安倍政権の語法:戦争は平和である

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憲法学者の長谷部恭男と政治学者の杉田敦が、朝日紙上の対談の中で、安倍政権の語法について手厳しく批判している。安倍政権のおかしな語法については筆者も関心があり、先日もこのブログで、安倍政権が続けば、そのうち「平和」という漢字が「戦争」を意味するようになるだろうと書いた。対談のお二人も同じ意見で、安倍政権の語法によれば「戦争は平和である」(長谷部)ということになると言い、そういうのを「新語法(ニュースピーク)」だと指摘している(杉田)。

「ニュースピーク」と言うのは、ジョージ・オーウェルのディストピア小説「1984」の中で独裁者が国民に植え付け復唱させたスローガンのことで、どんな言葉でもあべこべに解釈できるということを実践して見せるものだ。ヒトラーも、嘘も繰り返し聞かされれば、本当に思われるようになる、と言っているとおり、独裁者が国民を洗脳して、自分の思い通りに動かす常套手段のようなものだ。それを安倍政権はわかっているから、意図的にニュースピークを多用しているのだと思われないでもない。

安倍政権のニュースピークの中でもっともしらじらしく聞こえるのは、自衛隊が世界中で武力行使をするようになっても、自衛隊員のリスクは高まらないというものだ。普通の頭で考えれば、武力行使の機会が増えれば、それに比例して反撃を食らう機会も増えるわけで、当然その分危険の度合いも高まるはずだ。ところが安倍政権の閣僚はそんなことはないという。武力行使の機会が増えても自衛隊員へのリスクは増えませんよ、というばかりだ。

普通の頭しか持たない人なら、馬鹿なことを言うなと思われるところだが、非凡な頭の持ち主には、違う理屈が成り立つのかもしれない。そういう理屈によれば、いくら戦争が拡大しても兵士の命のリスクは高まらないのだろう。

どんな理屈ならそうなるのか。それはひとつしかありえない理屈だ。つまり日本の自衛隊は、能力においては万能、運勢においては強運、意欲においては旺盛、よってどのような戦争を行なっても決して負けることがないし、相手に致命的な打撃を与えても、自分が打撃をこうむることはない。つまり神の如く完璧な軍隊なのだ。だからリスクなどと言うケチなことを心配する必要はない、というわけなのであろう。

これはこれで筋の通った考え方に見えないでもない。しかしその筋を通そうとしたら、日本の自衛隊はリスクの見込まれる戦争はできないということになる。だからもし本当に戦争がしたいのであれば、当然リスクも伴いますよ、と安倍政権は正直に言わねばならない。






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