2015年8月アーカイブ

神楽坂で加賀料理を食う

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先日真鶴でグルメを楽しんだ仲間と神楽坂で加賀料理を食った。黄昏時に毘沙門天の境内で待ち合わせ、まず石畳の街を散策しようというので、鳥茶屋裏の路地から始めて黒塀横町を通り、神楽坂を反対側に横切って鳥茶屋支店脇の坂道を下り、毘沙門天裏にある加賀料理の店加賀に至ったという次第。途中どこでも大勢の観光客がぞろぞろ歩いているところを見た。外国人の姿も目立つ。どうやら神楽坂は、いつの間にやら観光名所になったようである。

大岡昇平は1945年1月25日にミンドロ島の山中で米兵に拘束されてから、同年11月30日頃復員船に乗り日本へ向けて出発するまでの十ヶ月あまりを米軍の俘虜として暮らした。このうち最初の二ヶ月間はミンドロ島及びレイテ島の野戦病院で戦病者として入院生活をし、後半の約八ヶ月をレイテ島の俘虜収容所で暮らした。その日々のうち、8月15日を境として、それ以前は戦争中における純然たる俘虜の身分に、それ以降は敗戦国の残兵として復員を待つ身分におかれた。大岡が戦後初めて日本の地を踏むのは12月の中旬であるが、「俘虜記」は日本へ向かう船を描写するところで終わっている。

遣手婆:ゴヤの版画

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(けっこうな忠告)

版画集「きまぐれ」には、遣手婆(セレスティーナ)が多くあらわれる。遣手婆の仕事は女の売春相手を斡旋することで、決して忠告などをすることではないが、この絵の遣手婆は、題名通りだと、若い女になにかしら忠告していることになっている。

あさましき事は、今の一人の少將の君も、母上の御風よろしきさまに見え給へば、「彼所へ」と思せど、「夜など、きと尋ね給ふ事もあらむに、折節なからむも」と思して、御車奉り給ふ。これはさきざきも、御文なき折もあれば、何とも宣はず。例の清季參りて、 「御車」 といふを、申し傳ふる人も、一所はおはしぬれば、疑ひなく思ひて、 「かく」 と申すに、これも「いと俄に」とは思せど、今少し若くおはするにや、何とも思ひ至りもなくて、人々御衣など著せ換へ奉りつれば、我にもあらでおはしぬ。

上海:亀井文夫

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亀井文夫のドキュメンタリー映画の傑作「上海」は、「支那事変後方記録」という副題にもあるとおり、日支事変後の上海の様子を中心に、中国大陸における日本軍と中国民衆との接触を描いた映画である。日支事変が起きたのは1937年8月、この映画の公開は翌年の2月である。映画の作成は日支事変を遂行した陸海軍の意向による。軍部は、映画を通じて、日支事変の正当性を国民に訴えるとともに、日本軍がいかに中国民衆の信頼を集めているか、また中国に租界を有する大国の利益を守り、日本が世界の平和のためにいかに貢献しているかについて、宣伝することを目的としたようである。いわば国民大衆の戦意高揚と、正義の戦争の宣伝を旨としたプランであったわけだ。

五人美人愛嬌競:歌麿の美人画

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(芝住の江)

「五人美人愛嬌競」の五枚の絵にはいずれも、外題のわきに判じ絵が置かれている。それを読むと、モデルの女性の名前がわかるという仕掛けだ。遊びをかねた美人画シリーズだ。絵そのものも人気を取ったらしく、五枚のうち少なくとも三枚は、「美人花合せ」と題を変えて再刊された。

アベノミクスの中間成果

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上の図表は、日銀の公式データをもとに英誌エコノミストが作成したものである。2011年初頭以降の消費者物価の動きを表している。黒田体制になって以降上昇傾向を続けた消費者物価は、消費税が8パーセントに引き上げられた2014年4月に一気に上昇速度を速めた後、その年の夏をピークにして下落傾向に転じたことが読み取れる。だが、消費税アップによる影響を除けば、消費税のアップを境にして消費者物価が下落傾向に転じたということがわかる。黒田総裁は、就任時に約束した2パーセントのインフレ基調の実現を、当分先延ばしにせざるを得なくなっている。

ドナルド・トランプ日本を罵る

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ドナルド・トランプが、その支離滅裂な舌鋒を日本にも向け始めた。彼が日本罵倒に持ち出す材料は二つ、安全保障と経済関係である。安全保障の件では、日米安保条約は不平等条約であり、日本はアメリカにただ乗りしているという主張、つまり安保ただ乗り論だ。経済関係の件では、日本はアメリカからうまい汁を吸ってばかりで、アメリカからの農産物の輸入を拒むなど、一方的に利益を享受しているという主張、つまり日本経済やらずぶったくり論とでもいうべきものだ。

貪欲な聖職者たち:ゴヤの版画

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(かっかしている)

版画集「きまぐれ」の中でゴヤがこだわったテーマの一つに聖職者への批判がある。聖職者は、欺瞞と貪欲の権化として描かれることが多いが、なかでも修道士がその最たるものとされる。

