班女:世阿弥の舞尽くし能

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「班女」は世阿弥にとって会心の作だったらしく、「恋慕のもっぱらなり」(五音曲条々)といって自賛している。だが、そう自賛する割には、この曲は所謂世阿弥らしい能のあり方とは大分違っている。前後二段からなっているとはいえ、複式夢幻能の形はとらず、むしろ現在能であるし、物語性が希薄で、大部分が舞からなっている。というより舞尽くしの能といってもよい。そんなところからこの能は、世阿弥の比較的初期の、複式夢幻能を確立する以前の、過渡的な作品と思えるところがある。

「恋慕のもっぱらなり」といっているように、テーマは女の恋慕である。美濃の国野上の宿の遊女花子が、東国へ下る吉田の少将と契を結ぶ。契のしるしに扇を取り交わして、少将は東国へ旅立って行くが、花子はその帰りを待ちわびて、取り交わした扇を爪繰ってばかりいる。そんな花子に腹を立てた宿の長は、花子を追い出してしまう。

半年ほど経た後、東国から都へ帰る途中の吉田の少将が花子を訪ねると、長に追われていずくとも知れず立ち去ったと聞き、もし花子が現れたら、自分に連絡するようにと言伝して都へ帰っていく。帰る早々、少将は糺の下鴨神社に出かけ、そこで狂女と呼ばれる一人の女と出会う。この女こそ、落ちぶれた花子の姿なのであった。花子は、扇を爪繰ってばかりいることから、班女と呼ばれるようになっている。班女とは漢の伝説の美女班倢妤をもじった呼び名だ。班倢妤は漢の成帝の寵愛を受けていたが、趙飛燕という別の女が現れて、皇帝の愛を失ってしまった。そのことを、夏の間重宝がられていた扇が、秋になると用済みになって捨てられることに譬えたことから、棄てられた女を班倢妤に譬えて班女といったわけである。

結局二人は、互いに交わした扇がきっかけになって、再会を喜び合う、と言う具合に話は進んでいくのであるが、別れの悲しみと再会の喜びはごくあっさりと表現され、その合間を舞が埋めているといった具合だ。

ここでは、NHKが過去に放送した喜多流の舞台を紹介しよう。シテは友枝喜久夫、ワキは宝生閑である。

舞台には間狂言が登場し、遊女の花子が仕事をしないで扇を爪繰ってばかりいることを非難し、ついにはいずこへと出て行けと命じる。その言葉に応じてシテの花子が登場し、一言口上を述べて舞台から消えて中入りとなる。このように間狂言が舞台の始まりを勤めるのを「狂言口開」というが、この能はほとんど狂言口開だけで前段を構成するという極めてめずらしいやり方をとっている。(以下、テクストは「半魚文庫」を活用)

狂言「かやうに候ふ者は。美農の国野上の宿の長にて候。さても我花子と申す上﨟を持ち参らせて候ふが。過ぎにし春の頃都より。吉田の少将殿とやらん申す人の。東へ御下り候ふが。此宿に御泊り候ひて。かの花子と深き御契の候ひけるが。扇をとりかへて御下り候ひしより。花子扇に眺め入り閨より外に出づる事なく候ふほどに。かの人を呼びいだし追ひいださばやと思ひ候。いかに花子。今日よりしてこれには叶ひ候ふまじ。とく/\何方へも御いで候へ。
シテ「げにやもとよりも定なき世といひながら。うきふししげき河竹の。流の身こそ悲しけれ。
地下歌「わけ迷ふ。行方も知らでぬれ衣。
上歌「野上の里を立ちいでて。野上の里を立ちいでて。近江路なれど憂き人に。別れしよりの袖の露そのまゝ消えぬ身ぞつらき。そのまゝ消えぬ身ぞつらき。

中入り後、ワキ吉田の少将一行が舞台に登場する。彼らは東国から都へ戻る途中、野上の宿で花子を訪ねるところだ。

ワキワキツレ二人次第「帰るぞ名残富士の嶺の。帰るぞ名残富士の嶺の。ゆきて都にかたらん。
ワキ詞「是は吉田の将とはわが事なり。さてもわれ過ぎにし春の頃東に下り。はや秋にもなり候へば。只今都に上り候。
道行三人「都をば。霞と共に立ちいでて。霞と共に立ちいでて。しばし程ふる秋風の。音白河の関路より。また立ち帰る旅衣。浦山過ぎて美濃の国。野上の里に着きにけり。野上の里に着きにけり。

