深刻化するアメリカ警察の人種差別問題

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昨年(2014)8月にミズーリ州ファーガソンで起きた、白人警察官による黒人殺害がきっかけで大規模な抗議行動が沸き起こったたことは記憶に新しい。この事件では、丸腰の黒人を射殺した白人警察官が罪に問われなかったことで、アメリカの人種差別の根深さを思い知らせたものだったが、不思議なことに、この事件が火を点けたと思うほど、その後白人警察官による黒人の殺害が相次いで起きた。その頻度は、月に二・三回にも及ぶという。先日は、ボルティモアで同じような事件が起こり、大規模な抗議行動が発生、オバマ大統領自ら、事態の異常さを認めねばならぬほどだった。

これは今のアメリカが抱えている病の現れだという意見もあるが、その病がどのような機制で発症し、それに対してどのような処方箋が適切なのか、なかなか見えないというのが現状らしい。人種間における格差の拡大に根本的な要因が潜んでいるのでは、という言説がもっとも有力だが、正反対の見方もあったりして、最小公倍数的な見方が確立されているわけではない。

筆者なりに考えたところを言うと、ひとつは警察の黒人への不寛容が強まっているということ、もうひとつは、アメリカ諸都市における人種分布の変化が緊張をもたらしている、ということだ。

まず警察の黒人への不寛容ということについては、1999年から2007年までボルティモアの市長をつとめ、現在メリーランド州知事であるマーティン・オマリーが、黒人に対して不寛容政策をとったということを認めている。その理由は殺人事件の増大を抑えることだと彼は言うのだが、その殺人事件の被害者の圧倒的な部分は実は黒人だったという統計がある。つまり、黒人同士がからんでいるわけだ。その黒人同士のからんだ殺人を抑制するために、警察の黒人への不寛容を徹底させているということになる。

人種分布の変化ということについては、ファーガソンにしろ、ボルティモアにしろ、かつては白人多数の都市だったものが、今では黒人多数へとドラスティックに変化している事実がある。そうした変化にかかわらず、警察官の大多数は白人というのが実態だ。つまり、白人は都市人口の上では少数者に転落したにかかわらず、警察権力は依然として牛耳っている。そうした背景の中で、白人警察官による黒人市民への過剰な支配的対応ぶりが目立つようになってきた、ということは言えるのではないか。

これは従って、未来のアメリカの病を先取りしている、と言えなくもない。今世紀の半ばころには、アメリカの人口のうちの最大の集団はヒスパニック系が占めるようになると予測されている。ワスプに代表される白人集団は国レベルでも少数派に転落するわけだ。しかし、権力は依然として白人が牛耳ったまま、という可能性が非常に強い。これは、今のファーガソンやボルティモアと同じような状態だ。だとすれば、今ファーガソンやボルティモアで起きていることが、全米規模で起こるようになる可能性は非常に高いと予測される。これはまさに、アメリカの国家的な病と言うべきものである。







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