大岡昇平「俘虜記」

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大岡昇平は、1944年7月、35歳の時に補充兵としてフィリピンのミンドロ島に送られ、翌年の1月に米軍の捕虜になった。その後レイテ島の捕虜収容所に入れられ、そこで敗戦を迎えた。日本に復員したのはその年の12月のことである。疎開先の兵庫県に身を寄せて一段落したところで、東京に赴いて師であり友人でもある小林秀雄を訪ね、復員の挨拶をしたところ、小林から従軍記を書くように勧められた。こうした経緯を経て生まれたのが「俘虜記」である。従軍記が俘虜記になったのは、大岡の軍人としての生活よりも捕虜としての生活の方が長かったせいだ。彼にとっての戦地とは大部分が捕虜収容所だったのである。

歌撰恋之部(二):歌麿の美人画

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(物思恋)

歌麿の美人画の中でもっとも有名な一枚で、各時代を通じて復刻版が作られた。そのたびに、着物の柄の色や顔の輪郭が微妙な変化を示した。

鈴木大拙の日本的霊性論

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鈴木大拙は、霊性という言葉を宗教意識というような意味で使っている。というのも大拙は、霊性という言葉を感性や知性と並列する形で使っているからだ。感性が感覚についての、知性が知的認識についての意識であるように、霊性は霊即ち宗教的な対象についての意識であると考えているわけだ。

ドナルド・トランプの口舌

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ドナルド・トランプの勢いがすごい。一時は泡沫候補と侮られていたが、いまやジェブ・ブッシュ以下の共和党の大統領候補者を抑えて、断然トップの勢いだ。その人気の大部分は彼の率直な発言にあると見られているが、その発言たるや、メキシコ人はみな強姦犯だとか、自分に批判的な女性アナウンサーはメンスでヒステリーになっていたなどと、とても紳士の言葉とは言えない下品なものだ。下品さには耐えられない筆者などは、どうせそのうち消え去るだろうくらいに考えて相手にしないことにしていたが、もしかしたら本当に共和党の大統領候補になるかもしれないと世間で真剣に言われだしてみると、そうも言っていられなくなった。今後は彼の発言をある程度フォローする必要があるだろう。

權少將は、大將殿のうへの、御かぜの氣おはするにことつけて、例の泊り給へるに、いと物騒しく、客人など多くおはする程なれど、いと忍びて御車奉り給ふに、左衞門の尉も候はねば、時々もかやうの事に、いとつきづきしき侍にさゝめきて、御車奉り給ふ。大將殿のうへ、例ならず物し給ふ程にて、いたく紛るれば、御文もなき由宣ふ。

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「静かなる男( The quiet man )」は、アイルランドにルーツを持つジョン・フォード( John Ford )が、その美しい故郷に捧げたオマージュのような映画である。豊かな自然を背景に、人々の心のこもった交流を描く。それを見ていると、人間の理想的な生き方とはこういうものなんだ、というフォードの確信のようなものが伝わってくる。

消えゆく鷹狩

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写真(WPから)は、鷹に褒美の餌を与えるモンゴルのカザフ人。カザフスタンからモンゴルにかけてひろがるアルタイ山地は、4000年にわたる鷹狩の伝統を持つ。だが、近年は鷹狩が世界的になくなる傾向のなかで、鷹匠が減少し、今では世界で70人ほどを認める程だという。そのほとんどは、アルタイ地方に集中している。

歌撰恋之部(一):歌麿の美人画

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(深く忍恋)

「歌撰恋之部」は王朝和歌集をもじった題名である。歌集に恋之部があるように、画集に恋之部があってもよい。まして美人画の画集とあればなおさらだ、というわけであろうか。

西之島の噴火と大陸創生

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一昨年(2013年)11月の噴火から一年半以上にわたって噴火を続ける西之島、このように長期の噴火は過去に観測されたことがないそうだ。この噴火によって、直径二キロ、海抜140メートル以上の火山島に成長した。その地質学的・生態学的な意義については、世界中から注目されている。なかでも、この噴火が、地球上における大陸生成の謎に手がかりをもたらすのではないかと大きな期待が寄せられている。NHKスペシャル「新島誕生 西之島  ~大地創成の謎に迫る」は、そんな期待に応えようと、興味深い調査結果を放送していた。

柄谷行人「反復脅迫としての平和」

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柄谷行人が「世界」の2015年9月号に寄せた「反復脅迫としての平和」という文章は、憲法9条がなぜいまも大多数の日本人によって支持されているのか、その理由をフロイトの理論に依拠しながら分析したものだ。それによれば、強迫神経症の患者が無意識の罪悪感にさいなまれているのとパラレルな形で、日本人は「無意識的罪悪感」に基づいて憲法9条にこだわり続けていると言うことになる。それは無意識のレベルでのことであるから、そう簡単には排除できない。安部晋三政権がいくらがんばっても、日本国民に憲法9条を捨てさせることはできない、なぜならそれは日本人を無意識のうちに呪縛している罪悪感に反するからだ、というわけなのである。

