下目黒、隠田の水車:北斎富嶽三十六景

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(下目黒)

目黒一帯は起伏に富んだ丘陵地だ。その地形を生かして、将軍の鷹狩の場となった。この絵は、二人の鷹匠を描き入れることで、鷹狩の本場としての目黒と富士の組み合わせを強調したものと思われる。

二人の鷹匠はそれぞれ左手で鷹を持ち、右手で鞭を持っている。鷹はあまり大きくないところから、大鷹ではなく、ハイタカなどの小型の鷹と思われる。その鷹に向ってか、農夫が膝を屈してひざまづいているが、何故か顎は上げたままだ。

この三人のほかに、手前には子連れの女が、左手には荷を担いだ農夫が描かれているが、どちらも鷹匠に背を向けて無視している。当時鷹匠は庶民に人気がなかったと言われるから、北斎はそれを意識してこのような描き方をしているのかもしれない。

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(隠田の水車)

隠田は、現在の渋谷区原宿あたり。徳川時代には渋谷川の流れを利用して水車小屋が設置されていた。この絵は、その水車小屋を描いたものだ。

だが、絵を見ると誰もが不思議に感じることがある。まず、水車から流れ落ちる水の勢いだ。この水車は、恐らく川から引き込んだ水の流れを利用して回しているのだと思われるが、そうだとすれば水車は反時計まわりのはず。水車は下を流れる水の勢いで回っているに過ぎないから、この絵のように、勢いよく水をまきこむことは考えにくい。

また、水車には穀物と思われるものを担いだ二人の人夫が近づいているが、彼らは坂道を上ってきているように描かれている。水の流れが、地勢の下のほうにあるべきことを思うと、これもまた不自然である。

ここでも北斎は、実景を無視して、絵の要素を自由に組み合わせていると思われる。








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