の報道の影に隠れて、まともに取り上げられていない。たしかに安倍総理の演説は、舌がもつれているようなたどたどしい英語だったし、中身もほとんど新味がなかった。地元アメリカのメディアから相手にされないのも致し方がないというべきだろう(地元の現場でそれを聞かされていた上下両院の議員たちがそれなりの敬意を表したのには、また別の理由がある)。

NGC1300

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NGC1300は、エリダヌス座にある棒渦巻銀河である。棒渦巻銀河とは、中心部が棒状を呈し、そこから渦状腕が伸びているもの。この映像(NASAから)を見ると、中心の部分が棒状を呈しているのがわかる。

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深川万年橋は深川を東西に貫く掘割小名木川が隅田川に合流する河口にある。掘割は中川を横断して江戸川につながっており、江戸川河口の浦安で取れた塩や、その周辺の畑でとれた野菜を江戸に運ぶ役目を果たしていた。徳川時代における江戸の物流大動脈だったわけだ。

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「サクランボと桃(Cerises et pêches)」と題するこの絵は、セザンヌの静物画の歩みにとって、一つの画期をなすものである。この絵は、1883年に描き始めてから完成まで4年の歳月を要しているが、同年に完成した静物(Nature Morte)と比較しても、技法上の顕著な進化が指摘できる。

漱石の小説に出てくる女性たちは、どちらかというと個性のない陽炎のような存在と言うイメージが強い。「虞美人草」の藤尾や「三四郎」の美弥子のような、多少の個性を感じさせる女性もいないではないが、彼女らの個性も、彼女ら自らの強い意思に従って、彼女らの内部から発せられるというよりは、男の視線を通じて浮かび上がってきたような在り方としてである。どちらにしても漱石の描いた女性たちは、男にとっての従属的な存在だというイメージを拭えない。そんな中で、「明暗」のお延だけは独特の光を放っている。彼女は、男との関係で初めて女性であるのではなく、それ自身で自立した女性として描かれている。この女性は、色々な面で複雑な性格を感じさせるのだが、その複雑性は、彼女が自立している事の反映というような具合に描かれているのである。

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