東都駿台:北斎富嶽三十六景

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駿台とは駿河台の略称。今の御茶ノ水駅付近の、神田川の南側の台地のことを指す。このあたりには幕臣が多く住んでいたことから駿河台と名づけられた。この絵は、その駿河台を、神田川の北側である湯島側から眺めた構図と思われる。画面下の川が神田川、その先に広がっているのが駿台というつもりだろう。

湯島の聖堂あたりに立って、実際の風景を眺めてみればすぐわかるとおり、この絵の中の構図も、現実の姿とはかなり異なっている。神田川は、台地を刳り抜いて通したといういきさつ、また、江戸城の外堀を兼ねていたという機能上のこともあって、両岸を切り立った壁に囲まれている。ところがこの絵の中の神田川は、普通の川のように描かれており、手前のほうが聊か急な斜面と言うことになっている。水道橋あたりから見れば、あるいはこれに近く見えるかもしれないが、湯島付近からは決してこのようには見えないはずだ。

絵のなかでは、神田川に通じる斜面を、大勢の人々が行きかっている。棒振りや行商人など町人の姿が多いが、中には家来を従えた武士の姿もある。駿台を含めた神田界隈は、徳川時代から多様な人々がともにくらす賑やかな場所だったと、この絵からも推測される。

画面左手の方は急峻な土地として描かれている。昌平橋の南詰から見れば、こんな景色が目に移った可能性はある。しかし、その場合には富士がある方角は反対側になってしまう。この絵もやはり、北斎が作った絵だと指摘できる。







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