安倍晋三の虚言癖

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国立新競技場の白紙撤回問題をめぐる安倍晋三総理大臣の公約破りを見ていると、この男の虚言癖ともいうべき性癖が改めて気になる。安倍晋三総理大臣は、そもそもこの競技場のデザインは民主党政権時代に決まったことだなどと責任を転嫁するような言い方をしているが、オリンピック都市選考の場で、デザインや財源も含めて、保証付きの立派な競技場を作りますと明言したのはほかならぬ安倍晋三総理大臣自身だ。つまり、安倍晋三総理大臣は自らの威信にかけて、新国立競技場を売り込んだわけで、それを白紙撤回することは明確な公約破りであり、虚言を吐いたと言われても致し方がないところだ。

安倍晋三総理大臣は同じ会場で、福島の原発事故についても、アンダー・コントロールだと大見得を切ったところだが、それが事実でないことは誰でも知っていたことだ。しかのみならず福島は、いまだにアウト・オブ・コントロールの状態にある。

安倍晋三総理大臣はまた、安保法制をめぐる一連の国会質疑の中でも、常識では理解できない言葉を連発した。たとえば、戦争を遂行することを平和を維持することと言ってみたり、戦争のリスクが高まることは戦争する当事者である自衛隊員の生命のリスクが低くなることだと言ってみたりだ。

安倍晋三総理大臣のこうした語法をさして、意味不明だとか言って批判する向きもあったが、おそらく安倍晋三総理大臣本人の意識の中では、それらは明確な意味を帯びた言葉なのだろう。

日本が戦争する国になることによって、日本は世界の国々から一目置かれるようになるにちがいない、いやなって欲しい、そうした願望が基底にあって、それが現実の見方を左右する。あってほしいことは、あるべきことであり、あるべきことは、実際にあるはずのことなのだ、こうした心理的機制が働くと、願望と現実との見境がつかなくなる。

つまり、安倍晋三総理大臣の意識の中では、願望が現実の見方をコントロールしているわけだ。だから、意味不明だとかウソをついているとか言うのはあたらないのかもしれない。本人は誠実に言表しているつもりなのだ。ただ、その言表がいささか現実と齟齬をきたしている。しかし、現実と齟齬をきたした言表は、どう言い繕っても虚言のそしりを免れまい。





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