荒野の決闘( My Darling Clementine ):ジョン・フォード

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「荒野の決闘( My Darling Clementine )」は、「駅馬車」と並んでジョン・フォードの西部劇の最高傑作と言われる。ジョン・フォードの最高傑作と言えば、西部劇の最高傑作と言い換えてもよい。フォードは西部劇最大の巨匠だからだ。

西部劇には二つの大きなテーマがある。一つは、西部開拓者たちの、主としてインディアンとの戦いを中心とした英雄的な行為を描くと言うもの、もう一つは、正義感あふれる男たちが無法者を懲らしめて法と秩序を回復するというものである。この両方を通じて、男同士の熱い友情が描かれる。女性は無論出てくるが、男女の恋愛が中心的なテーマとなることはほとんどない。

「駅馬車」は以上二つのテーマ双方を盛り込んでいたが、「荒野の決闘」では二つ目のテーマ(正義漢による無法者の懲罰)がもっぱら描かれる。インディアンは出てくるが、男のインディアンはほんの端役としてであり、女のインディアンはあばずれ女としてである。この女は、結構重要な役柄を果しているが、チワワという部族名で呼ばれ、固有の名で呼ばれることはない。

映画が描いているのは、西部開拓史上有名なOK牧場の決闘と呼ばれるものである。これは、保安官として名を知られたワイアット・アープとクラントン父子が衝突した事件で、アープがドク・ホリディの加勢を得て勝利したものだ。この話は、西部開拓史を飾る事件として結構有名になったのだが、それにはアープ自身による宣伝が大いに働いたと言われる。フォードはそのアープから聞いた話をもとに、この映画を作ったらしいが、映画の内容は、史実とは多少異なっていることが指摘されている。だがそのおかげで、映画としては完成度の高い面白い作品になっていると言えよう。

フォードによるこの映画化がきっかけとなって、ワイアット・アープとドク・ホリディをめぐる物語は、西部劇の定番ストーリーとなり、その後、同じテーマで何回も繰り返しドラマ化された。その過程で、ワイアット・アープは、保安官の理想像として類型化されていった。

主要テーマは、トゥームストーンの保安官となったワイアット・アープ(ヘンリー・フォンダ Henry Fonda )が、牛泥棒を働いたならず者クラントン父子五人を退治するというものである。アープ自身、この父子によって牛を盗まれたうえに二人の弟を殺されたことになっている。彼のならず者退治は、いわば私憤に発しているわけである。その私憤が公憤に化するのは、クラントン父子が市民に公然と敵対することによってだ。その段階でアープは保安官として正義の体現者となり、クラントン父子は悪の化身となるわけである。

ドク・ホリディ(ヴィクター・マチュア Victor Mature )も西部開拓史上有名なキャラクターだ。その彼がアープの助太刀をするに至る事情が、映画のなかで丁寧に描かれている。それ故この映画は、男同士の友情を、厚みを以て描き出してもいるわけである。このホリディをめぐって二人の女が登場する。一人はチワワ(リンダ・ダーネル Linda Darnell )であり、もう一人はクレメンタイン(キャシー・ダウンズ Cathy Downs)と言う名の淑女である。この映画のそもそもの題名が「いとしのクレメンタイン( My Darling Clementine )」と言う具合に、この女性は非常に大きな存在感があるのだが、その女性が映画の主人公であるワイアット・アープではなく、ドク・ホリディの恋人として出てくるのが、なんとも面白いところだ。そのため、この映画の中のワイアット・アープは、二名目の役柄をホリディに奪われてしまうのだ。

クライマックスは、OK牧場でのアープ側とクラントン父子との決闘だ。これに至る前に、アープは二人の弟を殺され、クラントン側は息子の一人が死んでいる。クラントンは息子が殺された仕返しにアープの弟の一人を殺し、その死体をアープの目前に投げ捨てた上で、OK牧場での決闘を申し入れてきたのだ。申し入れを受けたアープは、夜が明けるのを待ってOK牧場に向かう。アープ側はホリディや一人の弟を含む五人、クラントン側は四人だ。

牧場と言っても、放牧のイメージはない。ウェルズ・ファーゴが設けている替え馬用の厩舎のようなものだ。だから、トゥームストーンの町に接している。そこへアープ側の五人の男たちが、並んで接近していく。それをクラントン父子が待ちうける。息を呑む場面だ。

結局クラントン父子は一人残らず殺される。この撃ち合いの中でドク・ホリディも撃たれて死ぬ。史実としては死ななかったのだが、ここは死なせたほうが格好がつくとフォードが判断したのだろう。その死に方が振るっている。持病の肺炎の症状で咳き込んだところをクラントンに撃たれてしまうのである。

生き残ったアープは故郷の町へ戻ることを決意する。死んだ弟たちのことを父親に報告するためだ。一方恋人に死なれたクレメンタインは、この町に残って教育の仕事に従事する決意をする。そんな彼女にアープが別れの挨拶をする。アープは、実は彼女が欲しいのだが、それを口で言えないのである。

そんなわけでこの映画は、無骨な西部の男たちの生き方を詩情豊かに描いたものとして、西部劇史上燦然とした輝きを放っているのである。

なお、この映画の主題歌「いとしのクレメンタイン」は、爆発的にヒットした。日本でも大いにはやったものだ。








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