愛と死:ゴヤの版画

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(愛と死)

この作品が何故「愛と死」と題されたのか。愛する男を失った女の悲しみを描いたのだと解釈すれば、何となくわからぬでもない。男は、恐らく決闘に敗れて死に、その遺体を女が抱きかかえている、そんなふうに見えないでもない。

かやうにて明し暮し給ふに、中の君の御乳母なりし人はうせにしが、むすめ一人あるは、右大臣の少將の御乳母子の左衞門の尉といふが妻なり。たぐひなくおはするよしを語りけるを、かの左衞門の尉、少將に、 「しかじかなむおはする」 と語り聞えければ、按察の大納言の御許には心留め給はず、あくがれありき給ふ君なれば、御文などねんごろに聞えたまひけれど、つゆあるべき事とも思したらぬを、姫君も聞き給ひて、 「思ひの外にあはあはしき身の有樣をだに、心憂く思ふ事にて侍れば、まことに強きよすがおはする人を」 など宣ふも哀れなり。

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「荒野の決闘( My Darling Clementine )」は、「駅馬車」と並んでジョン・フォードの西部劇の最高傑作と言われる。ジョン・フォードの最高傑作と言えば、西部劇の最高傑作と言い換えてもよい。フォードは西部劇最大の巨匠だからだ。

法制審で性犯罪の厳罰化を検討

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法制審議会が、法務省の諮問を受けて、性犯罪の厳罰化の検討に入るという。背景には、裁判員制度の導入に伴い、殺人を中心にした凶悪犯罪の重罰化の傾向が強まっているなかで、性犯罪が他の犯罪と比較して軽い量刑で済まされていることへの、裁判員=市民の率直な違和感が働いているということらしい。

北国五色墨:歌麿の美人画

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(切の娘 大判錦絵)

北国は吉原の異称、江戸の北郊にあることからこう呼ばれた。北郭とも言う。五色墨は享保年間に刊行された俳諧集の題名。歌麿はそれに、五色つまり五人の美人たちという意味を重ねた。

女の略奪:ゴヤの版画

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(彼女は連れ去られた)

これは女の略奪を描いた作品である。真っ黒な闇を背景に、真っ黒な顔の男が女を抱きかかえているが、それはたった今略奪した女なのだ。女を略奪した顔の黒い男は、その着ているものから修道士だと推測される。とするとこの絵は、修道士が女を盗んでいるところを描いたということになる。

この刺激的な題名は、ユダヤ系のフランス人である著者が、ドイツ帝国の復興に、経済的・政治的そして文化的にも深刻な懸念を抱いていることのあらわれだということが、この本を読むと自から了解される。エマニュエル・トッドによれば、いまやドイツはヨーロッパの支配者になりつつあり、やがてはヨーロッパのすべての国々を隷属させるようになるだろう。そうなれば、トッドの生きているフランスもドイツの奴隷となり、ユダヤ系の家系に生まれたトッドは、自分の身に深刻な危機がせまるのを覚えるようになる、そういう人類学的な恐怖心がこの本には含まれているようである。

姿見七人化粧:歌麿の美人画

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(姿見七人化粧 大判錦絵)

「姿見七人化粧」と題したシリーズの一枚だとされるが、伝わっているのはこの一枚だけ。ほかの六枚は散逸してしまったのか、あるいは最初から作られなかったのか、よくわからない。しかし、この一枚は、歌麿の最高傑作のひとつとの評価が高い。

鈴木大拙は、日本人の自然愛には西洋人のそれとは異なった独特の特徴があり、それについては禅が多大の影響を与えたと考えている。すなわち彼は、日本人の自然愛には二つの大きな特徴を指摘できるが、それらはいずれも禅と深くかかわっているというのである。

昔物語などにぞ、かやうな事は聞ゆるを、いと有難きまで、あはれに淺からぬ御契りの程見えし御事を、つくづくと思ひ續くれば、年の積りけるほども、あはれに思ひ知られけり。 

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ジョン・フォード( John Ford )の映画「わが谷は緑なりき( How green was my valley )」は、家族の情愛と人間同士のつながりの大切さを描いた実に感動的なヒューマン・ドラマである。恐らく世界の映画史上最も良質のヒューマン・ドラマとして人類史に残るのではないか。その感動的なことは、筆者のように単純にできた人間には、見るたびに泣かされてしまうほどだ。筆者ならずとも、この映画を見て涙を流さぬものは、人間だとは言われぬだろう。

女上司に蹴られて成仏する

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先日、23歳の若者男性が車の中で会社の女上司に蹴られて死んだというニュースが流れたが、それを聞いた筆者はびっくりした。その理由は恐らく、女が男を蹴り殺したということの異常さ、またこの女が暴行した男性と言うのは、女が雇っていたアルバイトで、その仕事ぶりが気に入らないから暴行したということの異常さだ。

婦女相学十躰:歌麿の美人画

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(ポッピンを吹く女 大判錦絵)

