真鶴で食道楽

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(真鶴の旅館いずみの舟盛)

今年の正月に、山、落、松の諸子と銀座で豆腐を食った席で、真鶴に安くてうまい宿があるから是非行って見ようと山子が言いだし、他の連中も相槌を打ったことについては、このブログでも紹介したところだ。その後、梅雨入りする頃になって、山子がほかの連中にメールで連絡をとり、日程が整った次第だった。そんなわけで我々は、かねての心つもり通り、七月四日から一泊の旅程で、真鶴・湯河原へドライブ旅行を楽しんだ。

落子と小生が新宿で松子のベンツに乗り込み、小田原城下の茶屋で山子夫妻と合流した。五人揃ったところで天守閣を一斉に見上げる。ここへ来るのは何十年ぶりのことだろう、などと皆が言う。小生は小学校六年生の修学旅行で来た時以来だから、半世紀を隔ててのこととなる。小田原城が復興されたのは昭和35年だというから、小生らが来たのは城が立ち上った直後だったわけだ。その城の天守閣は、目下補修工事の最中とて、中に立ち入ることはできなかった。

ブラブラと旧東海道を歩く。旧本陣跡の観光案内所でお茶を御馳走になり、その裏手の通りに面した鰹節の店を覗く。店先に小さな老婆が座っている。その姿が招き人形のようだ。実際山子などは、一見して人形と勘違いしたくらいだ。鰹節の香ばしい匂いが店の中から漂い出てきて、つい誘われて吸い込まれそうになる。しかし、鰹節を買って帰っても、使う見込みはないから、やめておくことにしよう。

小田原駅近くの通りに面した橋本という蕎麦屋に入る。ここでなめろうと生シラスを肴にビールを飲んだ。なめろうは房州の特産だと思っていたが、小田原でも何軒か食わせる店があるという。味はまあまあだった。鴨川で食ったやつより、あっさりしていたように思う。腹ごしらえは、そばと桜エビの天ぷらだ。そばはこしがあり、天ぷらはしゃきっとした仕上がりだった。

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(小田原の蕎麦屋橋本前)

宿に入るにはまだだいぶ時間があるので、真鶴半島の突端まで行って見ようということになった。松子のベンチに五人が乗り込む。普通の車より大振りにできているというが、後の座席に三人座るとさすがに窮屈だ。

雨がそぼ降る中、真鶴半島の突端に着いた。そこは砂州のようになっていて、先端に大きな岩が三つ転がっていた。これを名勝三つ石というのだそうだ。

旅館いずみへは午後四時頃着いた。威勢のいい仲居が出迎えてくれた。店の前には魚座という市場がある。数年前伊東温泉に旅した帰りに立ち寄ったことのあるところだ。その折には、巨大な水槽の中に多くの魚が泳いでいたことを思い出すが、今では水槽は撤去されてしまい、細々とした市場機能を果しているだけだと宿の仲居が語っていた。

一風呂浴びた後、大きな座敷で食事をした。今晩の客は我々だけだと言うので、貸し切りの状態だ、遠慮なく宴席を楽しむことができた。

出て来た料理の質量が並大抵ではない。山子の言ったとおり、食いきれないほど量が多いだけではなく、ネタも新鮮で申し分がない。上の写真は、刺身の舟盛をうつしたものだが、ご覧のとおりの贅沢ぶり。金目鯛、伊勢海老、アワビ、トビウオ、イナダ、アジ、カツオなど、いずれもこの近海でとれたものばかりだという。このほか、肴の煮付けや天ぷらをはじめ、さまざまな料理が食卓に並んだ。我々はそれらを、時間をかけて心行くまで味わったというわけだ。

それでも山子などは、更に欲をかいて、以前来た時にはヒラメが出てきたが、今日は出ていないね、などと催促する始末。宿の仲居もこれにはあきれたと見えて、金目を出した時には、ヒラメまではお出しできないのですよと言う。小生も彼女に雷同して、そりゃそうさ、金目もヒラメも高価だから、今回の宿料では、両方出すというわけにはいかないだろうよ、と言ってやった。

酒は、丹沢山という地元の純米酒を飲んだが、これがちょっと甘いと言うので、新潟産のなんとかいうのと切り替えた。こちらは飲み口がすっきりしていて、いくらでも入りそうな感じだ。仲居も我々をけしかけて、いくらでも飲ませてやろうと、しきりに挑発してきたが、そんなに飲めるわけではない。すると仲居は、みなさんお弱いのね、などと皮肉を言う。弱いも何も、もう歳だからね。

食後例の通り、口直しにウィスキーでも飲もうということになったが、松子はもう寝たいと言うので、残りの四人で、山子夫妻の部屋でやることにした。そこで、我々の部屋から椅子を夫妻の部屋に運び込み、小さなテーブルを囲んでウィスキーを飲んだ。飲みながら歓談と称して、奇論珍説を吹っ掛けあったのは、いつもの通りである。






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