能「清経」

| コメント(0)
150504.kiyotune1.jpg

清経は、世阿弥の修羅能の傑作であるが、世阿弥の他の作品と比較して特異な構成で成り立っている。世阿弥と言えば複式夢幻能と言われるくらいなのだが、この能は複式能ではなく現在能である。現在能なのだが、現実の中で物語が進行するわけではなく、物語の本体は、清経の妻の夢の中で展開する。その夢の中で清経は、自分の経験した戦いの恐ろしさを語り、自分が自殺したのは致し方のないことだったのだと言い訳をするのだが、その言い訳がまた連綿として、しかも女々しく、尽きるところを知らないと言った風情で、要するに饒舌と言ってもいいほどなのだ。能では、シテはあまり饒舌にならないのが普通なので、これもまたかなりユニークなことと言わねばならない。そんなわけでこの能は、世阿弥の作品の中では特別の位置づけを与えられるべきものだといえよう。

シテの清経は、平清盛の三男である。平家の没落と運命をともにした悲劇の人物ということになっているが、平家物語や源平盛衰記にはあまり多く語られていない。それ故、世阿弥は自分の想像した清経像を、かなり自由自在に使っているフシがある。その清経像とは、行動力に欠けた優柔不断なインテリで、自分から進んで難局を打開する勇気に欠け、流れに任せるまま、最後には自分で自分の命を絶つ。そのような女々しい人物像だ。

そんな女々しい男である夫が、自分を残して自殺したという知らせを聞いて、妻がその不甲斐なさを責める。清経の家来が折角持参した清経の形見の髪も、喜んで受けようとはしない。そこで清経が妻の夢枕に現れて、是非自分を誤解しないで欲しい。自分が自殺したことには、それなりの理由があったのだと弁解するわけである。自分の死を、残した妻に向かって弁解する夫と言うのも尋常ではない。その尋常ではない男の哀れな生きざまを世阿弥は描いたわけだ。

武将の修羅能と言うのは、戦いで死んだ武将が、生前の自分の戦いぶりの勇壮さを、自慢げに語るというのが普通で、自分の不甲斐なさを弁解するというのは、異常といわねばならない。その異常なことを何故世阿弥は能にしたか、これはなかなか面白いテーマである。

その面白い能を、ここではNHKがDVD化した舞台(金剛流)から紹介しよう。シテは広田陛一、ワキは岡次郎右衛門である。

舞台右手の脇座に、ツレが坐し、そこへワキが現れる。清経の家来淡津三郎が、豊前の柳が浦で入水自殺した清経の髪を、形見の品として清経の妻に送り届けるところである。(以下テクストは「半魚文庫」を活用)

ワキ次第「八重の汐路の浦の浪。八重の汐路の浦波、九重にいざや帰らん。
詞「是は左中将清経の御内に仕へ申す。淡津の三郎と申す者にて候。さても頼み奉り候ふ清経は。過ぎにし筑紫の軍に打ち負け給ひ。都へはとても帰らぬ道芝の。雑兵の手にかゝらんよりはと思し召しけるか。豊前の国柳が浦の沖にして。更け行く月の夜船より身を投げ空しく為り給ひて候。又船中を見奉れば。御形見に鬢の髪を残し置かれて候ふ間。かひなき命助かり。御形見を持ち唯今都へ上り候。
道行「此程は。鄙の住居に馴れ/\て。鄙の住居に馴れ/\て。たま/\帰る故郷の。昔の春に引きかへて。今は物うき秋暮れてはや時雨ふる旅衣。しをるる袖の身のはてを忍び/\に。上りけり忍び忍び/\に上りけり。

清経の妻に面会した三郎は、自分がやって来たいきさつと、清経の形見として清経の髪を持参したことを報告する。

ワキ詞「急ぎ候ふ程に。是は早都に着きて候。如何に案内申し候。筑紫より淡津の三郎がまゐりて候それ/\御申し候へ。
ツレ「何淡津の三郎と申すか。人までもなし此方へ来り候へ。さて只今は何の為の御使にてあるぞ。
ワキ「さん候面目もなき御使に参りて候。
ツレ「面目もなき御使とは。若し御遁世にてあるか。
ワキ「いや御遁世にても御座なく候。
ツレ「過ぎにし筑紫の軍にも。御つゝがなきとこそ聞きつるに。
ワキ「さん候過ぎにし筑紫の軍にも御つゝが御座なく候ひしが。清経心に思し召すやうは。都へはとても帰らぬ道芝の。雑兵のてにかゝらんよりはと思し召されけるか。豊前の国柳が浦の沖にして。更け行く月の夜船より。身を投げ空しくなり給ひて候。