吉田の少将が花子の消息を尋ねると、長と不和になって追い出されたと聞かされる。そこで、もし花子と連絡がついたら、自分のところにも連絡するようにと申しつけて、都へ急いで帰ってゆく。

ワキ詞「いかに誰かある。急ぐ間これははや美濃の国野上の宿にて候。此処に花子といひし女に契りし事あり。いまだ此処にあるか尋ねて来り候へ。
ワキツレ詞「畏つて候。花子の事を尋ね申して候へば。長と不和なる事の候ひて。今は此処には御入りなき由申し候。
ワキ「さては定なき事ながら。もし其花子帰りきたる事あらば。都へついでの時は申し上せ候へとかたく申しつけ候へ。急ぐ間ほどなく都に着きて候。われ宿願の子細あれば。是より直に糺へ参らうずるにて候。皆々参り候へ。

都へついた吉田の少将たちは、すぐさま糺の下鴨神社に出かけたが、そこには狂女と噂される女がいて、何やら物思いに耽っている。女はどうやら、さる男を恋慕している様子である。

後シテ一声「春日野の雪間を分けて生ひ出でくる。草のはつかに見えし君かも。詞「よしなき人に馴衣の。日は重ね月はゆけども。世を秋風の便ならでは。ゆかりを知らする人もなし。
詞「夕暮の雲の旗手に物を思ひ。うはの空にあくがれ出でて。
詞「身を徒になすことを。神や仏も憐みて。思ふことをかなへ給へ。それ足柄箱根玉津島。貴船や三輪の明神は。夫婦男女のかたひらを。守らんと誓ひおはします。此神神に祈誓せば。などか験のなかるべき。謹上。再拝。恋すてふ。我が名はまだき立ちにけり。
地「人知れずこそ。思ひそめしか。

ここでシテによるカケリが入る。普通狂女物といえば、クルイと呼ばれる派手な動作が入るものだが、ここでは駆け回る動作を意味するカケリを入れることで、女が単に狂っているのではなく、恋慕の余りに気持ちが高ぶっているのだということをアピールしているわけである。

シテ「あら恨めしの人心や。
サシ「げにや祈りつゝ。御手洗川に恋せじと。誰かいひけん空言や。されば人心。誠すくなき濁江の。澄まで頼まば神とても受け給はぬは理や。とにもかくにも人知れぬ。思の露の。
地下歌「置き所いづくならまし身の行方。
上歌「心だに。誠の道にかなひなば。誠の道にかなひなば。祈らずとても。神や守らんわれらまで。真如の月は曇らじを。知らで程へし人心。衣の玉はありながら。恨ありやともすれば猶同じ世と。祈るなりなほ同じ世と祈るなり。

狂女に向かって、少将のツレが狂って見せろと迫る。この場面は、ちょっと不自然に見えるので、本来は間狂言が里人に扮して狂女を囃したてたとする見方が有力である。

ワキツレ詞「いかに狂女。なにとて今日は狂はぬぞ面白う狂ひ候へ。
シテ「うたてやなあれ御覧ぜよ今までは。ゆるがぬ梢と見えつれども。風の誘へば一葉も散るなり。たま/\心すぐなるを。狂へと仰ある人々こそ。風狂じたる秋の葉の。心もともに乱れ恋の。あら悲しや狂へとな仰ありさむらひそよ。ワキツレ詞「さて例の班女の扇は候。
シテ「うつゝなや我が名を班女と呼び給ふぞや。よし/\それも憂き人の。かたみの扇手にふれて。うちおき難き袖の露。ふる事までも思ひぞ出づる。班女が閨のうちには秋の扇の色。楚王の台の上には夜の琴の声。
地「夢はつる。扇と秋の白露と。いづれか先に起臥の床。冷じや独寝の。さみしき枕して閨の月をながめん。

少将のツレから班女と呼ばれた女は、自分がいかにしてさる男と恋仲になり、その男と別れるに至ったか、そして今なお自分がいかにその男を恋慕しているかについて綿々と語る。その部分が、クリ・サシ・クセの形を取っている。クセは居グセである。