「婦女相学十躰」は女たちのしぐさや表情を類型化して描いたもので、おそらく十点一組で出版されたのであろう。そのなかでもっとも有名なのが、この「ポッピン吹く女」、「ビードロを吹く女」とも呼ばれている。ポッピンとは、ガラスで作ったおもちゃで、吹くと「ポッピン」という音が出るところから、こう名づけられたと言う。

核のゴミを外国に引き取ってもらう

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日本で反原発を主張する論拠の一つに、便所のないマンションをたてるようなものだという理屈がある。たしかにその通りで、原発から出る大量のゴミとも言うべきものの、適切で安全な処理を伴わなければ、危険なゴミが国内に充満して、それこそ糞詰まりの状態になるのは、子どもでも思い浮かぶことだ。そこで、いかにしてこのゴミの処分に道筋をつけるかが問題になるが、ここに面白い提案をする人がいる。オックスフォード大学で原子力が環境に及ぼす影響を研究しているカービー氏だ。氏はニューヨーク・タイムズに寄稿した小文の中で、日本は核のゴミを外国に引き取ってもらうのが、もっともよい解決策だと提案している( Japan's Plutonium Problem )。無論ただではない、相応の手数料を支払った上でのことだ。

戦後の憲法学界をリードした宮沢俊義に「日本国憲法生誕の法理」と題した小論がある。日本国憲法の法的な正統性が何に由来するかを論じたものである。この論文が最終的な体裁をとったのは1955年のことだが、それ以前に、1946年3月に出された政府の憲法改正案を論じる「八月革命の憲法史的意味」というものがあり、それを踏まえたかたちで、日本国憲法の法的な正統性の由来というか淵源について論じなおしたものである。

仮面の娘たち:ゴヤの版画

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(娘たちはハイと承諾して最初に来た男と婚約する)

ゴヤの自画像に続いて現れる版画の最初のものが「娘たちはハイと承諾して最初に来た男と婚約する」と題されたこの作品である。当時のスペインの富裕な階級に見られていた打算的な結婚を風刺したものだ。娘の結婚は、親にとっては自分の社会的な地位を高めるための手段だったが、当の娘にとっては、親の束縛から離れて、自由気ままな生き方を手にするきっかけだった。だから、「ハイと承諾して最初に来た男と婚約する」わけだ。結婚は、愛の問題ではなく、打算の問題というわけだ。

日本研究で知られるオランダのジャーナリスト、カレル・ヴァン・ウォルフレンが、最近の日米関係について論じた文章を日本の英字紙 Japan Times に寄せている(Dependence day: Japan's lopsided relationship with Washington )。本文はかなり長いので引用は控えるが、読者諸兄には、上記リンクからアクセスし、一読することをお勧めしたい。

かひあはせ(三):堤中納言物語

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いとほそき聲にて、
  かひなしとなに歎くらむしら浪も君がかたには心寄せてむ
といひたるを、さすがに耳疾く聞きつけて、 「今かたへに聞き給ひつや」 「これは、誰がいふにぞ」 「觀音の出で給ひたるなり」 「嬉しのわざや。姫君の御前に聞えむ」 と言ひて、さ言ひがてら、恐ろしくやありけむ、連れて走り入りぬ。 

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ジョン・フォードの映画「怒りの葡萄( The Grapes of wrath )」は、ジョン・スタインベックの同名の小説を映画化したものである。小説の刊行が1939年、映画の公開はその翌年の1940年、どちらも大変なセンセーションを巻き起こした。フォードはこの映画で、社会派のチャンピオンのような存在になったし、主演のトム・ジョードを演じたヘンリー・フォンダは、アメリカ映画史上最も存在感のある俳優の一人になった。

安倍首相の戦後70年談話は、予想されていたほど挑発的・攻撃的ではなかったが、かといって謙虚で抑制的とも言えなかった。それは多分、東アジアでの緊張の高まりを望まない米国への遠慮と、国内の右翼勢力への気遣いとが相まって、そうさせたのだろう。

寛政三美人:歌麿の美人画

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(寛政三美人 大判錦絵 38.8×25.5cm)

徳川時代は美しい女がもてはやされた時代で、いつの頃にも三美人とか美人番付とかいって人々の話題の中心となった。歌麿が活躍した寛政時代も、その例に漏れず、寛政三美人といわれるものが大いに評判をとった。この評判の女たちを、歌麿は繰り返し描いている。

先日、中年の男性弁護士が若い男に男根を切り取られたというニュースが流れた時、所謂安倍定事件を連想したのは筆者のみではなかっただろう。阿部定の場合には、愛する男を永遠に自分のものにする気持ちから、男を絞め殺したうえで男根を切り取り、それを後生大事に持ち歩きながら逃走した。今回の場合には、妻を寝取られた亭主が、憎さの余りに寝取った男の男根を切り取ったということらしい。男根を切り取られれば、もう他人の女房に手を出すこともあるまいと思ったのだろう。

