禅と日本文化:鈴木大拙の啓蒙的著作

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西田幾多郎を読み直した機縁で鈴木大拙をも読み直す気になった。と言うのも筆者は、比較的若い頃に大拙の著作を何冊か読んだことがある。その節は、西田幾多郎を意識しないで読んだのだったが、書かれてあったことは殆ど覚えていない。筆者の問題意識に訴えることが薄かったからだと思う。その時の問題意識とは、恐らく禅とはなにかについて理解の手がかりを得たいということだったと思うのだが、そもそもそういう問題意識に応えるような書物など、ありえないということが、改めて鈴木大拙の啓蒙的著作「禅と日本文化」を読んでわかったような次第だ。

この著作は、禅とは何かについては、あまり多くを語っていない。そのかわりに、禅が日本文化に及ぼした影響について語っている。語りかける相手は、当時大拙が常在していたアメリカの人々だ。だから原文は英語で書かれている。そんなこともあって、入門的というか、啓蒙的というか、あっさりとした書き方になっている。

ともあれ、大拙がこの書物の中で言っていることは、禅そのものは言葉で伝えられるようなものではないということだ。大拙によれば、禅とは仏陀と同じ精神状態に達することを目的とする。そのためには、「無明と業の密雲に包まれて、われわれのうちに眠っている般若を目ざまそうとするのである。無明と業は知性に無条件に屈服することから起こるのだ。禅はこの状態に抗う。知的作用は論理と言葉となって現れるから、禅は自から論理を蔑視する。自分自身を表現しなければならぬ場合には、無言の状態でいる」(大拙「禅と日本文化」)。

このように、禅は論理とか言葉では伝えられない。それは我々各自が、直接的に体験するのでなければならない。したがって、禅とは何かを言葉によって表現するのはナンセンスであり、それを言葉を通じて伝えてもらおうと期待するのも筋違いなのである。若い頃の筆者が、禅とは何かを理解する手掛かりを得ようと思って大拙の書物を開いたのは、無謀な振舞いであったわけである。だからこそ、読後に何も残らなかったのであろう。

だが、禅的体験の反論理性、非言語性について強調するあまり、一切語らぬという態度に固執しては、身も蓋もないと言わねばならないだろう。そういう態度では、たとえば禅僧たちの共同体なども意味を持たないということになりかねない。しかし、禅的な共同体というのは実際成立しているわけだし、共同体が成立するためには、そこにコミュニケーションがなければならない。コミュニケーションというものは、多かれ少なかれ言葉を伴うものであり(身体によるコミュニケーションも無論あるが)、その言葉は論理に裏打ちされている。それ故禅と雖も、言葉と論理とを頭から無視するわけにはいかない。

この二律背反のような関係を大拙は、禅の知識の特殊性を説明することで切り抜けようとする。普通知識と言えば、見聞とか観察とか他人の言葉とかを通じて得るものと考えられている。それらは言葉によって表現され、その言葉は論理によって支えられている。だが知識にはもう一つ、別な形のものがある。それは直覚的な理解の方法によって把握せられるものである。直覚的であるから、ものごとを一瞬にして、しかも如実の相において把握する。そこには分析だとか演繹だとかの論理的な過程は介在しないし、また一々言葉によって説明することを要しない。とにかく直覚的に理解されるのである。

このような知識は、科学的・論理的知識とは異なるが、だからといって、意味がないわけではない。むしろこうした知識を必要とする場面が、人間が生きているうちには何度も生じる。そうした場面に遭遇すると、人はいちいち論理と言葉を働かせている余裕はない、と言うより、そういう態度はかえって人を危機に陥らせる。人は、一瞬にして直覚的な知恵を働かせることで、このような危機から身を守ることができるのだと大拙は言うのである。だからこうした知識は実践的な知識だと言われる。実戦的な知識は、科学や言葉による学習では得られない。それは体験を通じてのみ体得される。禅の知識とは、このような体験に基づく知識だというのである。

体験はごく個人的な事柄だと言えるが、他人と共有できないわけではない。しかしその共有は言葉や論理を通じてではなく、各自の生存条件の通底性とでもいうべきものを通じてなされる。禅僧同士のやりとりを禅問答と言う時、そこには多分に揶揄の意味合いが含まれており、それはこの問答が、言葉のやりとりとしては意味をなさない、ちんぷんかんぷんなものだということを言っているわけだが、そのちんぷんかんぷんなやり取りの中でも、伝わるものが実際にある。それを禅僧たちは禅の知識と言っているわけだ。禅の知識が人から人へと伝わるのは、言葉や論理によってのみではなく、人間に共通する存在の通底性のようなものを通じてだと、彼らは捉えているわけである。

ともあれ、禅の知識は言葉によっては十全に伝えられない。それを理解するためには、禅を実践しなければならない。実践したものを他人に伝えようとするとき、ある程度言葉が介入することはある。というより言葉でなければ伝わらないこともある。その、言葉による内容と、実践した事柄とを十全に伝えようとすると、禅問答のような、一見ちんぷんかんぷんなやりとりになってしまう、というわけなのであろう。

ところで、鈴木大拙と西田幾多郎が少年時代からの友人であったことはよく知られている。彼らは友人であったばかりか、思想的にも互いに影響しあったようである。西田が禅に親しむようになったのには大拙の影響が働いているようだし、また、西田の思想の少なからぬ部分に大拙の影を感じることができる。例えば「一即多、多即一」などは、西田が大拙から学んだ考え方だったようだし、「日本的霊性」の中で展開される「即非の論理」は、西田に大きな影響を与えた。ただ西田は哲学者であったから、そうした大拙の禅的な言葉を、正面から掲げることをしなかった。言葉と論理を生命とする哲学者としては、言葉と論理を超越した禅の思想は、そのままでは使用に耐えないと考えたからだろう。








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