このついで(二):堤中納言物語

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「いづら、今は、中納言の君」 とのたまへば、 「あいなき事の序をも聞えさせてけるかな。あはれ、只今の事は、聞えさせ侍りなむかし。」 とて、 
「去年の秋ごろばかりに、清水に籠りて侍りしに、傍に屏風ばかりをはかなげに立てたる局の、にほひいとをかしう、人少ななるけはひして、折々うち泣くけはひなどしつゝ行ふを、誰ならむ、と聞き侍りしに、明日出でなむとての夕つ方、風いと荒らかに吹きて、木の葉ほろほろと、滝のかたざまに崩れ、色濃き紅葉など、局の前には隙なく散り敷きたるを、この中隔ての屏風のつらに寄りて、こゝにはながめ侍りしかば、いみじうしのびやかに、 
  厭ふ身はつれなきものを憂きことを嵐に散れる木の葉なりけり 
風の前なる、と聞ゆべき程にもなく、聞きつけて侍りしほどの、まことにいと哀れにおぼえ侍りながら、さすがにふといらへにくく、つゝましくてこそ止み侍りしか。」 と言へば、 いとさしも過し給はざりけむ、とこそ覺ゆれ。さても實ならば、口惜しきは御物つゝみなりや。

「いづら、少將の君」 と宣へば、 「賢しう、物もきこえざりつるを」 と言ひながら、 
「伯母なる人の、東山わたりに行ひてはんべりしに、暫し慕ひて侍りしかば、主人の尼君の方に、いたう口惜しからぬ人々のけはひ、數多しはべりしを、紛はして、人に忍ぶにや、と見え侍りし。物隔てのけはひいと氣高う、凡人とは覺え侍らざりしに、ゆかしうて、物はかなき障子の紙のあなたへ出でて、覗き侍りしかば、簾に几帳そへて、清げなる法師二三人ばかり、すべていみじくをかしげなりし人、几帳のつらに添ひ臥して、この居たる法師近く喚びて物言ふ。

「何事ならむ、と聞き分くべき程にもあらねど、尼にならむ、と語らふ氣色にや、と見ゆるに、法師やすらふ氣色なれど、なほなほ切に言ふめれば、さらば、とて、几帳の綻びより、櫛の笥の蓋に、長に一尺ばかり餘りたるにやと見ゆる髪の、すぢ、すそつきいみじう美しきを、わげ入れて押し出す。傍に今少し若やかなる人の、十四五ばかりにやとぞ見ゆる、髪たけに四五寸ばかり餘りて見ゆる、薄色のこまやかなる一襲、掻練などひき重ねて、顔に袖をおしあてて、いみじう泣く。弟なるべし、とぞ推し量られ侍りし。

又若き人々二三人ばかり、薄色の裳ひきかけつゝ居たるも、いみじう堰きあへぬ氣色なり。乳母だつ人などはなきにやと、あはれに覺え侍りて、扇のつまにいと小さく、 
  おぼつかなうき世そむくは誰とだに知らずながらも濡るゝ袖かな 
と書きて、幼き人のはべるして遣りて侍りしかば、この弟にやと見えつる人ぞ書くめる。さて取らせたれば持て來たり。書き樣ゆゑゆゑしう、をかしかりしを見しにこそ、くやしうなりて、」 など言ふほどに、うへ渡らせ給ふ御氣色なれば、紛れて少將の君も隱れにけりとぞ。

(文の現代語訳)
「さあ、今度は中納言の君ですよ」と中将がおっしゃるので、中納言の君は、「とんだ話のきっかけを申し上げてしまいましたね。それでは、私は最近のことをお話し申し上げましょう」と言って、次のような話をされた。

