蟲愛づる姫君(四):堤中納言物語

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右馬の助見給ひて、 「いと珍かに、樣異なる文かな」 と思ひて、 「いかで見てしがな」 と思ひて、中將と言ひ合せて、怪しき女どもの姿を作りて、按察使の大納言の出で給へるほどにおはして、姫君の住み給ふ方の、北面の立蔀のもとにて見給へば、男の童の、異なることなき草木どもに佇み歩きて、さていふやうは、 「この木にすべていくらも歩くは、いとをかしきものかな。これ御覽ぜよ。」 とて、簾を引き上げて、 「いと面白き鳥毛蟲こそ候へ」 といへば、さかしき聲にて、 「いと興あることかな。此方持て來」 と宣へば、 「取り別つべくも侍らず。唯こゝもとにて御覽ぜよ。」 といへば、荒らかに蹈みて出づ。

簾を押しはりて、枝を見入れ給ふを見れば、頭へ衣著あげて、髪もさがりば清げにはあれど、梳り繕はねばにや、しぶげに見ゆるを、眉いと黔く、花々とあざやかに、涼しげに見えたり。口つきも愛敬づきて清げなれど、齒黑めつけねばいと世づかず。「化粧したらば清げにはありぬべし。心憂くもあるかな」と覺ゆ。

かくまでやつしたれど、見にくくなどはあらで、いと樣異に、鮮かに氣高く、花やかなるさまぞあたらしき。練色の綾の袿一襲、はたおりめの小袿一襲、白き袴を好みて著給へり。この蟲をいとよく見むと思ひて、さし出でて、 「あな愛でたや。日にあぶらるゝが苦しければ、此方ざまに來るなりけり。これを一ものこさで追ひおこせよ、童」 と宣へば、突き落せば、はらはらと落つ。白き扇の墨ぐろに眞字の手習したるをさし出でて、 「これに拾ひ入れよ」 と宣へば、童取り出づる。みる君達も、 「あさましうさへなんある、けだかうこよなくもあるかな」など思いて、童を思ひて、「いみじ」ときえいり給ふ。 

(文の現代語訳)
御曹司の右馬の助はこの返事を見て、「たいそう珍しい、変った手紙だ」と思った。そして、「是非会って見たいものだ」と思って、中将と示し合わせ、妖しい女装をしたうえで、按察使の大納言が出かけられた隙に出向き、姫君のいる部屋の、北面の立蔀の影で見守っていた。すると男子が、変哲もない草木の間を歩きながら、声を出して言うには、「この木のあちこちに、虫が沢山歩いています、面白いですよ、御覧なさい」。そう言いながら、簾を引き上げて、「大変面白い毛虫がいますよ」と姫君をうながした。姫君が、利口そうな声で、「それは面白そうね、こっちへ持ってきて」とおっしゃると、「たくさんありすぎて、取り分けることができません、こちらへきて御覧なさい」と男子が言う。そこで姫君は荒々しく足を踏んで出て来たのだった。

簾を押しやって、木の枝に見入っている姫君の姿を見れば、衣を頭にかぶり、髪も切り下げたところが清らかに見えるが、櫛を入れないためか、ぼさぼさに見える。眉毛はたいそう黒く、はっきりとしてあざやかで、涼しげに見えた。口のあたりもかわいらしく、清らかだが、お歯黒をつけないので、異様に見える。「化粧をすれば美人に見えるだろう。それにしても残念だ」と右馬の助は思ったのだった。

姫君はこんなにみすぼらしいなりをしているが、醜いわけではなく、ただ変っていて、鮮やかで気高く、華やかなところが新鮮なのだ。練色の綾の袿一襲、はたおりめの小袿一襲、白い袴を好んで着ていらした。虫をよく観察しようとして、身を乗り出して言うには、「あらかわいらしい。日にあぶられるのが苦しいので、こっちのほうにやって来るわ。これを一つ残さず絡め取りなさい、おまえ」。男子が言われたとおりに虫を突き落とすと、はらはらと落ちた。姫君は、墨で手習いを書いた扇を差し出し、「これに虫を入れなさい」とおっしゃる。男子がそのとおりにすると、公達もそれを見て、「これはへんちきりんなことだ、でもあの姫君はたいした美人だ」などと思っていたが、姫君に頤使される男子のことを思うと、「たいへんだなあ」と肝をつぶしたのだった。

(解説と鑑賞)
ヘビのいたずらのお返しに姫君から歌の返事をもらった御曹司は、ますます増長して、姫を自分の目で見たくなる。そこで、仲間のものと語らって女装し、姫の父君が不在の折を見計らって、姫君の住んでいる邸に侵入する。

立蔀の影に隠れて様子を伺っていると、姫君は外へ出てきてその姿をさらしながら、虫を観察する。その様子を見れば、世間の常識を外れてはいるものの、地はなかなかの美人だ。

そんなかわいらしい姫君の姿を、女装した男たちが立蔀の影で、声を殺して見守っている様子が目に浮かんでくるようで、なかなか面白い部分だ。








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