内田樹「街場のアメリカ論」

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内田樹の「街場のアメリカ論」はさまざまな角度からアメリカを論じたもので、なかなか啓発される。とくに日米関係に関したところは、この正反対といえる両国が、如何に歴史の腐れ縁で深く結ばれているということを、説得的に論じている。ここでは、そんな内田のアメリカ論の視点のうちから二つを取り上げてみたい。ひとつはアメリカ人の原理主義的な姿勢とそれが日本に及ぼした余波、もう一つはアメリカの西漸志向とそれがどのようにして日本を巻き込んだか、ということだ。

アメリカの原理主義的姿勢は、なんでもかんでも理念先行でなければ気がすまないという態度のうちによく現れていると内田は言う。アメリカの建国がそのもっともいい例だった。アメリカはイギリスとの独立戦争を戦った末に建国したわけだが、その建国の理念というのがその後のアメリカの統治システムを指導していった。アメリカ人は、いわば何もないところから出発して、自分たちの身の丈にあった理念をぶち上げ、その理念にしたがって統治システムを作ったわけだ。こんな理念先行の国は、アメリカ以外にはない。どんな国でも、理念というものは目の前の現実を合理化するために後追いでこしらえられるものだが、アメリカはまず理念が先行して、現実がそれを追いかける、というある意味不思議なプロセスをとっている。

アメリカ人の原理主義的姿勢は、彼らの信じている宗教にも根ざしているところがある。アメリカ人ほど宗教心の深い国民はないと内田はいうのだが、その宗教心は時によってファナティックな様相を呈することがある。アメリカ人の宗教の中核はプロテスタントであり、なかでもメソディストなどの原理主義的な宗派が大きな勢力を占めているが、この原理主義的な宗教がとくにファナティックになりやすい。イラクに戦争を仕掛けた息子のブッシュは、政治的な理由からではなく宗教的な理由から戦争に踏み切ったとよくいわれるが、そのブッシュの決断にもファナティックな要素を認めることができる。この戦争は、イスラムの悪に対抗するキリスト教十字軍の聖なる戦いだというわけである。

この原理主義的宗教心は、時に残酷さを呈することがある。戦争の際に見せるアメリカ人の残酷さは、インディアンの虐殺に始まり、日本の市民の大量虐殺に至るまで枚挙に暇がないが、それは、キリスト教徒以外はケダモノと同列だとする彼らの偏狭な考え方に裏付けられたものなのだという。たしかに、東京大空襲の際に、アメリカのパイロットが、逃げ回る日本人を、まるで悪童がねずみを嬲り殺すように、嬉々として殺しまわっていたとは、空襲の生き残りの証言にもあるが、そこにはアメリカ人特有の宗教的な不寛容が、強くかかわっていたのであろう。

アメリカ人の西漸志向は、西部開拓という形でまず現れた。西へ西へとつかれたように移動していくアメリカ人の姿は、あのトクヴィルをびっくりさせたようだ。彼には、アメリカ人のこのような行動様式はとても合理的なものとは思われず、ただ「移動することそれ自体」にアディクトしていると映った。ヨーロッパ的な基準からすると、「精神の不安定、並外れた求富の欲望、独立に対する極端な愛着といった開拓精神は一種の精神病とみなされかねない」というのだ。

ペリーが日本にやってきたのも、この精神病的な西漸志向の一環としてであって、カリフォルニアで海に突き当たった西漸志向が、海を越えてさらに西へ西へと進んでいった結果だった。この過程で、ハワイ、グアム、フィリピンといった島々を植民地化し、あわよくば日本をも植民地化したいと思っていたに違いない。それがそうならなかったのは、ペリー来日の数年後に南北戦争という内乱が勃発し、海外に力を注ぐ場合ではなくなったからだ。もし南北戦争が起こらず、アメリカが国として一体化していたならば、日本はあるいはアメリカの植民地になっていたかもしれない、そうした可能性に想像力をはせるのが大事なことなのだと内田は言うのである。

維新前夜の激動の時期に、日本は何とかアメリカの植民地にならずにすんだが、それから数十年後、アメリカとの大戦争に敗れて実質的な属国となってしまったのは、歴史の示すとおりである。今や、日本を西部方面のフロンティアにおける属国としたアメリカは、日本をさらに越えて西漸を続け、アフガニスタン、イラン、イラクへと侵攻を続けている。そうしたアメリカの行動を見ると、国際政治の表向きの説明とは異なった、アメリカの潜在意識のようなものを感じ取ることができる、というわけだ。

今やアメリカ帝国の西端の属国と化した日本だが、今後アメリカが永久に世界の覇者でいられるという保証はない。いつかは没落する可能性が高い。そうなったときに、日本はどうなるのか。それを内田は次のように予測する。

「アメリカが没落し、西太平洋から撤退したあとの日本は、このままでは『主人のいない従者』『本国のない属国』『宗主国のない植民地』になる可能性が高い。これは考え得る最悪の国のありようの一つです」

もっとも今の日本の統治者は、内田にこう言われてもピンと来ないだろう。彼らには、アメリカの属国である状態がほとんど自然の必然のように感じられるので、アメリカのいない世界なんて、自分自身もいない世界に違いない。自分自身がいない世界について、考えても仕方がないというわけだ(内田は「日本戦後史論」の中で、アメリカに見放された日本は北朝鮮型の暴走国家になるのではないかと予想している)。







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