「昨年の秋の頃合いに、清水に参籠しておりましたところ、隣に屏風ばかりを頼りなげに立てた局がありまして、そこから趣のある匂いがたち、人の気配も少ない中を、折々泣き声が聞こえてまいりますので、どなたかとお聞きしておりました。明日は下向しようと思っていたその夕方、風がたいそう荒々しく吹き、木の葉がはらはらと、谷に向かって乱れ散り、色濃い紅葉が局の前に隙間なく散り敷く様子を、隣の局との仕切りの屏風の所へ寄って、私も眺めておりましたところ、隣の方はたいそう忍びやかな風情で、次のように歌われました。
  この世を厭うわが身はつれないものですが、憂きことを嵐にまぎらわして散っていく木の葉がうらやましいことよ
その方は、風の前の木の葉になりたい、とおっしゃりたかったようでしたが、それにはさすがの私もお返しの歌をさしあげにくく、そのまま聞き過ごしてしまいました」
中納言の君はこうお話しされたのだが、まさかそのままにはすませなかったと思う。もしもその通りだったのなら、残念な遠慮をなさったものである。

「さあ、少将の君の番です」と中将がおっしゃると、少将の君は、「上手にお話申し上げたことなどございませんのに」と言いながら、次のような話を申し上げた。

「叔母にあたる人が東山あたりで修行しておりましたとき、私もしばしご一緒いたしましたが、庵主の尼君のとろこには、たいそう身分の高い人々が沢山おられる気配がいたしました。それを見た私は、その方々が姿を変えて、人目を忍んでらっしゃるのかと思っておりました。皆さん物腰がたいそう気高く、とても凡人とは思えません。どんな方々か知りたくなって、粗末な障子に穴をあけて向う側を覗きましたところ、簾に几帳を添えて、そこに清げなる法師二・三人が座っています。すると、なんとも気高い様子の人が、几帳の脇に添って横になり、この法師たちを近くに呼び寄せ、何か話しかけています。

「何を言っているのか、聞きわけることもできないほどでしかたが、尼になりたい、と言っている様子に見えます。法師はためらっているようでしたが、女性がなおなおと切実に言う様子なので、では、といって髪をおろして差し上げたようです。几帳の綻びより、櫛の箱の蓋に、長さ一尺あまりの、毛筋やすそつきがたいそう美しい髪を、輪にして押し出しました。その傍らに、もう少し若くて、十四・五歳ほどに見える女性が、髪の長さは四五寸あまり、薄色のこまやかなる一襲に掻練の上着を重ねて、顔を袖に押し当てながら、たいそう泣いています。妹なのでしょう、と思われました。

「ほかに若い人たちが二三人ばかり、薄色の裳を引き被っていましたが、どなたもたいそう涙の止まらぬ様子です。世話をしてくれる乳母などがおられないのかと、気の毒に思いましたので、扇の端に小さな文字で、
  世をそむく理由もわからず、またそれがどなたと知らないままですが、お話をお聞きして涙が流れるばかりです
と書いて、侍っていた幼い者に持っていかしましたところ、この妹と思えた人が返事を書く様子です。幼い者がその返事を受け取ってきましたので、それを見ると、書きざまも由緒ありげで、素晴らしい字でしたので、私の書いた字のつたなさが恥ずかしくなりました」などと少将の君が話をしているうちに、女御がお渡りになられるご様子なので、それに紛れて少将の君もどこかへ隠れてしまったということでした。

(解説と鑑賞)
二人目は中納言の君。中納言は、自分の言ったことがきっかけになって物語の巡回がはじまったことに恐縮しながら、自分は最近体験したことをお話ししようと言って、清水に参籠していた折のさる女性とのやりとりについて話す。それは、女性が読んだ歌に、的確に答えることができず、非常に恥ずかしい思いをしたというような、内容のことなのだったが、何故こんなつまらないと思われるようなことが、他の女房たちの気を引くのか。清水への参籠は、色々な人との出会いを予感させるので、それだけでも、興味をひく事柄だったらしいのである。

三人目は少将の君。東山で見聞したある若い女性のこと。彼女が尼になりたいと言って法師たちに相談している様子を少将の君はかいま見たのであったが、何故彼女が若い身空で出家したいと思うに至ったのか。そこには深い事情があるのかも知れないが、いわばすれ違っただけの関係に過ぎない自分には、わかろうはずもないといった、無常観を漂わせるような話である。

三つともあまり明るい話ではない。







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