無責任を是正するのは無責任だ:官房長官の無責任な発言

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新国立競技場をめぐる政府や関係者の無責任な対応振りが大いに問題になっている。安部晋三総理も、この問題に「問題」があることを認めたが、これからやり直すには時間が足りないということを理由に、この問題に幕を引こうとする姿勢を見せた。安部晋三総理の代弁者である菅官房長官も、この問題を白紙に戻してやりなおそうというのは「無責任」だと言って、批判勢力を牽制している。

しかし、彼らがそう言えば言うほど、国民の疑惑は高まる一方だ。政権幹部は時間切れを理由に幕を引こうとしているが、槙文彦氏らによれば、まだ計画を練り直す時間は十分にあると言う。政権のように、こんなに複雑でかつ巨大なプロジェクトにこだわらなければ、残された時間でやり直すことは十分に可能だと言うのだ。

とにかく、この問題にはわからないところが多すぎる。官房長官は、このプロジェクトはオリンピック誘致の決め手になったもので、かつ国際公約とも言えるものだから、いまさら引っ込めるわけには行かないとも言っているが、このプロジェクトがどういう経緯で決まったのかについては、国民に対してほとんど何の説明もない。今わかっているのは、このプロジェクトの決定に大きな役割を果たした高名な建築家安藤氏が、自分も1300億円という予算の枠については認識しており、その範囲内で判断したつもりだったが、いつの間にかこんなに増えてしまったのは、なにがなんだかわからないと言っていることである。

とすれば、金のことを含めて、誰が真の決定責任者だったのか。常識的に考えれば文科省ということになるが、当の文科省の下村大臣は、あくまで安藤氏に責任をかぶせようと画策している始末だ。

こういう風景を見ていると、この国の権力を握っている連中がいかに無責任であるか、ということが伝わってくる。とにかく、事態はここまできてしまったのだから、いまさらナンダラカンダラ言ってもしょうがない、要は、余計なことを言わずにやるだけなのだ、というような理屈にもならぬ理屈がまかり通るばかりだ。

こうした無責任ぶりは、この問題に限らず、今の政権を握っている人々に共通するところだ。国民の常識とかけ離れたことを平気で強行する、それを批判されると、理屈にならない理屈で国民を言いくるめようとする。たとえば、現在もう一つの問題になっている安保法制について、安部晋三総理は子供だましの理屈を振りかざして、強行突破しようとしている。アメリカと日本との関係は、わたしと麻生さんの関係と同じで、麻生さんが不良にいちゃもんをつけられたら、私が友人として麻生さんを助けるのが当たり前のように、アメリカが他国から攻撃されたら、日本がアメリカを助けるのは友人として当たり前ではないですか。こんな子供だましの説明を、何の恥ずかしげもなく、口をとんがらせてまくし立てている始末だ。

麻生さんにいちゃもんをつけるやつは不良だ、という言い方は笑ってしまうところだ。麻生さんと麻生さんにいちゃもんをつけるやつと、そもそもどちらが不良なのか、と突っ込みを入れたくなるところだ。

話題がそれてしまったが、筆者が言いたいのは、この問題をめぐる無責任な構造は十分に明らかにする必要があり、また、是正する必要がある、是正する時間はまだあるはずだから、というものだ。ところが、菅官房長官は、別の理由まで動員して、この問題が無責任から出ているからと言って、いまさらひっくり返すことはできない。ことこの場に及んでは、無責任を是正しようとすること自体が無責任だと、わけのわからぬことを言っている。これこそ、一国の権力者として、究極の無責任と言うべきであろう。






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