気まぐれ( Los Caprichos ):ゴヤの版画

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ゴヤの版画集「気まぐれ( Los Caprichos )」は、1799年に第一版が刊行された。総刊行点数は267セットであり、そのうち売れたのは27セットのみだという。残りは、原版ともども国王に寄贈された。異端審問所の告発を逃れるためだと言われている。こんなこともあり、この版画集は、ゴヤの生前にはほとんど注目されることはなかった。

久野収・鶴見俊輔「現代日本の思想」

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久野収・鶴見俊輔の共著「現代日本の思想」を読んだ。というより数十年ぶりに読み返してみた。この本が出版されたのは1956年であるから、彼らがいう現代思想とは、その時点での日本に流通していた思想ということになる。筆者が読んだのはそれから10数年後のことであったが、その時点でも、この本で触れている思想のいくつかはまだ命脈を保っていた。しかし、出版後60年もたった今日では、少なくとも若い人たちの問題意識を(積極的な意味で)刺激するような迫力を保持した思想を、この本の中に見出すことは難しくなったようである。

英誌エコノミストといえば、バランス感覚に富んだ記事で定評がある。筆者も若い頃から愛読してきた。そのエコノミストを実質的に所有してきたイギリスの教育・出版会社ピアソンが、エコノミストグループの株式の大部分をイタリアの投資会社エクソールに売却した。ピアソン社は先日、フィナンシャル・タイムズを日本の日経に売却したばかりで、その際にエコノミストの売却も検討していると報道されていたが、それが早くも実現した形だ。

当世踊子揃:歌麿の美人画

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(鷺娘)

歌麿は、天明の末頃に大首美人画を描くようになった。「当世踊子揃」と題したシリーズはその代表的なものである。これは、吉原の芸者たちの踊りに取材したという説や、普通の町娘たちの踊る姿を描いたものだとする説などがあって、解釈が定まらないが、どちらにしても、若い女性たちの美しさを、画面いっぱいの顔で表現したものである。

禅と俳句:鈴木大拙「禅と日本文化」

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鈴木大拙は、俳句を禅と結びつけた最初で最後の人ではないか。大拙以前の俳句論と言えば、多かれ少なかれ子規の影響を受けていたものだが、それは自然の写生に重きをおく議論であった。写生と禅とでは、共通するものはほとんどない。だから、俳句と禅とが結びつくこともなかった。また、大拙以降の俳句論も、禅を持ち出すことはほとんどない。禅をもって俳句を論じるには、俳句はあまりにも多彩だからであろう。俳句は禅のように悟りに近い境地をもたらすこともあるのかも知れないが、俳句の妙はそれに尽きない。俳句がそこから生まれてきた言葉遊びにも妙味はある。

かひあはせ(二):堤中納言物語

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「何事ならむ」と、心苦しと見れば、十ばかりなる男の、朽葉の狩衣二藍の指貫、しどけなく著たる、同じやうなる童に、硯の箱よりは見劣りなる紫檀の箱のいとをかしげなるに、えならぬ貝どもを入れて持て寄る。見するまゝに、 「思ひ寄らぬ隈なくこそ。承香殿の御方などに參り聞えさせつれば、これをぞ覓め得て侍りつれど。侍從の君の語り侍りつるは、大輔の君は、藤壺の御方より、いみじく多く賜はりにけり。すべて殘る隈なくいみじげなるを、いかにせさせ給はむずらむと、道のまゝも思ひまうで來つる」 とて、顔もつと赤くなりて言ひ居たるに、いとゞ姫君も心細くなりて、 「なかなかなる事を言ひ始めてけるかな。いと斯くは思はざりしを。ことごとしくこそ覓め給ひぬれ」 と宣ふに、

駅馬車( Stagecoach ):ジョン・フォード

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ジョン・フォード( John Ford )の1939年の映画「駅馬車( Stagecoach )」は、西部劇の古典的名作との評価が高い。西部劇といえば、開拓者とインディアンとの戦い、熱血漢とならず者の決闘、そして無骨な男同士の熱い友情といったテーマが定番だが、この映画はそうした要素のすべてを兼ね備えている。アメリカ人はこの映画の中に、古きよき時代のアメリカ精神とも言うべきものを見出し、心の震えるのを覚えると言う。そうした点では、単に西部劇の傑作と言うにとどまらず、アメリカ映画の金字塔とも言えよう。

川内原発の再稼働に見る無責任の構図

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川内原発の再稼働が決まり、およそ二年ぶりに原発ゼロの状態に終止符が打たれる。しかし、再稼働を巡る一連の事態を見るかぎり、安心しているわけにはいかない。そう思うのは筆者のみではあるまい。

喜多川歌麿の美人画

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徳川時代における浮世絵版画は、17世紀後半に菱川師宣らによってジャンルとして確立され、18世紀の後半に鈴木春信による錦絵への発展を経て、18世紀の末近く、寛政年間に喜多川歌麿が登場するに至って、完成の域に達したと言われる。寛政年間には、写楽や豊国といった奇才も出現し、19世紀になると北斎や広重が風景版画の分野を開拓することで、浮世絵版画はいっそうの広がりを呈した。