夫の死が自殺と知った妻は、戦い破れて死んだとか、病気で死んだのならともかく、自分という者をあとに残して自殺したとは、思いもよらぬことといって激しく責める。それでも夫恋しさからか、せめて夢の中でもよいから会いたいと言いながら転寝をする。

ツレ「なに身を投げ空しくなり給ひたるとや。恨めしやせめて討たれもしは又。病の床の露とも消えなば。力なしとも思ふべきに。我と身を投げ給ふ事。偽なりつるかねことかな。実に恨みてもそのかひの。なき世となるこそ悲しけれ。地歌「何事もはかなかりける世の中の。
上歌「此程は。人目をつゝむ我宿の。人目をつゝむ我宿の。垣ほの薄吹く風の。声をも立てず忍音に泣くのみなりし身なれども。今は誰をか憚の。有明月の夜たゞとも。何か忍ばん時鳥名をも隠さで。鳴く音かな名をもかくさで鳴く音かな。
ワキ詞「又船中を見奉れば。御形見に鬢の髪を残し置かれて候。是を御覧じて御心を慰められ候へ。
ツレ「是は中将殿の黒髪かや。見れば目もくれ心消え。猶も思のまさるぞや。見る度に心尽しの髪なれば。うさにぞかへす本の社にと。
地歌「手向けかへして夜もすがら。涙と共に思寝の。夢になりとも見え給へと。寝られぬにかたぶくる。枕や恋を。知らすらん枕や恋を知らすらん。

自分を責める妻の夢枕に清経が現れ、せめて夢の中なりとも、あなたに会いたかったという。この時に清経が吐く言葉、「如何にいにしへ人。清経こそ参りて候へ」は、能の名文句としてとりわけ有名である。

シテサシ「聖人に夢なし。誰あつて現と見る。眼裏に塵あつて三界すぼく。心頭無事にして一生(一床)ひろし。実にや憂しと見し世も夢。つらしと思ふも幻の。いづれ跡ある雲水の。行くも。帰るも閻浮の故郷に。たどる心の。はかなさよ。転寝に恋しき人を見てしより。夢てふものは。頼み初めてき。如何にいにしへ人。清経こそ参りて候へ。

清経は妻の夢の中とはいえ、自分の思いを主張して、是非自分の死を受け入れてくれと頼む。それに対して妻の方では、なかなか割り切れぬ思いがやまない。

ツレ「不思議やなまどろむ枕に見え給ふは。実に清経にてましませども。正しく身を投げ給へるが。夢ならで如何で見ゆべきぞ。よし夢なりとも御姿を。見みえ給ふぞ有難き。さりながら命を待たで我と身を。捨てさせ給ふ御事は。偽なりけるかねことなれば。唯恨めしう候。
シテ「さやうに人をも恨み給はゞ。我も恨は有明の。
詞「見よとて贈りし形見をば。何しに返させ給ふらん。
ツレ「いやとよ形見を返すとは。思ひあまりし言の葉の。見る度に心づくしの髪なれば。
シテ詞「うさにぞかへすもとの社にと。さしも贈りし黒髪を。あかずは留むべき形見ぞかし。
ツレ「愚と心得給へるや。慰とての形見なれども。見れば思の乱髪。
シテ「わきて贈りしかひもなく。形見をかへすはこなたの恨。
ツレ「われは捨てにし命の恨。
シテ「互にかこち。
ツレ「かこたるゝ。
シテ「形見ぞつらき。
ツレ「黒髪の。
地歌「恨をさへに言ひそへて。恨をさへに言ひそへて。くねる涙の手枕を。ならべて二人が逢ふ夜なれど恨むれば独寝の。ふしぶしなるぞ悲しき。実にや形見こそ。中々憂けれこれなくは。忘るゝ事もありなんと思ふもぬらす。袂かな思ふもぬらす袂かな。

