水上から東京を眺めるその二

| コメント(0)
150717.cruise201.jpg
(佃島のマンション群)

日本橋川の河口近く、湊橋の手前で右手の水門をくぐり、亀島川と言う水路に入った。水路の右手は日本橋の下町、左手は新川の埋立地だ。このあたりは日本橋地区でありながら、何故か深川八幡宮の氏子地域になっている。ここを埋め立てたのが深川の衆だったせいかもしれない。

ややして水路を大きく左に曲がると、正面に高層マンション群が見えてきた。佃島の高層マンション群だ。隅田川の河口にある水辺の高級マンションとして、登場した時には大きな話題になったことを思い出す。このマンション群は、日本版ゲーテッド・コミュニテイの走りでもあった。

150718.cruise202.jpg
(亀島川添いの水辺のテラス)

水路に添ってさまざまな建物が並ぶうちにも、このように、水辺にせりだしたテラスが涼しさを演出している。人の姿が見えないのは、アクセスのせいか。もっと工夫して、人が水に親しむようにすれば、自ずから人が集まって来て、街にも活気が出ると思うのだが、このように放置されたようになっているのは、勿体ないことだ。

150719.cruise203.jpg
(勝鬨橋)

亀島川を出て隅田川に入ると、佃大島、勝鬨橋があいついて現れる。佃大橋のたもとには住吉神社も見える。今年はこの神社の本祭があると船頭が言った。ここの祭は獅子頭を担ぐことで有名だ。隣接する築地の波除神社の祭もやはり獅子頭を担ぐ。これは女だけでかつぐことでも有名だ。

150720.cruise204.jpg
(築地大橋)

勝鬨橋の先に、新しい橋が立ち上っているのが見える。勝鬨橋とは大して離れていない。ほとんど並ぶようにして立っている。こんなところに橋を架けたのは、マッカーサー道路の一部としてだ。このプランは筆者にも無縁ではないが、マッカーサー道路こと環状二号線を通すにあたって、築地市場内を道路が通ることになっている。だから、築地市場の移転が済まないと、この道路は完成しないのだが、完成に先立って、とりあえず橋だけは架けて置こうとする算段のようだ。

その姿を見て、あまりにも不細工なのにがっかりした。もっとデザインに工夫の余地はなかったのか。今後はこの橋が隅田川の第一橋梁になるわけだから、勝鬨橋に劣らない威風を期待するところなのに、この橋のデザインと言ったら、中川放水路にでも架っていそうな野暮さ加減だ。

これでは、築地大橋という名前が泣こうというものだ。大橋も糞もない。こんなものを作ったのは、都庁の土木屋だと思うが、この連中のナンセンスぶりにはあきれるばかりだ。

150721.cruise205.jpg
(相生橋)

第一橋梁をくぐるとそこは海だ。前方にはレインボウブリッジが見えている。その手前を左に曲がり、晴海と豊洲の間の水路を通って隅田川の方へと向かう。ややすると、隅田川のもうひとつの(東側水路の)第一橋梁たる相生橋が現れる。この橋はかつて、常盤橋のように美しい姿をしていたものを、架け替えにあたって、やはり都庁のナンセンスな土木屋どもが、このような無様な姿に変えてしまった。この連中は、同じ過ちを何度も繰り返すから、度し難い輩と言うべきであろう。

150722.cruise206.jpg
(清洲橋とキャンドルタワー)

永代橋をくぐって隅田川の本流に入る。清洲橋にさしかかると、東京スカイツリーがちょうど橋の真ん中に立っているように見える。そのさまが、清洲橋をテーブルに見立てたキャンドルのように見えるということから、この眺めをとくにキャンドルタワーというのだと船頭が解説してくれた。なるほど、そう言われれば、そのように見える。

清洲橋の深川方の袂に芭蕉の像が立っている。この像は、午前中は北の方を向き、午後になると南の方を向くのですと船頭が解説する。ホントかいなと疑心暗鬼になっていると、この像はプラスティックでできているのですよと言う。プラスティックならそのような芸当も出来ようが、この像を何回か身近でみたことのある筆者も、そこまでは気づかなかった。

150723.cruise207.jpg
(柳橋)

船は隅田川を遡り、両国橋の手前で神田川に入った。柳橋をくぐると、三浦屋はすぐそこである。二時間余りの舟の旅は、筆者にとっても非常に楽しいものだった。

このクルーズには大勢の女性たちが参加していたが、彼女らも口を揃えて、とても楽しかったわ、と言った。そんなに楽しかったのなら来年も計画しましょうと前野会長が言う。会長はもはや80歳を超える高齢だ。にも拘わらず、会のために労を惜しまない。ほとほと頭の下がるところだ。






コメントする

アーカイブ