クラブママの枕営業

| コメント(0)
客の男性と七年間の性交渉を持ったクラブのママが、男性の妻から「精神的苦痛を受けた」として訴えられていたが、妻の訴えが退けられる判決が出た(東京地裁)。その理由が面白い。クラブママの行った行為は、いわゆる枕営業で、商売のために売春をしたに過ぎず、結婚生活の平和を乱すものではなかったというのだ。

これに対しては、クラブママの弁護士が、指摘されるような性交渉はなかったと主張したにかかわらず、ろくな審理もせずに、ママが売春行為を行ったと決めつけたのは不当だと反論したが、クラブママの側も妻の方も控訴しなかったので、判決は確定したということだ。この判決が今後どのような影響を及ぼすか、今のところ不明だが、これまでは、このようなケースでは、ママと男性が妻に対して賠償の共同責任を持つというのが支配的見解だった。それがこの判決を受けて変って行くのかどうか、興味深いところだ。

このことを聞いて筆者は、成瀬巳喜男の映画「女が階段を上る時」を思い起こした。この映画では、高峰秀子演じるクラブのママが、森雅夫演じる銀行員の男と性交渉をするのだが、それは、ママが男に惚れているからに他ならない。そういう意味では、ママの行為は不倫の片割れと言うことになり、男の妻に対しては、申し訳ない立場にあるわけだ。だが、男が家族と共に地方へ転勤することになり、当面自分の前から消えることになると、女はあっさりとあきらめて身を引く。ということは、女の男への思いはそんなに深かったわけではなく、女のしていた行為は、よそ目から見たら、枕営業つまり売春とみられても致し方がないところがある。

何故こんなことにこだわったかというと、男女の仲はそう簡単には割り切れぬものがある、と思ったからである。映画の中のママも、半分は本気で男と性交をしていたのだろうが、それは完全に無償の行為とは言えない。男と性交をすることには、男の客としての立場を安定させるという目論見もあっただろうし、実際、この判決の中で指摘されているように、ストレートに性交の対価を求めない代わり、別の形で対価を回収していたと想像される。

映画の中では、ママのお得意たちは一人の例外なく、ママの体を求める。クラブママと客との関係は、肉体関係を離れてありえない、と成瀬は言っているように見える。今回の判決文を書いた裁判官も、そうした因習的な見方を共有している可能性はある。






コメントする

アーカイブ