クリ「月重山に隠れぬれば。扇を挙げてこれを喩へ。
シテ「花琴上に散りぬれば。
地「雪をあつめて。春を惜しむ。
シテサシ「夕の嵐朝の雲。いづれか思の妻ならぬ。
地「さびしき夜半の鐘の音。鶏籠の山に響きつつ。明けなんとして別を催し。シテ「せめて閨もる月だにも。
地「しばし枕に残らずして。又独寝になりぬるぞや。翠帳紅閨に。枕ならぶる床の上。なれし衾の夜すがらも同穴の跡夢もなし。よしそれも同じ世の。命のみをさりともと。いつまで草の露の間も。比翼連理のかたらひ其驪山宮の私語も。誰か聞き伝へて今の世まで漏らすらん。さるにても我が夫の。秋より前に必ずと。夕の数は重なれど。あだし言葉の人心。頼めて来ぬ夜は積もれども。欄干に立ちつくして。そなたの空よとながむれば。夕暮の秋風嵐山颪野分もあの松をこそは音づるれ。我待つ人よりの音づれをいつ聞かまし。
シテ「せめてもの。形見の扇手にふれて。
地「風の便と思へども。夏もはや杉の窓の。秋風冷かに吹き落ちて団雪の。扇も雪なれば。名を聞くもすさましくて。秋風怨あり。よしや思へば是もげに逢ふは別れなるべし。其報なれば今さら。世をも人をも恨むまじ唯思はれぬ身の程を。思ひつゞけて独居の。班女が閨ぞさみしき。
地「絵にかける。

居グセが終ると、序ノ舞に移る。この部分は、観世流など他の流派では中の舞が入る。

シテワカ「月をかくして懐に。持ちたる扇。
地「とる袖も三重がさね。
シテ「其色衣の。
地「夫のかねこと。
シテ「かならずと夕暮の。月日もかさなり。
地「秋風は吹けども。荻の葉の。
シテ「そよとの便も聞かで。
地「鹿の音虫の音も。かれがれの契。あらよしなや。
シテ「かたみの扇より。
地「かたみの扇より。猶裏表あるものは人心なりけるぞや。扇とはそらごとや逢はでぞ恋は添ふものを。逢はでぞ恋はそふものを。

狂女のかざす扇を見た吉田の少将は、それが自分と花子との間で交わした扇の片割れだと気づく。

ワキ詞「いかに誰かある。あの狂女が持ちたる扇見たきよし申し候へ。
ワキツレ「いかに狂女。あの御輿の内より。狂女の持ちたる扇御覧じたきとの御事にて候まゐらせられ候へ。
シテ「是は人のかたみなれば。身を離さでもちたる扇なれども。かたみこそ今はあだなれ是なくは。忘るゝ隙もあらましものをと。思へどもさすがまた。そふ心地するをり/\は。扇とる間も惜しきものを。人に見する事あらじ。
ロンギ地「こなたにも。忘れがたみの言の葉を。磐手の森の下躑躅。色に出でずはそれぞとも。見てこそ知らめこの扇。
シテ「見てはさて。何の為ぞと夕暮の。月を出せる扇の絵の。かくばかり問ひ給ふは。何のお為なるらん。
地「何ともよしや白露の。草の野上の旅寝せし契の秋は如何ならん。
シテ「野上とは。野上とは東路の。末の松山。波こえて。帰らざりし人やらん。地「末の松山たつ波の。何か恨みん契りおく。
シテ「かたみの扇そなたにも。
地「身に添へ持ちしこの扇。
シテ「輿のうちより。
地「取り出せば。をりふし黄暮に。ほのぼの見れば夕顔の。花を書きたる扇なり。此上は惟光に。紙燭めして。ありつる扇。御覧ぜよ互に。それぞと知られ白雪の。扇の妻のかたみこそ妹背の中の。情なれ。妹背の中の情なれ。

こうして、吉田の少将と花子は待ち望んだ再会を果たし、喜び合うところで一曲が終る。

この舞台での友枝喜久夫(1908年 - 1996年)は実に色気を感じさせた。小柄な体で優雅に動き回り、声にも独特の艶がある。宝生閑の方はまだ若々しく見えた。大分古い映像に違いない。








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