内田樹「街場の戦争論」

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内田樹はいまの日本を二つの戦争の間の戦間期と位置づけている。「負けた先の戦争」と「これから起こる戦争」に挟まれた時期というのである。内田がそういうわけは、安部政権という戦争好きの政権をこのまま政権につけておいたままにおくと、かなりな蓋然性で戦争がおこると考えるからだ。内田は、長い目で見れば日本は民主主義と立憲主義の国として再建されるだろうが、「短期的には準―独裁的な政体が日本に出現し、戦後70年間続いてきた平和主義外交が終わるという見通しはかなり蓋然性が高くなってきました」と言って、日本の行末に非常に悲観的な見方をしている。

ゴヤの版画

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ゴヤは生涯に四種類の版画集を制作した。「気まぐれ( Los Caprichos )」、「戦争の惨禍( Los Desastres de la Guerra )」、「闘牛技( Tauromaquia )」、「妄( Los Disparates )」である。このうち、生前に刊行されたのは「気まぐれ」と「闘牛技」だけであり、刊行数も少なかった。のみならず、「気まぐれ」については、内容の過激さから、権力によって弾圧される可能性を考えて、ゴヤ自身が流通を遠慮していたフシがある。ゴヤは晩年に、「気まぐれ」の原版を、王室に寄贈し、王室の権威を借りて、その抹消を逃れようと図ったくらいである。「戦争の惨禍」と「妄」は、これらを相続していた息子ハビエルの死後にやっと刊行された。

かひあはせ(一):堤中納言物語

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九月の有明の月に誘はれて、藏人の少將、指貫つきづきしく引き上げて、たゞ一人小舍人童ばかり具して、やがて朝霧も立ち隱しつべく、隙なげなるに、 「をかしからむ所の空きたらむもがな。」 と言ひて歩み行くに、木立をかしき家に、琴の聲仄かに聞ゆるに、いみじう嬉しくなりて、 「めぐる門の側など、崩れやある」 と見けれど、いみじく築地などまたきに、なかなか侘しく、「いかなる人のかく彈き居たるならむ」と、理なくゆかしけれど、すべきかたも覺えで、例の聲出ださせて隨身にうたはせ給ふ。 

埋もれ木:小栗康平

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小栗康平の映画「埋もれ木」は実に不思議な感覚に満ちた映画である。普通の映画が持っている筋書きのようなものをほとんど持たないし、登場する人々も普通の人間のような存在感を持たない。ある種のファンタジー映画でありながら、普通のファンタジーでもない。というのも、この映画は、三人の少女たちが語る架空の作り話の世界が、現実の世界の人間たちの物語と交じり合い、もつれ合っているおかげで、純粋のファンタジーでもなく、かといって現実の出来事でもない、といったきわめて曖昧な世界を、曖昧に描き出しているといった映画なのである。

京都祇園祭の旅その八:伏見

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(伏見の十石船)

東福寺より歩みて京阪電鉄鳥羽街道駅に至り、そこより電車に乗りて中書島駅に至る。駅より歩むこと数分にして小運河に差し掛かる。濠川といひて高瀬川が宇治川に合流するあたりなり。高瀬川は、淀川を京都の市中と結ぶために開削せられし運河にて、京都市中より十石船に積載して運び来れる荷をこの運河を通じて運び、合流地点たる伏見にて三十石船に積み替え、宇治川を下りて大阪方面に送れるなり。

雪中虎図:北斎絶筆

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「雪中虎図」と言われるこの絵には、「嘉永二己酉寅の月 画狂老人卍老人筆 齢九十歳」との署名がある。嘉永二年寅の月とは、同年三月のことだから、北斎が死ぬ前の月である。この月北斎は満年齢八十八歳であった。

犬:ゴヤの黒い絵

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聾の家二階サロンの入口を入ってすぐ右手前の壁に描かれていたのが「犬」と題されたこの絵(134×80cm)である。この部屋を時計回りに巡回して歩くと、最後に現れる絵である。そんなこともあって、この絵にはゴヤの最後(つまり死)を思わせるようなところがある。

京都祇園祭の旅その七:泉涌寺、東福寺

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(今熊野観音寺のぼけ封じ観音像)

七月廿六日(日)晴れて暑気甚だし。この日は泉涌寺、東福寺に参拝し、伏見桃山に遊ばんと欲す。ホテルを辞し、京都駅構内のコインロッカーに荷物を預け、東福寺行きの市バスに乗りて泉涌寺道に下車す。即ち泉涌寺の表参道なり。木立に囲まれたる道をしばらく行くに総門あり、更にその先左手に今熊野観音寺なる塔頭あり。ここにぼけ封じ観音像なるもの立つといふ。なにやら効験あるやに思はれたれば、立ち寄りて参拝す。この塔頭の一角には後堀河天皇の墓所あり。この縁により、泉涌寺は後に皇室の菩提寺とはなれると聞く。

