異端審問所の行進:ゴヤの黒い絵

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聾の家二階サロンの入り口から向かって右側の奥の壁に描かれていたのが「異端審問所の行進」と題されたこの絵(123×266cm)である。題名はゴヤ自身がつけたものではなく、ブルガーダやイリアルトによるものなので、この絵が本当に異端審問所を描いているのかはっきりはしない。現在この絵を保存しているプラド美術館は、これを「聖イシードロの泉への巡礼」としているが、聖イシードロ修道院の周辺にはこのような光景は見当たらぬことから、殆どの研究者が疑問視している。

ここではこれを、通説に従い「異端審問所の行進」として解釈する。すると、画面右手前方の人々にまず注目がゆく。右端の人が着けているのは、堀田善衛によれば大審問官の法衣だということである。彼のすぐ左手にいる人物は、太鼓腹をしてふんぞり返っているが、これは大法官ではないかと推測される。そのほかの人々は、フードつきの白いショールをかけているが、これは修道僧の法衣だということである。

もし彼らが異端審問所のメンバーだとすれば、ゴヤは何故それを描いたのかが問題となる。異端審問所が最も勢力を発揮したのは15世紀から16世紀にかけてで、ゴヤの時代には勢力が弱まっていたが、それでもまだ残っていた。それを残すことに熱心だったのは王党派の方で、自由主義者たちは毛嫌いした。したがって、自由主義者と王党派の間で権力の交代があるたびに、異端審問所は廃止されたり復活されたりした。最終的に消滅するのは、1834年のことである。

王党派に反感を持っていたらしいゴヤは、異端審問所を毛嫌いしていたはずである。この絵には、そうしたゴヤの反感が込められていると多くの研究者たちは指摘している。

なお、この絵の背景となっている峻厳な地勢は、北バスク地方であろうとする見方がある。北バスク地方は黒魔術の本場とされており、したがって異端審問所がその弾圧に力を注いだところだ。








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