吉田松陰の危うさ

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一部で吉田松陰がミニブームになっているようだ。総理大臣の安倍晋三が、長州人としてのアイデンティティを正面に押し出し、ことあるごとに吉田松陰を話題に引っ張りだしているほか、NHKが松陰をテーマにしたゴマすり番組を放送するなど、クローニージャーナリズムによる松陰礼賛がさかんなことが背景にあるらしい。

こんな風潮に対して、気骨ある評論家として知られる半藤一利氏が警鐘を鳴らしている(「朝日」6月9日朝刊)。「明治政府が松陰を評価したのは、自分たちの行動を正当化するためだった。ただ、私はかなり危険な思想家だと思う」として、その理由を、「ものすごい膨張主義・侵略主義」だったという。松陰は「幽囚録」の中で、「急いで軍備を整え、カムチャツカや琉球、朝鮮、満州、台湾、ルソン諸島を支配下におさめるべきだ」と主張した。この思想は、山縣有朋ら長州閥の陸軍を通じ、近代日本の形成にかなりな影響を与え、日本を誤った道に導いたというのである。

安倍晋三の祖父岸信介は、「日本の膨張主義、国威拡大のエース」だったが、岸もまた長州閥の長者として松陰の思想の影響下にあったと言える。

こう整理すれば、吉田松陰と言うのは、日本という国のあり方を考える上では、非常に危ういところが多い思想家というわけなのだろう。その意見には筆者も同感だ。

松陰には、思想家としての面の外に、アジテーターとしての面もあって、歴史的にはこっちのほうが重要な枠割を果したのではないか、というのが筆者の見立てである。松陰は、松下村塾に集まって来た青年たちを前に連日講義したと言うが、その講義とはアジ演説に近いもので、悲憤慷慨の気持ちを込めて喚きまくるという体のものだったらしい。ただ喚きまくったばかりではない、青年たちをけしかけてテロに走らせたりもした。たいした行動家でもあったわけだ。

だから、歴史の進み具合によっては、ただのテロリストに終わっていたかもしれない。それが、松下村塾の弟子たちが権力の中枢を占めるに至ったために、彼らの師匠として祭り上げられたわけである。





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