辺野古新基地建設に憲法95条を適用する件:木村草太の議論

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沖縄の辺野古問題を巡って、安倍政権と沖縄との対立が深まっている。このままでは、穏便な解決を望むことはできないだろう。もしかしたら血が流れるかもしれない。そうなったらこの問題は、アウトオブコントロールの状態に陥り、ひいては沖縄と本土との亀裂の深刻化はもとより、日米安保の行く末にも重大な影響を及ぼすだろう。

こんな状況を前にして、筆者などはかねてから、この問題に決着をつける方法として、憲法95条の適用を考えられないかと思ってきた。憲法95条とは、「一の地方団体にのみ適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方団体の住民の投票において過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することができない」というものである。辺野古移設問題は、形式的には新たな特別法を要求するようなものではないかもしれないが、ことの性質からして、それにふさわしい問題だ。しかも、それが住民投票において可決されれば、誰もが納得できる形での解決が得られるわけだし、否決された場合には、それなりに代替案の探求にむけて国民的な議論が深まろうというものだ。そう考えたわけである。

こんな筆者の考えを、更に深めさせてくれるような議論を、若手の憲法学者木村草太が展開している(「住民投票なくして『辺野古新基地建設』はありえない」:『世界』2015年6月号)。

木村は、辺野古新基地建設の法的根拠が「駐留軍用地特別法」にあることをとりあえずの前提にし、それが沖縄だけではなく日本全国に適用されるから憲法95条の住民投票は不要だとした最高裁の判断を引用して、辺野古新基地建設が、法形式的には憲法95条の適用外だと認めたうえで、この問題に憲法95条を適用することの意義について述べている。

法的な面から言うと、「米軍の設置場所や設置条件は国政上の重要事項である以上、全国民の代表からなる国会が、法律によって決めなければならない」し、憲法の条文も、「特定の地方団体に不公平な負担を課す」場合には、その団体の住民の投票を求めたと解釈するのが自然だから、という理屈になる。

また、実際面から言っても、憲法95条を適用することで、国民の間の理解が進み、長い目で見れば、プラスの効果の方が大きいはずだ、ということになる。

こんな理由から、木村は「住民投票なくして『辺野古新基地建設』はありえない」と主張するわけであるが、安倍政権は、おいそれとこの議論には乗ってこないだろう。それは見方によれば、安倍政権に自信がないことの現れと言える。自信がないから、「悪代官」のような仏頂面で、強圧的に臨むほかやり方を知らないのだろう。








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