バルカン超特急(The lady vanishes):アルフレッド・ヒッチコック

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アルフレッド・ヒッチコックの映画「バルカン超特急(The lady vanishes)」は、エセル・ホワイトのスパイ小説を映画化したものである。この映画が公開されたのは、第二次大戦が勃発する直前の時期でもあり、国際社会には戦争への予感が漂っていた。そんななかで各国の諜報戦も華やかだったに違いない。この映画で描かれた諜報戦も、そうしたものの一環として、結構現実感があったことだろう。だから、この映画が、ヒッチコックのイギリス時代のうちで、最大の成功を収めたのも無理はない。

話の内容は荒唐無稽に近いと言える。架空の国バンドリカで工作活動をしていた女性スパイが、その情報を持ち帰るために列車で本国のイギリスに向かう。その途中女スパイは、バンドリカの諜報員によって拉致されてしまう。偶然その女スパイと同乗していた女性が、同乗者が突然消えたことを周囲に訴えてまわるが、誰もそんな女はもともといなかったといって相手にしない。何故なら、その列車に居合わせていた人々はことごとく、バンドリカの諜報員によって買収されていたのだ。結局その女性は一人のイギリス人男性の協力を得て、事件を解決することができる。しかしその解決の仕方もあまりにも荒唐無稽と言うほかはなく、映画全体が御伽噺を見ているような感じなのだ。それでも観客はこれを馬鹿馬鹿しいと言って一蹴したりはしない。それなりに楽しみながら見ることができる。そこはヒッチコックの腕の冴えと、映画が背景としている時代のもたらす雰囲気の賜物なのだろう。

原作の題名は The lady vanishes(婦人が消えた)だが、日本語では「バルカン超特急」とされた。映画の舞台となったバルカンと西ヨーロッパを結ぶ国際列車のつもりらしいが、現実にはそんな国際列車は存在しなかった。存在したものとして有名なのは、オリエント急行と呼ばれた国際列車である。この列車はパリとイスタンブールやブカレストを結んでいた。映画の中では、ブカレストだとかバーゼルとかいった都市の名が出てくるので、このオリエント急行の路線の一つを想定しているのかもしれない。

主人公の女性アイリス(マーガレット・ロックウッド Margaret Rockwood)は、バンドリカ国のリゾート地で休暇を楽しんだ後、国際列車に乗ってロンドンに向かう。列車には一人の老女が同乗した。この老女はイギリスのスパイで、収集した情報内容を祖国に運ぶつもりである。この老女とアイリスが食堂車で食事をしている最中、老女が突然姿を帰してしまう。驚いたアイリスは、老女の行方を求めて人々に聞きまわるが、誰もそんな女性を見たことがないという。同じコンパートメントに乗っていた家族連れさえも、そんな老女ははじめからいなかったと言う始末だ。すっかり混乱したアイリスに、助け舟が現れる。ギルバート(マイケル・レッドグレイブ Michael Redgrave)という青年だ。ギルバートは、避暑地のホテルでアイリスと一悶着を起こしていたが、そんないきさつは水に流して、二人は謎の解決に向け、協力して動き出す。

狭い列車のなかを、二人は徹底して捜索する。その捜索には一人の医師がからむ。実はこの医師もバンドリカ国の工作員で、女スパイの拉致やその殺害計画に深くかかわっているのである。結局二人は、医師らによって拉致されていた女スパイを探し当てる。女スパイは、自分の身に何かが起こったら、自分に代わって敵国情報をイギリスの外務省に届けて欲しいと言いのこして、列車から降りたところを敵に撃たれてしまう。その情報というのは、歌の形になっていた。その歌を丸暗記したギルバートは、ロンドンに到着するや外務省に直行し、役人に引き継ごうとするのだが、運が悪いことに、肝心なところでそれを思い出せない。しかし思い出せなくても差し支えのないことが起こる。死んだと思った女スパイは生きていて、外務省に復命していたというわけなのだ。

こんなわけで、この映画は第二次世界大戦を前にした各国の諜報活動振りを題材にしたスパイ映画なのであるが、それにとどまらない。謎解きをテーマにしている点ではミステリー映画の要素ももっているし、また緊張感が溢れていると言う点ではサスペンス映画の要素も兼ね備えている。それともう一つ、若い男女のラブ・ロマンスの要素も持っている。なにしろ盛りだくさんな要素を抱えた贅沢な映画なのだ。

ラブ・ロマンスとしては、この映画は変わっている。女主人公のアイリスは独身時代最後のバカンスをバンドリカ国のリゾート地で過ごし、イギリスに帰ったら早速結婚式を挙げる予定になっていたのだが、ギルバートと二人で命がけの追跡劇を演じている間に愛情が芽生え、ついには婚約者を蹴飛ばしてギルバートを選ぶことに決心する。この映画のラストシーンは、婚約者の目を逃れてギルバートに抱きつくアイリスの幸福そうな表情を映し出しているのだ。

また、列車の中で唯一敵に買収されていない二人のイギリス人が出てくる。彼らの最大の関心事はクリケットの試合結果だ。どこへ行ってもクリケットの試合の話ばかりするし、これから急いでロンドンに帰りたいのも、クリケットの試合に間に合いたいからだ。だから、列車の遅れにつながるようなことには一切協力しない。彼らがアイリスとギルバートに冷淡なのは、この二人にかかわりあうと、列車が遅れるかもしれないという心配からなのだ。人間というものは、単純な動機でも重大な結果をもたらすことがある、ということを、それこそ絵に描いたようなヒッチコックの扱い方であった。









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