そこで清経は妻に向かって、自分の最後の時の様子と、自分が自殺にいたった理由とを延々と述べ始める。

シテ詞「古の事ども語つて聞かせ申し候ふべし。今は恨を御晴れ候へ。
シテ「さても九州山鹿の城へも。敵よせ来ると聞きし程に。取る物も取りあへず夜もすがら。高瀬舟に取り乗つて。豊前の国柳といふ所に着く。
地「実にや所も名を得たる。浦は並木の柳蔭。いと仮初の皇居を定む。
シテ「それより宇佐八幡に御参詣あるべしとて。
地「神馬七疋。其外金銀種々の捧物。即ち奉幣のためなるべし。
ツレ「かやうに申せば猶も身の。恨に似たる事なれども。さすがに未だ君まします。御代のさかひや一門の。果をも見ずして徒らに。御身一人を捨てし事。誠によしなき事ならずや。
シテ「実に/\是は御理さりながら。頼みなき世のしるしの告。語り申さん聞き給へ。
地「そも/\宇佐八幡に参籠し。さまざま祈誓怠らず。数の頼みをかけまくも。忝くも御戸帳の錦の内よりあらたなる。御声を出してかくばかり。
シテ「世の中の。宇佐には神も。なきものを。何祈るらん。心づくしに。
地「さりともと。思ふ心も。虫の音も。弱りはてぬる。秋の暮かな。
シテ「さては。仏神三宝も。
地「捨てはて給ふと心細くて。一門は。気を失ひ力を落して足弱車のすご/\と。還幸なし奉るあはれなりし有様。

清経の口上は段々と核心に迫っていく。その部分は居グセの形で語られる。

クセ「かゝりける所に。長門の国へも敵むかふと聞きしかば。また船に取り乗
りていづくともなくおし出す。心の内ぞあはれなる。実にや世の中の。うつる夢こそ誠なれ。保元の春の花寿永の英気の紅葉とて。散々になり浮む。一葉の船なれや。柳が浦の秋風の。追手がほなる跡の波白鷺の群れ居る松見れば。源氏の旗をなびかす多勢かと肝を消す。こゝに清経は。心にこめて思ふやう。さるにても八幡の。御託宣あらたに心魂に残ることわり。誠正直の。頭にやどり給ふかと。唯一筋に思ひ取り。
シテ「あぢきなや。とても消ゆべき露の身を。
地「なほ置き顔に浮草の。波に誘はれ船に漂ひていつまでか。憂き目を水鳥の。沈みはてんと思ひ切り。人には言はで岩代の待つ事ありや暁の。月に嘯く気色にて船の舳板に立ち上り。腰よりやうでう抜き出し。音も速(澄)に吹き鳴らし今様を歌ひ朗詠し。来し方行く末をかゞみて終にはいつかあだ波の。帰らぬは古止らぬは心づくしよ。此世とても旅ぞかし。あら思ひ残さずやと。よそ眼にはひたふる狂人と人や見るらん。よし人は何とも見る眼を仮の夜の空。西に傾ぶく月を見ればいざや我もつれんと。南無阿弥陀仏弥陀如来。迎へさせ給へと。唯一声を最期にて。舟よりかつぱと落汐の。底の水屑と沈みゆくうき身の果てぞ悲しき。

夫の話を聞いているうちに、妻の心も和らぎ始める。その妻に向かって清経は、死ぬ間際に仏に命を預けて祈ったおかげで、無事成仏できたと、喜びの言葉を言いながら、夢から消えて行くのである。

ツレ「聞くに心もくれはとり、憂き音に沈む涙の雨の。恨めしかりける契かな。
シテ「いふならく。奈落も同じ。うたかたの。あはれは誰も。かはらざりけり。
キリ「さて修羅道に。をちこちの。
地「さて修羅道にをちこちの。たづきは敵。雨は矢先。土(月)は清剣(精剣)山は鉄城。雲の旗手をついて。驕慢の。剣をそろへ。邪見の眼の光。愛欲貪一通玄道場。無明も法性も。乱るゝ敵。打つは波。引くは潮。西海四海の因果を見せて。是までなりや。誠は最期の十念乱れぬ御法の船に。頼みしままに。疑もなく実にも心は清経がげにも心は。清経が仏果を得しこそ有難けれ。

このような文章の形で読んで見ると、この能が語りの能であるという特徴がよく見える。










コメントする

アーカイブ