鶴見俊輔「思い出袋」

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先日、鶴見俊輔が九十三歳で亡くなったとき、哀悼のコメントを寄せたのが鶴見と同じような世代の人々ばかりだったのを見て、この人も今は忘れられつつある人だという印象を持った。かくいう筆者も、鶴見俊輔の読者だったことはなく、彼の一生がどんなものだったのか、ほとんど何も知らない。だが彼が、戦後日本の思想界に一定の役割を果たしたということくらいは知っているので、その死に、日本の戦後思想史のひとつの区切りを見るくらいのつもりはある。

原爆投下から70年

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今年(2015年)は、広島・長崎に原爆が投下されてから70年目の節目の年だ。今日8月6日には、例年のとおり広島で平和記念式典が催された。その場で、印象的なことが二つ起った。一つは安倍晋三総理大臣が、この式典に出席した歴代の総理大臣としては初めて、非核三原則に触れなかったこと。もう一つは、アメリカの政府高官が初めて参加したことだ。安倍総理大臣については、彼の日頃の言動からして想定の範囲内であり、そう驚く人はいなかったと思う。一方、アメリカ政府を代表して始めて参加したゴットメラー国務次官については、終始硬い表情で、何らのコメントもなく、式典終了後静かに立ち去ったということだ。

京都祇園祭の旅その六:鞍馬、貴船

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(鞍馬)

食後、出町柳駅発十三時零分の叡山線鞍馬行に乗り、十三時三十分鞍馬に至る。駅前に多宝塔あり。ケーブルカーの乗り場を兼ぬる。されどケーブルカーは改修中につき全面運休なりといふ。仕方なく、徒歩にて上らんとす。この参道は急斜面にして、階段頗る急なり。なるべく階段を避けて坂道を上らんとすれど、坂道もまた急にして老人の足にては頗る難儀す。

北斎怒涛図

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北斎は、最晩年の天保十三年(1842、北斎馬歯83)の時に信州小布施を訪ねて以来、四度にわたって小布施に足を運んでいる。晩年の弟子である高井鴻山を頼ってのことだった。鴻山は北斎のためにアトリエを用意し、ここで自在に筆を執らせた。北斎はその期待に応えて、多くの肉筆画を残してやった。その代表的なものは、祭屋台のために描いた天井画や、一茶ゆかりの寺岩松院のために描いた鳳凰図などである。

禅と武士:鈴木大拙「禅と日本文化」

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日本には様々な仏教が栄えたが、仏教の各流派とその担い手には大雑把な対応関係を指摘できると鈴木大拙はいう。大拙は、「天台は宮家、真言は公家、禅は武家、浄土は平民」との言い表しを引用しながら、禅と武士階級との緊密な結びつきを指摘する。この言い表しの出典は明らかでないが、こう言われてみると、なるほどと思われないでもない。しかも、禅と武家とが結びつくわけは、禅が死を恐れぬことを教えるからだといい、「まじめな武士が死を克服せんとする考をもって、禅に近づくのは当然である」(大拙「禅と日本文化」)と言われてみると、余計になるほどと思われる。

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(安部清明像)

七月廿五日(土)晴。この日は、午前中に西陣を歩み、午後は鞍馬の山を訪ねんと欲す。朝餉をなして九時にホテルを辞す。京都駅前よりバスに乗り、一条戻橋にて下車し清明神社に参る。この神社は安部清明の居宅跡に祀られしものにて、境内には陰陽師安部清明にまつはるさまざまなる逸話紹介してあり。その中には今昔物語集中の式神にまつはる逸話もあり。清明が何故神体に祭り上げられたるか、いづれ古代日本人の信仰のあり方を反映せるならん。

土さへ割れて照る日にも、袖ほす世なく思しくづほるゝ。 十日余日、宵の月隈なきに、宮にいと忍びておはしたり。宰相の君に消息し給ひつれば、 「恥しげなる御有樣に、いかで聞えさせむ」 と言へど、 「さりとて、物のほど知らぬやうにや」 とて、妻戸押し開け對面したり。うち匂ひ給へるに、餘所ながらうつる心地ぞする。なまめかしう、心深げに聞え續け給ふ事どもは、 奧の夷も思ひ知りぬべし。

死の棘:小栗康平

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「死の棘」は、「泥の河」「伽耶子のために」に続く小栗康平の第三作目の映画である。「泥の河」では小さな子どもの目を通して戦後日本の絶対的な貧困を描き出し、「伽耶子のために」では在日コリアンたちの、これもまたすさまじい貧困を描き出していた小栗だが、この映画では、そうした社会的な視線は後退し、かわって人間の内面に踏み込んでいる。この映画は、夫婦のすさまじい葛藤を描いた心理劇なのである。その心理劇の内面的な世界が、小栗特有の(反技巧的な)カメラワークで、時にはゆったりと、時にはドラマティックに、緩急をつけて展開される。

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(永観堂阿弥陀堂)

午後一時二十分ホテルを辞し、京都駅前より市バスに乗りて南禅寺・永観堂の停留所にて下車す。そこより歩みて数分のところに永観堂禅林寺あり。禅林とは称すれど禅寺にはあらず。念仏寺なり。平安時代創建の古刹にて、日本の念仏寺の嚆矢たりし由なり。山の斜面の起伏を生かして複雑なる伽藍配置を施す。山の麓に御影堂あり、阿弥陀仏を安置す。山の上腹に阿弥陀堂あり。いはゆる見返り阿弥陀を安置す。

