湯河原の湯に浸かる

| コメント(0)
150709.manaduru.jpg

翌日の朝食も質量ともにすごかった。金目の刺身がでてきたほか、イナダのカマの煮つけまでついている。これではとてもアルコールなしでは済まないと言うので、朝からビールで乾杯したという具合だ。運転手役の松子には、気の毒というほかはないが。

ところで、こんなにいい店があることに、何故今まで気がつかなかったのだろう。前回魚座に立ち寄った時には、食事できそうなところを探していたというのに、隣にあるこの店に気が付かなかった。もし気が付いていれば、入らない筈はなかった。おそらく空腹のために視野狭窄の状態に陥っていたのだろう。

相変わらず雨のそぼ降る中を湯河原温泉に向い、こごめの湯という町営の日帰り温泉施設に立ち寄った。奥湯河原温泉の一角にあって、近くには万葉公園がある。何故万葉かといえば、湯河原の湯を歌った東歌が、万葉集に一首だけ採録されている。そのたったひとつの歌がゆかりとなって、ここを万葉の湯と呼ぶようになったというのである。その歌とは、
  あしかりのとひのかふちにいづるゆの よにもたよらにころがいはなくに
というもので、「湯河原の湯のように絶え間なく滑らかに流れるような言葉であの人が話してくれたらよいのに、あの人は話してくれない」という趣旨と解釈される。

その湯河原の湯というのは、たしかにこの歌の通り絶え間なく滑らに流れ出る湯だった。透明かつ無味、成分はナトリウム・カルシウム塩泉で、婦人病や高血圧に効くのだそうだ。高血圧気味の小生としては、幾分かの効能を期待できそうだ。

入浴後、大広間でくつろぐ。家族連れや老人仲間が多い。その多くは近所の人らしい様子だ。近所の人の需要が多いからこそ、行政がわざわざ経営に乗り出しているのだろう。茶を飲みながら見回していると、母親に抱かれた幼児にむかって、それこそ百歳に近いと思われる老媼が、自然な感じであやしている。こんな年になっても優しさを失わないでいるのを見るのは感動的なことだ。

その後、厚生年金基金が経営するいずみの湯という宿に立ち寄って昼餉をなした。渓流に沿って建ち、山を背にしている。ここで銘々好きなものを注文し、またビールを飲んだことは言うまでもない。このメンバーの旅行は、一日中酒びたりになりがちなのである。運転手役の松子にはかさねがさね気の毒なことではあるが。

湯河原駅に向かう途中、一軒の酒屋に立ち寄った。みな酒飲みだから、酒屋をやり過ごすわけがないというわけだ。ここで山子夫妻と落子は、それぞれに気に入った銘酒を買った。小生は、彼らほど酒飲みではないので、是非とも買おうという気にはならなかった。

ところで、漱石の小説明暗の舞台になった旅館はどの辺にあるのだろう。聞くところによれば、奥湯河原の更に奥まったところにかつて建っていたが、近年閉鎖されて更地になってしまったそうだ。残念なことである。

こんなわけで散々旅を楽しんだ我々は、土産屋に立ち寄ってかまぼこなどを買い求めたあと、小田原駅で山子夫妻を降ろし、残りの三人で新宿に向った。行路順調で、新宿に着いたのは午後四時頃だった。そこで小生と落子は、お茶でも飲んでいこうということになり、昔行きつけだった三平という飲み屋に入った。ここは昼間から開いており、かつ気軽に飲めるので便利なのだ。

ここで、お互いに男としての性能の衰えたことなど嘆きあいながら、盃をちびりちびりと傾けた次第なのであった。(上の写真は前夜の宴の様子)






コメントする

アーカイブ