北斎漫画十二編

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北斎漫画は、文化十一年(1814、北斎55歳)に初版を刊行して以来、北斎存命中に十三編、死後も含めれば十五編が刊行された。北斎がこれを刊行した主な理由は、弟子やファンたちのために絵手本を提供することであった。その目的は大いに応えられ、北斎漫画は国内のベストセラーになったばかりか、ヨーロッパにも輸出されて、かの地の画家たちに大きな影響を与えたとも言われる。

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(祇園祭後祭山鉾巡行烏丸御池にて)

七月二十四日(金)晴。この日は祇園祭の後祭山鉾巡行催さる。よってホテル一階ティーラウンジにて朝餉をすますや、地下鉄に乗りて烏丸御池の交差点に至り、巡行行列の出発するところを見物せんとす。出発時刻は午前九時半にて、それより四十五分ほど早めに現地に着けば、山鉾はすでにあらかた集合し、出発を待ちをれり。見物客もそろそろ集まりはじむるところなりしが、余は歩道と車道の境に位置を占め、比較的明瞭に行列を見ることを得たり。

宮沢賢治と石原莞爾

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片山杜秀によれば、近年では宮沢賢治と石原莞爾を結びつけて論じられることがよくあると言うことで、片山本人も「ケンジとカンジ」といった語呂あわせを使ってこの両者を結びつけてきたそうである。宮沢賢治といえば理想主義的な童話作家ということになっており、また石原莞爾といえば日本の軍国主義の巨魁とされているから、この二人を結びつけることには、違和感を覚える人が多いだろう。たしかにこの二人には共通点がないわけではない。二人とも法華経の熱心な読者であったという点、そして田中智学の国柱会と密接な関係を持ったという点である。田中智学といえば、日本のファシズム運動を担った一人であるので、論者の中には、この男と関係が深いという理由で、ケンジとカンジを一緒くたにしてファシスト呼ばわりする者もいる(たとえば佐藤優)。

アスモデウス:ゴヤの黒い絵

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聾の家二階サロン入り口から見て右側の手前の壁に描かれていたのが「アスモデウス」と題されたこの絵(123×266cm)である。アスモデウスとは、旧約聖書外典「トビト書」に出てくる好色な悪魔である。サラと言う娘に横恋慕したアスモデウスは、サラの婚約者を七人も殺して、サラを我がものにしようとしたが、トビトの息子トビアスの姦計に陥れられて、エジプトの奥地に追放されたということになっている。

京都祇園祭の旅その二:祇園祭宵山

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(大船鉾)

六時過、ホテルを辞して地下鉄に乗り四条烏丸駅に至る。四条通を西に歩み、新町通りを左して黄昏時の大船鉾を見る。屋台を囲む提灯に点灯せられ、昼間とは自ずから趣を異にす。集まり来れる大勢の人々列をなし、屋台の上に上らんとす。土産物を買ひ求めたる人に限って、屋台に上ることを許さるるなりといふ。かやうに人の波すさまじければ、徒歩の人も一方通行なり。

宮の御覽ずる所に寄らせ給ひて、 「をかしき事の侍りけるを、などか告げさせ給はざりける。中納言・三位など方別るゝは、戲れにはあらざりける事にこそは」 と宣はすれば、 「心に寄る方のあるにや。わくとはなけれど、さすがに挑ましげにぞ」 など聞えさせたまふ。 

伽耶子のために:小栗康平

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小栗康平の第二作「伽耶子のために」は。在日コリアンの生活をテーマにした作品だ。どういう理由か詳しくはわからぬが、一般の映画館で上映されることはなく、東京の岩波ホールと大阪の三越劇場でひっそりと上映されたのであったが、右翼のいやがらせにあって、短期間で終了、その後劇場やテレビで取り上げられることもなかった。仏独伊各国の映画祭で受賞するなど、海外では高い評価を受けたことを考えると、内外の激しい落差を感じさせられる。

京都祇園祭の旅その一:高台寺

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(祇園祭山鉾巡行)

余は幼少の頃より祭好きにて、東京の祭はほぼ見尽くせるといへども、京都の祭は見たることなし。なかでも祇園祭は、足腰の立つうちに是非見物せばやと思ひをりしところなり。その思ひつひにかなひ、この夏(平成廿七年)京に一人旅をなして、祇園祭の後祭を見物す。前祭は混雑甚だしと聞き、しかも未だ梅雨の明けぬ前のことなれば、雨にたたらるる恐れもあり。後祭ならば、梅雨明け後にて、しかも前祭に比すれば混雑も甚だしからず、と思ひたればなり。

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(鷽・垂桜)

これは背景をプルシャンブルーで青く染め抜き、それとのコントラストでモチーフを浮かびあがらせるような効果をねらったもの。モチーフの強調には成功しているが、文字の方は背景に溶け込んでよく判別できない。

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